1995年 10月4日

始まりは DAICON3!庵野秀明が【新世紀エヴァンゲリオン】を生み出すまでの長ーい物語

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始まりは「第20回日本SF大会」5分15秒のアニメーション


この物語は、1981年8月22日に始まる。

その日、大阪市の森ノ宮ピロティホールでは、まさに第20回日本SF大会―― 通称「DAICON3(ダイコン・スリー)」が始まろうとしていた。
客席には満席となる1,500名もの参加者たちが熱気と喧騒の中、緞帳が上がるのを待っていた。通常、SF大会のオープニングは地元主催者の挨拶から始まるが、この日は違った。緞帳が上がると、いきなり巨大スクリーンに手作りのアニメが投影されたのである。

テロップ―― DAICON Ⅲ OPENING ANIMATION。

冒頭は白い雲と青い空だ。そこへ初代ウルトラマンの科特隊(科学特捜隊)の戦闘機「ビートル」の機影。間もなく同機が着陸すると、ランドセル(竹の定規が飛び出てる)を背負った1人の美少女が現れる。ビートルのハッチが開くと、吾妻ひでお風タッチの隊員が登場して、少女に水の入ったコップを手渡す。

「この水をDAICONまで運んでください」

コップを受け取り、笑顔で敬礼する少女。きびすを返し、颯爽とかけていく―― と、そんな風に5分15秒のアニメーションは進んでいく。物語の構造自体はシンプルだ。ミッションの途中、少女は次々と “敵” に襲われるが、その都度、予想外の兵器と超人的な身のこなしで切り抜け、最後に彼女のとった、ある行動が奇跡を起こす―― というもの。


美少女、メカ、爆破… そして数多のオマージュに満ちたオープニング


同アニメの鍵は3つある。 “美少女” “メカ” そして “爆破シーン” である。加えて、それら全編に散りばめられたオマージュの数々―― 結果、見事なクリエイティブに仕上がっている。

おっと、誤解なきよう、エンタメにおけるクリエイティブとは、0から1を生み出すものではない。優れた過去作にインスパイアされ、1を2や3にアップグレードする作業である。

実際、同アニメにおけるオマージュのネタは限りない。先にも記した通り、少女にミッションを授けた科特隊の隊員は、1979年のSF大会で星雲賞コミック部門を受賞した吾妻ひでおサンに敬意を表したものだし、少女の前に立ちはだかる最初の敵「パンクドラゴン」は当時、ニューウェーブ系漫画家として注目され、日本SF作家クラブの会員でもあった、いしかわじゅんサンの生んだキャラクターだった。

そして―― なんといっても、同アニメの前半を盛り上げる敵キャラ “パワードスーツ” の存在感。SFファンには有名な話だが、あの『機動戦士ガンダム』のモビルスーツの元ネタである。ロバート・A・ハインラインの『宇宙の戦士』の挿し絵に、スタジオぬえが描いたオリジナルのキャラだった。

脚光を浴びた庵野秀明、山賀博之、赤井孝美、岡田斗司夫、武田康廣


一方、彼らと格闘する少女のスペックも凄い。背中のランドセルはガンダムと同じく、下部のスラスターノズルでジェットを噴射して空を自由に飛び回るもの。更に、竹製の定規は “スター・ウォーズ” のごとくライトセーバーに変身する。極めつけは、ランドセル上部が開くと現れるミサイルランチャーだ。ここから、『伝説巨人イデオン』ばりにミサイルを四方に乱射する――。

同アニメは後半、イデオンの “イデ” のマークを合図に、SF界のレジェンドたちが総出演する。ゴジラ、バルタン星人、キングギドラ、ガメラ、ガンダムといった有名キャラから、スターデストロイヤー(スター・ウォーズ)、轟天号(ゴジラシリーズ)、空中要塞ギガント(未来少年コナン)、宇宙戦艦ヤマト、そしてエンタープライズ(スタートレック)といった名機・名鑑まで――。それらは、少女が発射した先のミサイルで一網打尽に爆破される。ちなみに、ヤマトの爆破シーンは、劇場版3作目以降のシリーズ展開に不満を抱く観客たちから一斉に拍手が起きたという。

