2023年 7月12日

DJ【小林克也】最新インタビュー ③ 音楽業界の劇的な変化と YMO の登場!

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DJ【小林克也】最新インタビュー ③ 音楽業界の劇的な変化と YMO の登場!

日本でいち早く洋楽のライブ映像を観せた「ザ・ナウ・エクスプロージョン」


―― 70年代から海外アーティストのプロモーションフィルムは存在したが、それをしっかりと観ることが出来る機会はなかなかなかった。そのような状況の中でスタートしたのが『ベストヒットUSA』だろう。自由な発想のもとにスタートした同番組の影響もあって、80年代に入り音楽の聴かれ方、見方も大きく変わってくる。

小林克也(以下克也):アメリカでは、70年代からすでにプロモーション・フィルムを作るアーティストが増えてきました。ビデオじゃなくてフィルムなんです。この流れから、日本でもいち早く、洋楽のプロモーション・フィルムを観せる番組がスタートし、そのDJを僕が担当しました。それが東京12チャンネル(現テレビ東京)の『ザ・ナウ・エクスプロージョン』でした。大滝(詠一)さんなんかもよく観てくれていました。

この番組のスポンサーはアパレルブランドの「JUN」でした。当時社長だった佐々木さんは、「ファッションより、音楽が先だ」といつも言っていました。そして、なんとディスコティックをやりはじめ、そこで僕はディスコDJをはじめました。面白いのは、佐々木さんはパリに行った時、ディスコなんかを視察しにいくわけです。それで帰国したら「うちの店でもタンゴをかけろ」というわけです。パリのディスコではみんな蝶ネクタイをした正装で遊びに来ている。ディスコで踊っているけど、急にタンゴをかけたらタンゴも踊ると。だから、これを日本でも流行らせろと(笑)。でも日本ではしらけてだダメだったね(笑)。

「ファッションより、音楽が先だ」という主張があるから当時のJUNのショップには音楽コーナーがあって日本では権利がないヨーロッパでヒットしているアフリカ系のアルバムなんかを売っていました。そういう風に音楽とファッションはカルチャー、ライフスタイルとして切っても切り離せない関係性があるんです。先ほど話したポパイもそういうマガジンでした。ポパイは創刊時からそういう意識があったから、「俺たちが先に行こう!」ということで流行を牽引していったんですよね。ポパイが提唱するカルチャーがあったから音楽が広がりを見せていった。

自由な発想で始まった「ベストヒットUSA」


克也:これは、MTVが始まるずっと前の話です。当時のプロモーション・ビデオの扱われ方は、今野雄二さんが「ニューヨークから面白いグループが出てきました。名前はトーキング・ヘッズです」というナレーションから、彼らの映像を30秒ぐらい観せるわけです。そして解説をする。しかし、若者たちは最初から最後まで全部観たいはず。そういう計算のもとに『ベストヒットUSA』というプランを立てて、スポンサーがブリヂストンに。ブリヂストンはお金があって、自由な発想があった。

ここからもわかる通り、80年代に入って音楽が全然違う聴かれ方、見方をされるようになった。面白いのは76〜77年にロンドンパンクが出てきた。もちろんニューヨークのシーンもあったけど、ロンドンのシーンは影響力が強くて、これまでの中途半端なものを全て壊していった。パンク登場以前、最高の音と言われていたのがフュージョンで、一番売れていたのがジョージ・ベンソンの『ブリージン』でした。一番いいスタジオで、一番上手いミュージシャンで、一番リッチな音を聴かせてくれるわけです。それがセックス・ピストルズやクラッシュが登場してから流れが大きく変わっていったんです。彼らはメッセージを持っているから十代、二十代ばかりでなく、四十代のファンも現れ彼らを支えていったんです。

パンクの連中は、R&Bのバンドとかが売り払ったアンプなどの機材を安く仕入れる。安い楽器と安い機材でやっているバンドの方が、それまでリッチな音を出していたバンドよりも力を持ってくる。それが後にニューウェイヴやオルタナに変わっていくわけです。だから、70年代の終わりには当時人気があったカーペンターズやオリビア・ニュートン=ジョンに変わってブロンディが出てくる。パンクっていうのはいわゆるチンピラですよね。イギリスの評論家は「チンピラは2〜3年でだいたいが卒業する」と言っていたわけです。するとスペシャルズのような2トーンが出てきてニューウェイヴと言われるようになりました。

それに加えディスコのムーブメントも重要になってきます。ディスコといえば “四つ打ち” のダンスミュージックを連想しますが、これと同時にR&Bの流れがあって、ボズ・スキャッグスやボビー・コールドウェルなんかが出てくる。彼らのように、従来は黒人の音楽だったR&Bを白人が歌うようになる。それを爆発させたのがビージーズの「サタデー・ナイト・フィーバー」なんです。これがディスコで大ヒットして、当時アメリカのエンタテインメントで一番稼ぐのはビージーズでした。ディスコはやがてクラブと言われるようになるわけですが、いわゆるダンスミュージックの影響は、人々の生活が豊かになるにつれ多大な影響を与えることになります。

YMOが受けた影響、与えた影響


―― こういった世界的な状況の中からYMOが登場する。音楽に映像的な要素が不可欠になってくる時代とYMOの登場は合致していた。デビュー当時のYMOの影響力はどのようなものだったのだろうか?

