1987年のゴールデンウィーク、私は意気揚々として昭和女子大学の門をくぐった。といっても自他共に認める非モテ野郎の私だ。三軒茶屋のキャンパスに、彼女がいたわけでも、姉や妹がいたわけでもない。
しかし、そこには私の大好きなデイヴィッド・フォスターがいたのである。
のちにグラミー書を獲り、故郷カナダの冬季五輪テーマ曲まで手がけたフォスターだが、80年代の初期、J−ポップに最も影響を与えた一人でもあった。
ジェイ・グレイドンとのユニット『AIRPLAY』の多重録音やアレンジは、日本の歌謡ポップス関係者がこぞって真似をしたといわれる。あの林哲司も、フォスターを徹底的に研究したと音楽専門誌でのインタビューで答えているほどだ。
尾崎亜美や竹内まりやのアルバムをプロデュースしたり、Charの名盤『USJ』の録音に参加したりと、日本人の感性にも合う繊細な音作りの一方で、アメリカ人がいかにも好みそうなベタな曲(シカゴ『素直になれなくて』とかね)をやらせたら天下一品のフォスター。
彼こそ、Mr.ベタ曲と言ってもいいだろう。
そんなフォスターが日本の観客の前でパフォーマンスをする! フュージョン界の名ギタリスト=リー・リトナーと共演するライブが行われるというのだ。
今回を逃したら、もう二度と生フォスターは拝めないかもしれない(実際にはその後も何度か来日するのだが)。この日、私が昭和女子大の人見記念講堂へ足を運んだのは、そんな想いからであった。
さて、ライブを体験して驚いたのは、名前こそ共同名義になっているが、実際にはこの演奏プロジェクトの主はリトナーで、フォスターの方が低い扱いだったことだ。
フォスターの人気は日本が米国より先行していたとはいえ、当時すでにシカゴを見事に再生させ、EW&Fやホール&オーツのプロデュースで米国でも名をあげていた。それなのに脇役だなんて、とフォスター・フリークとして些か不満に思った記憶がある。
まだまだ音楽プロデューサーというものが、一般的には理解されていない時代だったのだ。
会場の様子といえば、クアーズが冠協賛をしていたせいか、ビールを飲みながらゆる〜く進行。正式な開演前にリトナーがギター教室みたいなのをやってたっけ。
そしてなんと、ロビーにフォスターがふらりと現われて、新譜を買った人にサインをしてくれたのだ。フォスターも観光気分で来日公演を楽しんでいたのだろう、上機嫌でサラサラとサインをしてくれた。彼のサインがどんなのか知らない人も多かろう。ここに公開しよう。
背が高くて、二枚目で、曲も最高のフォスターだが………
字はあんまり綺麗じゃなかった 笑。
2016.03.07
YouTube / QueenOfRockChannel
Live Coors Live / David Foster & Lee Rienour Special Project with Tim Feehan(1987)
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