かくして、敵を一掃した少女。ふと足元を見ると、一株の大根がしおれかけている。思わず、大事な水を大根に与えると、次の瞬間、それは巨大な大根の形をした宇宙船へと姿を変える。船体に書かれた「DAICON Ⅲ」の文字。そして宇宙船は少女を乗せ、宇宙の彼方へ飛び立つ―― THE END。

―― 同アニメの上映中、客席は終始笑いと歓声に包まれたという。この一件はSF界でたちまち大ニュースとなり、アニメを作った大阪芸術大学の無名の学生たちは一躍脚光を浴びた。彼らこそ、後に『新世紀エヴァンゲリオン』を監督する庵野秀明であり、『王立宇宙軍 オネアミスの翼』を監督する山賀博之であり、『プリンセスメーカー』を製作する赤井孝美であった。更には、彼らにアニメ制作を持ち掛けた大会主催者(彼らも学生だった)こそ、後に先の3人とアニメ制作会社ガイナックスを立ち上げる岡田斗司夫であり、武田康廣であった。

1995年10月4日―― 今から28年前の今日、ガイナックス制作の伝説のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の放映が始まる。しかし、その前日譚は、先のアニメが上映された、今から42年前の1981年に端を発したと言っても過言じゃない。関西の片隅で暮らしていた無名の大学生たちが、いかにしてヤマト、ガンダムに続く「第3次アニメブーム」の起点となる名作を生み出せたのか―― その壮大な大河ドラマを紐解きたいと思う。

大阪で開催された3番目の大会“DAICON3”


ここで、改めて日本SF大会について記しておきたい。それは、毎年開催されるSFファンが集うお祭り。第1回は1962年(昭和37年)開催と、意外と歴史は古い。元ネタは、1939年(!)から主に北米で開催されている世界SF大会(ワールドコン)である。いわば、その日本版だ。

その運営は、開催を希望する全国各地のアマチュアSF団体によって、持ち回りで行われる。開催中は様々なイベントが用意され、前年に発表されたSF作品の中から優秀作を「星雲賞」として授与したり、プロのSF作家や編集者を招いて講座を開いたり、ファン同士で発表会をしたり、上映会をしたり、オリジナルグッズを販売したり、はたまたコスプレイベントやカラオケ大会を催したり――etc.

そして、各回の大会には愛称がある。先にも記した「DAICON3」とは、大阪で開催される3番目の大会という意味。同大会は、関西学生SF研究会連盟に所属する岡田斗司夫と武田康廣が手を挙げて大会を誘致し、彼らが中心となって各種イベントが企画された。その一環として、SF大会史上初となるオープニングアニメも制作されたのだ。

SF小説だけじゃない! アニメももっと語られるべき!


それまでSF大会は、ヒエラルキー的にSF小説が最上位にいて、特撮映画やSFを題材にした漫画、アニメーションなどは、どうしても下に見られがちだった。同大会の歴史的に、国内では小松左京や星新一、筒井康隆ら、海外ではハインラインやレイ・ブラッドベリらSF作家が神格化された経緯もあり、その地位は盤石だった。

だが、これに「アニメももっと語られるべきだ」と、初めて異を唱えたのが、1981年に開催されたDAICON3だった。それは、時代の変化の波でもあった。79年に放映が始まった『機動戦士ガンダム』は本放送こそ低視聴率に喘いだが、オンエア中から一部マニアの間で評価が高まり、翌80年の再放送でブーム到来。81年には映画化され、社会現象になった。それまで子供が見るものとされていたアニメが、大人の鑑賞にも耐え得る作品と認知されたのが1981年だった。

そう、DAICON3のオープニングアニメを始めとする主張は、いわば時代の要請だった。同大会はアニメに関するイベントも数多く開催され、大好評のうちに幕を閉じた。そして、DAICON3の実行委員会は解散した。

