1974年 10月5日

平成女子から見た昭和:「イタめし」と「ティラミス」とレストラン「キャンティ」

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長崎から出てきて、立教大学の入学式にアイビールックで臨んだずんぐりむっくりとした父と、モーターショーのナレーターとして活躍した後、商社の受付をしていた母の元に生まれた私は、バブルの残り香がほんのり香る家庭で育った。

週末になると、近場の店で外食をした。居酒屋の時もあればファミレスの時もある。それほど高級な店ではないけれど、ささやかな楽しみだった。

父が車を出すと、カーステレオから流れるのはユーミンの曲。当時はまだカセットだった。家族で今晩はどこに行こうなんて話してると、父が時々「イタめしにする?」なんて聞いて来た。その度に私は「焼き飯は嫌だなあ」とよく思っていた。

「イタめし」が「炒めたメシ」ではなく、「イタリアン」のことだと知ったのは、もう「イタめし」なんて言葉をほとんど聞かなくなってからのことだった。

わが家のもうひとつの楽しみは、ホームパーティーだった。決して豪邸では無いけれど、父の大学時代の友人や、行きつけだったイタリアンのマスター、職場の同僚などが集まって、わちゃわちゃとお酒を飲んだり食事をしている空間が大好きだった。

そんな時、いつもテーブルに並ぶのは母のお手製のティラミスであった。バブルの代名詞と言われた「イタめし」と「ティラミス」はバブル遺伝子として、明確に私の中に組み込まれているのである。

さて、前置きが長くなってしまったけれど、今日はバブルの象徴とも言われた伝説のイタリアンレストラン『キャンティ』について書きたいと思う。

私がキャンティについて知ったのは大学の先輩に、「あなたきっとこういうのが好きだと思うの」といって手渡された一冊の本であった。それは野地秩嘉氏の『キャンティ物語』だった。

キャンティは1960年4月に六本木の飯倉片町に開店したイタリアンレストランだ。創業者は川添浩史。当時まだ日本にはなかった、本格的なイタリアンレストランを、自分たちで作ってしまおうと発案したのは、妻梶子であった。

彼らがつくったキャンティは単に食事を提供するレストランとしてだけでなく、多くの芸能人、文化人たちの社交場(サロン)として機能していた。三島由紀夫、安部公房、コシノジュンコ、加賀まりこ、ムッシュかまやつ、坂本龍一など、名だたる文化人たちが通った。キャンティのモットーは「子供の心をもつ大人たちと、大人の心をもつ子供たちのために作られた場所」。

当時まだ八王子に住む中学生だった荒井由実は、こっそり家を抜け出して、キャンティで多くの文化的教養を身につけると共に、ここでデビューのチャンスを掴む。また、荒井由実は梶子に大変に可愛がられ、セカンドアルバム『ミスリム』のジャケットには梶子とのつながりを見ることができる。

ドレスを身にまとった荒井由実がグランドピアノに寄り添う姿を収めたショットだが、このグランドピアノこそが梶子のものだ。ちなみに撮影現場はキャンティのオーナー川添氏の家だという。さらに、ドレスを用意したのも梶子だ。荒井由実もまた梶子に大きな信頼を寄せていた。

また、キャンティで育った作詞家、安井かずみは、梶子のことを大変慕っており、彼女のファッションや、センスは、梶子によって磨かれたといっても過言ではなかった。

安井かずみは沢田研二の作詞を担当するだけでなく、ファッションや仕草のひとつひとつまでアドバイスをしていた。ジュリー像の確立には、安井かずみ、さらに彼女が慕った梶子の存在が、大きく寄与している。

その後、安井は加藤和彦と結婚し、安井の詞に加藤が曲をつける、夫婦共作の作品がほとんどになってゆく。2人の結婚生活は、その文化的で、国際的なライフスタイル自体が、憧れのコンテンツとして、人々を魅了した。

松任谷由実は、日本が豊かになってゆく時代を先頭に立ち引っ張っていった。日本中が文化と豊かさに溢れた時代であった。

私が80年代の文化が好きなのは、どこかに優雅でハイソな雰囲気があるからだ。「豊かさ」というものを享受しようという当時の日本国民の心意気が好きだった。

現代はインターネットを通じて誰もが発信者になれる、創作者になれる時代で、それもまた魅力的だ。しかし、今でも色あせない昭和の音楽や作詞、ファッションの世界が、たったひとつの、優雅なイタリアンレストランから始まったことを忘れてはなるまい。

一流の文化人たちが集まって、お互いに交流し、文化をつくっていった、あの頃のキャンティ。

その泉から溢れた水が日本を潤した70年代、80年代。令和を迎えた、今この時でもその雫が、22歳の私に確かに届いている。

先日、初めてキャンティに足を運んだ。練馬のイタめしと、母のティラミス、カーステレオから流れるユーミンで育った少女は、六本木の伝説のイタリアンで、ワゴンから幸福を選ぶ。時代は巡る。

変わらないものと変わりゆくものを見つめながら、私はこれから、どんな文化を作ってゆくのだろう。どんな文化を伝えてゆけるのだろう。文化は巡る。

昭和が終わり、平成が終わり、令和が始まった。

キャンティは、飯倉片山と西麻布で、今日も東京を見守っている。

2019.05.22
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