作家のレーゾンデートル(存在意義)とは?
2009年2月、村上春樹サンがイスラエル最高の文学賞「エルサレム賞」を受賞した際に行なったスピーチに、こんな一文があった。
「もし、ここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます」
“壁” が、当時のイスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの侵攻を指し、“卵” が被害を受けた非武装の市民たちを指しているのは明白だった。村上サンは、作家にとって最高の栄誉とされる文学賞の授賞式に乗り込みながらも、自らの主張を世界へ発信したのである。
―― これぞ、作家だ。
もちろん、イスラエルの政策に反発して、ハナから受賞式に参加しない選択もあるだろう。実際、過去に受賞しながら、授賞式を欠席した作家は少なからずいた。だが、村上サンは敢えてスポットライトを浴びる選択をして、言葉を生業とする者らしく、言葉で訴えたのだ。最もその真意が伝わる場所とタイミングを吟味して。
メジャーな舞台と、弱者への視点――。それは決して矛盾するものではない。作家という職業は広く言葉が世間に伝わらないと意味がないし、自らの視点で小さな存在を浮かび上がらせてこそ、作家のレーゾンデートルである。
それは、あの人の作品にも散見される―― 先日、82歳で亡くなられた漫画家の水島新司先生の一連の作品である。
漫画家・水島新司が描いた、メジャーのなかのマイノリティ
代表作の『ドカベン』では、常勝・明訓高校の甲子園の華々しい活躍を描きつつも、その中心にいる主人公・山田太郎はそれまで野球漫画で日陰の存在とされた “キャッチャー” のポジションだった。
また、41年に渡り連載されたライフワークの『あぶさん』では、主人公・景浦安武は生涯ホークスを貫き、先生はあぶさんを通じて1970年代の南海時代から一貫して、当時セ・リーグの日陰の存在と言われた“パ・リーグ”を見つめ続けた。
そして、あの『野球狂の詩』では、前半は下位チームの悲哀や、スポットライトを浴びない “脇役の選手” たちの人間ドラマを描き、後半では、野球という競技にとって究極のマイノリティである―― “女性選手” に視点を当て、社会へ一つの仮説を投げかけた。
そう、日本人にとって最もメジャーなスポーツである野球を舞台にしつつも、水島先生の視点は常に、マイノリティに向いていた。その眼差しは優しく、そして温かかった。今回は、そんな先生の思い出を――個人的に最も影響を受けた『野球狂の詩』の水原勇気編を中心に、少し語りたいと思う。
架空の球団・東京メッツで活躍する女性投手「野球狂の詩」水原勇気編
“この作品を 野球を愛するすべての女性ファンに捧げます”
―― そんなエンディングの冒頭で映し出されるテロップも印象的なアニメ『野球狂の詩』は、1977年12月23日の夜8時から、フジテレビで特番として始まった。当時、アニメは夜7時台、それも30分枠が定番だったところに、夜8時台の60分枠は、かなり異例だった。
僕が水島作品に本格的にハマったのは、このアニメ作品からである。もちろん、その前から人気作の『ドカベン』には原作漫画で直接触れていたが(何せ、70年代後半は『少年チャンピオン』全盛期。『ブラックジャック』、『がきデカ』、『マカロニほうれん荘』らと並んで、『ドカベン』は人気連載だった)、正直そこまで思い入れはなかった。
一方、『野球狂の詩』は、『少年マガジン』の連載で、当時、マガジンは不人気だったので、そもそも原作を目にする機会がなかった。ちなみに、連載開始は1972年。当初は月1の読み切りの連作だった。セ・リーグの架空の球団・東京メッツを舞台に、齢53の超ベテラン投手の岩田鉄五郎を始め、個性あふれる “野球狂” たちを毎話一人ずつ取り上げ、その悲哀あふれる人間ドラマが描かれた。矢島正雄サンと弘兼憲史サンの『人間交差点』の野球版みたいな作風で、『野球狂』のディープなファンは、この前半の短編好きが多い。
実際、幼いころに生き別れとなった双子、火浦健と王島大介の奇妙な運命の糸が織りなす物語「北の狼・南の虎」は名作で、後に本編から独立して映画にもなったし、当て馬専用選手の悲哀を描いた「当て馬」とか、長島茂雄の熱狂的ファンの男が長島の引退試合と同日に行われた消化試合で生涯唯一のホームランを放つ「おれは長島だ!」とか、選球眼の良さだけが取り柄で星野仙一からサヨナラ四球を選んだ「どんじり」とか、泣かせる話も少なくない。僕はコミックで後から呼んだクチだけど、水島先生の野球愛を知るには、この前半部で間違いない。
―― とはいえ、個人的に僕がハマったのは、やはり水原勇気編なのである。
作詞は水島新司、堀江美都子が歌うエンディング曲「勇気のテーマ」
たたかいの広場に 男の広場に
咲いた可憐な 花ひとつ
ちいさな胸に秘めた闘志は