DAICON FILM結成。作成された映像作品に見る庵野秀明のクリエイティブセンス


しかし―― 岡田・武田・庵野・山野・赤井らメインの5人は未練が残った。まぁ、よくありますよね。文化祭で1つの目標にまい進して、作品を披露して、大喝采を浴びて、後夜祭で「明日から平凡な毎日に戻るのかぁ」といった虚無感は誰しも経験があると思う。彼らの場合、自分たちの作品が時のSF界を揺るがし、漫画の神様・手塚治虫にも絶賛され、アニメ雑誌の『アニメック』が巻頭カラーで紹介したものだから、その高揚感はハンパなかった。

5人は再び集まった。目標は2年後―― 1983年に再び大阪にSF大会を誘致し、その「DAICON4」で新作のオープニングアニメを上映すること。かくして、アマチュアの映像制作グループ「DAICON FILM」が結成された。同グループはアニメ作りの資金集めとして、実写の特撮作品も制作した。その1つが、庵野秀明が素顔のままウルトラマンを演じ、自ら総監督を務めた、かの有名な『帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令』である。信じられないが、この一介のアマチュア作品が、今ではAmazonプライムで見ることができる。

今見ても感心するが、もう、これは後の『シン・ウルトラマン』とエッセンス自体はなんら変わりないんですね。シーンの作り方、劇伴の入れ方、カットのつなぎ、美術の精度、撮影の構図、ウルトラマンのアクションやSE等々―― これって、要はセンスで、学ぶというより、真似るもの。オマージュ元から、どうトリミングするかのセンスなんですね。ちなみに、ウルトラマンの声は本放送のSEをそのまま流用しており、顔は若き庵野サンのままだけど、声だけで本物のウルトラマンと見紛う。そういうことである。

ちなみに、後に庵野監督が手掛ける『新世紀エヴァンゲリオン』で、黒バックに白抜きの太い明朝体のタイトル表記が話題になるが、あれも1976年に公開された角川映画の『犬神家の一族』で市川崑監督が用いたものをオマージュして、トリミングしたもの。繰り返すが、エンタメにおけるクリエイティブとは、0から1を生み出すものではない。優れた過去作にインスパイアされ、1を2や3にアップグレードする作業である。

貞本義行がDAICON FILMに参加。DAICON4オープニングアニメ完成


そんな次第で、DAICON FILMは先のウルトラマンを始め、3作の特撮作品を制作。それらは、懇意にしている『アニメック』誌でも度々取り上げられ、岡田斗司夫と武田康廣が82年に創業したSFグッズ専門店「ゼネラルプロダクツ」(通称ゼネプロ)でオリジナルビデオとして販売され、大きな収益を上げた。そして、その資金をもとに作られたのが――「DAICON4」のオープニングアニメだった。

1983年8月20日、大阪厚生年金会館大ホール―― 客席を埋めた2,400人の大観衆は、再び彼らの作った映像に歓喜した。今度のヒロインは成長してバニーガールとなり、よりビジュアルに磨きがかかった。これは今作から、後にエヴァのキャラクターデザインを手掛ける貞本義行サン(当時は学生)が参加したからである。彼は『超時空要塞マクロス』の原画アルバイトをした際、同じくアルバイトとして参加していた庵野サンからDAICON FILM入りを誘われていた。

映像は、全編に渡ってELOの「トワイライト」が流れ(後に、これをオマージュしたのがフジテレビのドラマ『電車男』のオープニングである)、ストーリーのあった前回とは作風が異なり、フォトジェニックなシーンを集めたプロモーションビデオ風になった。これは1981年8月に開局したMTVへのオマージュだろう。ストーリーがないのではない。作らなかったのだ。


日本国内ではアマチュアの映像制作集団としてはトップに君臨


再び、彼らは脚光を浴びた。もはや、その存在は日本国内ではアマチュアの映像制作集団としてはトップに君臨。誰もが次の一手を注視していた。そこで、彼らは83年秋、予算4,000万円で1本のOVA(オリジナル・ビデオ・アニメーション)の企画を立ち上げる。『王立宇宙軍~オネアミスの翼』である。

