人と人との無数の出会いが織り成す人生。
今いる場所も、仕事も、だれかと出会っていなければ、違ったものになっていただろう。
もしも あなたと逢えずにいたら
わたしは何を してたでしょうか
アジアの歌姫、テレサ・テンが1986年に発表した「時の流れに身をまかせ」は、人と出会う奇跡や喜びを改めて考えさせられる言葉で始まる。
クラリネット奏者として活動をするなかで、この曲を幾度となく演奏してきた。
クラリネットで歌詞を伝えることはできないが、強力なパワーを持つメロディーと歌詞は、一瞬で聴衆を歌の世界に惹き込んでいく。
1989年、日本を愛し、何よりも香港を愛したテレサ・テンは、突然パリに移住する。同年に起きた天安門事件に彼女は大層心を痛めたという。
実は、テレサ・テンがパリで住んでいた2つの場所がいま私の住んでいる家からとても近いことが分かり、先日その場所を訪れた。
パリの街にはすべての通りに名前がつけられている。通り名を頼りに、曇り空が続く春のパリの街を彼女を想いながら歩いた。
最初に住んだといわれるフォブール・サン・トノレ通りは、凱旋門の見える大通りから1本入った場所にあり、少し陰った空気が漂っていた。1本入っただけ、すこし場所が変わるだけで空気感が変わるというのは世界共通であるもので、どこか冷たく暗い雰囲気が漂っていた。
しかし、そこから移り住んだといわれる、シャンゼリゼ通りと交わるモンテニュー通り周辺は、正確な住所こそ分からなかったものの、対照的な雰囲気だった。
セーヌ川が近く空気も澄んだこの通りのどこで彼女が暮らしたのだろうときょろきょろと辺りを見回しながら歩いた。手がかりでもあった「1階が高級店となっている」住居は以外と少なく、目ぼしい場所を見つけてはしばらく眺めていた。
わたしには京都府福知山市という愛する故郷があるが、どこに住んでも故郷を想う気持ちは変わらない。むしろ、離れれば離れるほど、その想いは強くなるように感じる。
テレサ・テンも、昔ながらの美しい街並みと緑が交差するパリの地で、香港への想いを更に強くしたのではないだろうか。
「時の流れに身をまかせ」を中国語で歌った歌からは、そんな愛溢れる彼女のやさしい想いが伝わってくるようだ。
ぜひ、日本語版と聴き比べてみてほしい。
2017.05.22
YouTube / MICHAEL LIM
YouTube / cheukwahp
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