澄んだ瞳と決意のくちびる
堀江美都子サンの澄んだ歌声が印象的なエンディング曲は「勇気のテーマ」。作曲はアニメや特撮の主題歌を数多く手掛ける渡辺宙明御大で、作詞は水島先生ご自身である。薄もやの早朝を走る勇気のカットから始まり、全編、彼女の名シーンで構成される。紛うことなく名曲だ。
『野球狂の詩』水原勇気編は、簡単に言えば、女性が史上初のプロ野球選手になる話である。なんとシンプルで、引きのある “つかみ” だろう。これぞ企画のお手本。当時、僕は小学4年生だったけど、この単純明快なつかみで一気に引き込まれたのを覚えている。“優れたアイデアは10歳児にも伝わる”という格言は本当だ。
そして、もうオープニングから最高だった。こちらも作曲は渡辺宙明御大で、堀江美都子サンがスキャットで歌う。バックに東京メッツの個性あふれるメンバーたちが一人ずつ登場するが、声優名じゃなく、キャラクター名がクレジットされるのが面白い。この作品が群像劇だと分かるし、これからオールスターキャスト映画が始まるようで、ワクワクする。
積み重ねたリアリティ、南海時代の野村克也がアドバイス
特番の第1話は、ドラフトで東京メッツがいきなり高校生の水原勇気を1位指名するところから、物語が転がり始める。水原を推したのは岩田で、彼にはその非凡さが見えていた。だが、記者たちの誰も水原を知らず、後に女性と判明すると、球界を揺るがす大騒動に発展する。
俗に、優れた映画やドラマの脚本作りの鉄則として、「大きな嘘はついてもいいが、小さな嘘はついてはいけない」というものがある。水島作品が優れているのは、まさにココ。女性がプロ野球選手になる―― これは大きな嘘だ。でも、それを実現するために、どうすべきか?―― の部分で、水島先生はリアリティを積み重ねていく。
まず、そもそも体力も球威も男性に遠く及ばない女性が、プロ野球の世界で活躍できるのか? という問いには―― これは有名な話だけど―― 水島先生が球界の様々な選手に相談して、誰もまともに取り合ってもらえなかった中で唯一人、南海時代の野村克也サン(当時は選手兼監督)だけがこうアドバイスしてくれたという。「ワンポイントリリーフなら。特別な球を投げられるなら、うまくいくかも」――。
そして、野球協約だ。第83条には「球団は左にかかげる者を支配下選手にすることはできない。第一項 医学上男子でない者」と記してある。これも、ちゃんとプロ野球連盟のコミッショナーが見ている前で、オープン戦に水原を先発させ、掛布や田淵に打たれながらも(←ココ大事)、彼女が諦めずに投げ続ける姿を通して球団入りを認めさせている。ちなみに、原作では協約にこう追記される。「追加新条項=球団が特にみとめた者はこのかぎりではない」
アニメ版の第1話はここで終わる。球団入りが認められながらも、水原が打ち込まれて終わるのだ。なんというリアリティ。なんというカタルシス。この特番は大評判となり、レギュラー放送が決定する。但し、編成上の都合もあり、2話の放映は半年後の1978年5月に――。
水原勇気の登板は9回の1球リリーフ、決め球は “ドリームボール”
大きな心で ナインを信じて
明日へ向かって はばたけ
われらの天使 はばたけ
勇気 勇気 ドリームボール
レギュラー放送は25話まで作られたが、水原勇気編は11話で終了する。原作もそうだが、水原編は事実上、彼女のコーチを務めた “軍曹” こと、1軍半選手の武藤兵吉の話でもある。彼が思い描いた「ドリームボール」を勇気が猛特訓の末に編み出すが、本当にドリームボールが存在するのか―― が後半の話の柱になる。ある種の情報戦だ。このリアリティはすごい。
水原が登板するのは、決まって、9回時点でメッツがリードしているゲームの2アウト2ストライクの場面である。要は1球リリーフ。そこで決め球として “ドリームボール” を繰り出すが、相手チームはもちろん、メッツ内でもそれがドリームボールとは明かさない。水原と岩田と監督の五利の3人だけの秘密である。ところがある日―― それを見破った男がいた。かつて水原のコーチを務め、広島カープにトレードになった武藤である。
ラスト―― かつての師弟が対決する。水原は渾身のドリームボールを投げ、見事にそれを読み切った武藤は芯でとらえ、スタンドに運ぶ――。
水原編は、最後も打たれて終わる。この圧倒的なリアリティ。だが、水島先生は、時に負けることも含めて、自身の作品の登場人物に愛情を注ぐ。そして、いつものように本編のラスト、エンディングの前に、このテロップが画面を飾る。
“この作品を 野球を愛するすべての女性ファンに捧げます”
水島先生、素晴らしい作品をありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。
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2022.01.24