当時はビデオデッキが一般家庭に普及し始めたころ。オリジナルビデオ作品の注目度も高かった。実際、過去に前述のゼネプロで「DAICON3」のオープニングアニメのビデオを絵コンテ付きで1万円台で販売したところ、3,000本(!)を売り上げた実績があった。彼らの掲げた予算4,000万円は、決して無謀な数字ではなかった。

しかし―― 時代が彼らを放っておかなかった。翌84年秋、同企画のOVAのスポンサーを探していた岡田斗司夫サンが、ゼネプロを通じて旧知の仲だったバンダイの「リアルホビー」シリーズを作った渡辺繁サンの元を訪れる。渡辺サンは当時、立ち上げたばかりの同社の映像部門に異動して、世界初のOVAとされる押井守監督のアニメ作品『ダロス』を発売したばかりだった。

この時、バンダイは劇場用映画に進出すべく、新たな企画を探していた。同社は80年に若干35歳の2代目・山科誠社長にバトンタッチして、直後に「ガンプラ」が大ヒット。83年には映像部門を立ち上げ、世界初のOVAを手掛けるなど野心に燃えていた。そのタイミングで岡田サンが、飛んで火にいる―― じゃないが、新作のアニメーション企画を持ってやってきたのだ。

バンダイの渡辺サンは、当時のDAICON FILMの評判をよく知っていた。アニメ雑誌で頻繁に取り上げられる若いアマチュアの彼らと組んで、バンダイが初めて劇場用アニメ映画に進出するのは、ちょっと面白そうだ。早速、上層部に掛け合うと、反応は悪くない。まずはパイロットフィルムを作って、社長にプレゼンしようという話になった。尺は4分、予算は300万円である。

1984年、アニメ制作会社ガイナックス設立


“劇場用映画”―― この降って湧いたような話にDAICON FILMのメンバーは歓喜した。「この機会を逃す手はない」―― 1984年12月24日のクリスマスイブ、高田馬場のマンションの1室で、DAICON FILMは発展的解消して、新たにアニメ制作会社が設立される。―― GAINAX(ガイナックス)である。

気が付けば、この頃には岡田・武田・庵野・山野・赤井ら5人は全員、大学を除籍か中退しており、全員、退路を断っていた。もはや後戻りはできない。メンバーたちは上京して、日夜パイロットフィルム作りにまい進した。85年4月、フィルムが完成。バンダイの渡辺サンも満足のいく出来だった。ここで彼は、プロの意見も聴いてみようと、OVAで仕事をした押井守監督のもとを訪ねると、「僕よりも適任者がいる」と宮崎駿監督を紹介される。当時、宮崎監督は前年に公開した映画『風の谷のナウシカ』が大ヒットして、時の人になっていた。

渡辺サン、早速、当時阿佐ヶ谷にあった宮崎監督の個人事務所を訪れ、パイロットフィルムを見せると――「ともすれば、アマチュア作品というのはディティールだけ凝って、全体を見ると基礎ができていないケースがある。しかし、庵野君たちの目線はしっかりしているし、設計も悪くない。大丈夫ですよ」―― 上々の太鼓判を押してくれた。

そう、宮崎監督は既にこの時点で、庵野秀明の才能を見抜いていた。映画『風の谷のナウシカ』のスタッフとして参加した庵野サンが、宮崎監督から巨神兵のシーンを任されたエピソードは有名である。この時の繋がりが、『王立宇宙軍』に対する評価に繋がったのだ。

バンダイの山科誠社長も出席する役員会当日、件のパイロットフィルムが上映され、イメージボードを前に岡田斗司夫サンらがプレゼンを行なった。渡辺サンは宮崎駿監督の感想を紹介した。そして―― 晴れて、2時間の劇場用アニメ『王立宇宙軍~オネアミスの翼』の企画にゴーサインが出る。予算は破格の3億円だった。