克也:ニューヨークでもパティ・スミスやトーキング・ヘッズのようなカッコいい前衛の要素を持ったアーティストが出てきます。日本もそういうムーブメントを追いかけていくんです。YMOはパンクとか当時新しいものが世界に出てくる流れの中で「日本からの答え」を出しました。当時矢野顕子の旦那だった矢野誠(音楽プロデューサー)達も参加し、細野晴臣が作った、まだYMOになる寸前のデモテープを僕は聴いています。

細野さんは以前からクラウン(レコード)で、前YMO風なコンセプトで音楽をやっていました。最終的には坂本龍一が加わった後、全く新しいモノを発表したんです。ドイツのクラフトワークに対抗するようなものを感じさせ、髪型もクラフトワーク風で、もみあげをカットしたいわゆるテクノカットを誕生させたんです。

YMOも最初にコンサートをやった時はリーゼントの若者がたくさん観に来ていました。彼らはみんな(高橋)幸宏のファンなんです。幸宏は肉体的でカッコいいからね。だけど、リーゼントの彼らが次のYMOのコンサートに来る時はみんなもみあげを切ってテクノカットになっていた(笑)。ファッション面においてもそれくらいの影響力がありました。



小林克也が思い描く “理想的なラジオ”


―― このような土壌があって、今回『FM STATION 8090』シリーズにも収録されているようなシティポップとカテゴライズされた音楽も生まれた。今回DJを務めた克也氏のトーキングにより、楽曲の素晴らしさがより際立つことは、一目瞭然だ。克也氏はDJの使命をどのようなものだと考えているのだろうか?

克也:DJというのは音楽の良さを伝えるのが使命です。そのためには、音楽にまつわる文化的なことエンタテインメントですね。DJというのはしゃべることばかりではないと思うのです。60年代の後半にアメリカですごく人気があったトニー・ピッグというDJがいて、しゃべりはプロのDJとは違う。だけど、なぜ人気があったかというと、番組で「トニー・ピッグ!」と紹介が入ると何も言わず曲が3曲かかるんです。その後に「この曲は〜で、次にかけたのいは〜で…」と言ったら、次にまた3曲かかる。その人は選曲で売っていたんです。

今のサブスクはAIが選曲をしてくれる。でも昔はラジオに耳をすまして聴いていたんです。こいつ、何をかけるのかな?という期待もあった。特に面白かったのは60年代の終わりには反戦のメッセージソングがあるから、そこにつなげるDJのしゃべり方というのがありました。

僕には理想的なラジオというのがあって、受験勉強をしたり、仕事をしたり、夕飯の準備をしている奥さんの傍でラジオが鳴っている。それで、時々、今、なんてった?なんて動作を止めてラジオを聴く。そういう存在がラジオだよね、というのが僕の中にある。ラジオがスマホになるかもしれないけど、ラジオ的なものは残ると思います。サブスクで音楽ばかりを聴く人もいるだろうけど、アメリカでは1/3がトークラジオですからね。そこで興味深いのは、アメリカでは極端なことを言わなければ面白くないということ。日本みたいに中道じゃないんです。向こうのトークラジオ局は、激しいことを言う人が出てるけど、これはラジオ局の意見ではなく、あくまで登場して喋っている人の意見だ。というスタンスから生まれるトークの面白さはアメリカ独特です。



ーー 1970年にラジオDJとしてデビューしてから半世紀以上、その第一線で活躍。現在も音楽の素晴らしさを発信し続ける小林克也氏。シティポップが隆盛し、洋楽黄金時代となった80年代は、克也氏の活躍がなければこれほどまでの盛り上がりを見せなかっただろう。今回克也氏が参加した『FM STATION 8090~GENIUS CLUB~ NIGHTTIME CITYPOP by Katsuya Kobayashi』も、そのキャリアが裏付けされたDJにより、収録されている楽曲が普遍的な輝きを増し令和の時代に蘇った。克也氏のDJは、音楽に永遠の輝きを施してくれているのだ。

特集 FMステーションとシティポップ

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2023.05.07
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