この後、同企画は音楽監督で坂本龍一サンが就任するのだから、時代の波というのは恐ろしい。1981年、無名の大学生たちが作った、わずか5分のアニメーションが、その6年後には2時間の劇場用アニメに化けて、全国ロードショー公開に至ったのだ。それもオリジナルである。監督を務めたのは若干24歳の山賀博之で、スタッフの平均年齢も24歳だった。

ガイナックスは船出した。1987年3月14日、『王立宇宙軍オネアスミの翼』全国公開。今では、その作画の完成度が高く評価されているが、当時はその地味な作風が市場に受け入れられず、興行的には不発に終わる。初の劇場公開で、ガイナックス自体が力み過ぎて、作家志向に寄り過ぎたという指摘もある。



「美少女・メカ・爆破」の3要素を前面に押し出した「トップをねらえ!」


その反省もあって、その赤字補填のために、88年から89年にかけて作られたOVA作品『トップをねらえ!』は、原作:岡田斗司夫、監督:庵野秀明のもと、本来の彼らの持ち味「美少女・メカ・爆破」の3要素を前面に押し出し、スマッシュヒット。オマージュも多用し、徹底したファン目線に徹した結果だった。先の赤字を返済したばかりか、90年には彼らの原点であるSF大会で星雲賞メディア部門を受賞する。



しかし、彼らの本来の夢は、テレビシリーズか、全国ロードショーの劇場アニメでヒットすることだった。1990年4月13日―― ガイナックスはNHKの依頼で、連続アニメを制作する。『ふしぎの海のナディア』である。総監督は庵野秀明。樋口真嗣サンも監督として参加した。元々は、宮崎駿監督が同局で手掛けた『未来少年コナン』の続編として温めていた、ジュール・ヴェルヌの『海底二万マイル』をベースとした企画だった。宮崎監督は同企画の一部を自身の映画『天空の城ラピュタ』に転用したので、『ナディア』と『ラピュタ』は姉妹作品ということになる。

『ナディア』は数字上はヒットした。しかし、ガイナックスが狙う熱狂的なSFファンまでは掘り起こせなかった。NHKの持ち込み企画であること、NHKというある種の規制の中で作らざるを得ないこと―― 要因は様々だったが、売れることを優先した結果、ガイナックス色が薄れた感は否めなかった。

この時期、岡田斗司夫サンら、何人かの創業メンバーはガイナックスのもとを去った。残された庵野・山賀は次の一手を模索した。「―― そうだ。やはり、自分たちが作りたいものを作ろう。もう、外部の人たちに邪魔されたくない。大事なのは、自分たちがそうであったように、熱狂的なSFファンが見たい作品を作るのだ」――。



ナディアになくて、エヴァにあるもの


ある意味、その思いは “時間” が解決した。1995年10月4日―― テレビ東京系にて、今度こそガイナックスのオリジナル企画の連続アニメが始まった。企画・原作・監督:庵野秀明、キャラクターデザイン:貞本義行、アニメーションプロデューサー:山賀博之。放送開始にあたり、庵野監督は作家性を妨げかねない玩具メーカーのスポンサードは断り、更に「この作品に外部の人間が何か口を出しても一切変更しないし、その時点で一切の作業を打ち切る」と宣言した。事実、放送するテレビ東京はガイナックスに何も言ってこなかった。

そう、時代は、作り手が小編隊でものづくりに没頭できる「新・黄金の6年間」(バブル崩壊でエンタメ界がリセットされ、身軽な新人たちが直接、大衆に語りかけてビッグヒットを放った1993年~98年の6年間)を迎えていた。結果、庵野監督を始めとするガイナックスのスタッフは、思いの丈を同作品に投影することができた。もちろん、「美少女・メカ・爆破」の3要素がふんだんに盛り込まれていた。ナディアになくて、エヴァにあるもの―― それは、“爆破”だった。

気が付けば、あの5分15秒のアニメーションから、14年が経過していた。

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2023.10.04
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