1974年 8月25日

5月16日は西城秀樹の命日 − ロック魂あふれる!熱きシングル曲10選

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西城秀樹が教えてくれた「ロック魂」


早いもので、ヒデキが逝ってもう4年になる。青山葬儀所で営まれた告別式に参列したファンは約1万人。私もその中の一人だった。出棺のとき「ブルースカイ ブルー」が流れ、天も気を利かせたのか、美しい青空になったのはいまだに覚えている。

ただ、あの日もそうだったが、ヒデキがいなくなった気がしないのは私だけだろうか? それは、在りし日の熱唱する姿が脳裏に焼き付いているからであり、その記憶は永遠だからだ。

実際、曲を聴けば、その勇姿が脳内で再生され、たしかにヒデキは生きている。ノスタルジーでも幻想でもなく、私の中でヒデキは今も“現在形”で歌っているのだ。

ヒデキには歌を通じて、愛や友情の尊さだったり、苦しいときも前を向いて生きていくことの大切さなど、いろんなことを教わった。その中の一つに「ロック魂」がある。

世間ではあまりそういうふうに認識されていないが、ヒデキはまぎれもなく「ロックヴォーカリスト」である。幼い頃から洋楽を聴いて育ち、バンドも結成。ドラマーでもあった。

またデビュー前にレッド・ツェッペリンを生で観たり、海外ロックアーティストのステージにも通い研究。今でこそ当たり前になったスタジアムでの大規模ライヴも、単独で行ったのはヒデキの大阪球場が最初である。

いち早く自分のステージに採り入れたロックパフォーマンスや最新技術


ヒデキは、ロックコンサートでのパフォーマンスや最新技術を、いち早く自分のステージにも採り入れていた。歌番組で、マイクスタンドをひっくり返して歌う歌手などそれまでいなかったし(1974年「薔薇の鎖」)、スモークを初めて観たのもヒデキが歌うシーンだった(同年「紅白歌合戦」)。

つまり、TVでヒデキを観ていたわれわれは、彼を通じて、知らず知らずのうちにロックスピリッツを脳内に刷り込まれていたのである。

ヒデキは、素晴らしいライヴ盤を何枚も遺している。彼が愛聴してきたロックナンバーも多数披露。それらを聴いてもらえれば、彼が単なる歌謡曲のシンガーでないことがおわかりいただけるはずだ。

また、ヒデキは甘口のバーモントカレーだけでなく、辛口のジャワカレーのCMにも出ていたように、甘いバラードだけではなく、ロック魂あふれるシングル曲も多数発表している。

今回、'70〜'80年代にリリースしたシングルの中から、個人的に大好きなロック系ナンバーを時代順に10曲選んでみた。命日を機に、ぜひヒデキの熱いロック魂に触れていただきたい。

情熱の嵐(1973年)




ヒデキ初のベスト10ヒットであり、出世作。イントロが始まって、いきなり「ウー!」「ウー!」の連発にシビれる。熱唱する前の “準備運動” なのか、まずは唸ってから歌い始める歌手を、私は当時初めて観た。

さらに画期的だったのは「♪君が望むなら〜」の後に「ヒデキー!」というコールを入れるための “間” が作ってあること。これでロックの世界では当たり前の、ファンも巻き込んだグルーヴを作ることに成功し、ヒデキの名前も一気に世間に浸透した。

ちぎれた愛(1973年)


ヒデキ初のオリコン1位曲。大仰なイントロから、だんだんアップテンポになり、熱唱が最高潮に達したところで、

 君をはなすもんか
 すきだ すきだよ すきなんだよ〜!!

…とセリフまで叫ぶ。

ヒデキが素晴らしいのは、安井かずみが書いたこのセリフを一切照れることなく、真剣に叫んでいるところ。歌の世界に没入しているからこそできることで、そこに私はロック魂を感じずにはいられない。ヒデキはこの曲でレコード大賞歌唱賞を初受賞。セリフ込みの絶唱スタイルは、のちに「傷だらけのローラ」にも継承された。

激しい恋(1974年)


「♪やめろと言われても〜」の後に続く独特のアクションも印象的だったこの曲。まず、ジャケットの表情とポーズに注目。なんでヒデキはこんなに力んでいるのかよくわからないが、このジャケットを若い世代に見せると、みんな口を揃えて「エモいっすね!」と言う。

さらに楽曲面で言うと、バンドをやっている人は必ず「ベースラインがエモい!」と言う。馬飼野康二の曲とアレンジも秀逸で、ヒデキのソウルフルなヴォーカルと相まって、歌謡曲でありながらとにかく黒っぽい。このエモさは、幼少時からR&Bを聴き込んで来たヒデキだからこそ醸し出せたのである。

傷だらけのローラ(1974年)


1974年、「薔薇の鎖」「情熱の嵐」に続く絶唱第3弾で、ヒデキの人気を不動のものにした傑作。「’70年代歌謡の金字塔」と言っても過言ではないだろう。

「ローラ〜!」と叫びまくるヒデキに心を撃ち抜かれたのは日本人だけではなかった。当時、日本でも大人気だったカナダ・ケベック州(仏語圏)出身の美少年歌手・ルネもこの曲に魅せられた一人。彼の仲介で仏語版のシングル「LOLA」が発売。カナダではチャート2位まで上昇した。ヒデキのヴォーカルは当時すでに世界水準だったことを強調しておきたい。

恋の暴走(1975年)


まず、タイトルが素晴らしい。ジャケットのヒデキは松崎しげるも顔負けの異常な黒さで、当時心配した記憶がある(笑)。今にして思えば、アイドルの枠を突き抜け、新しい地平に向かって “暴走” したいという意思表示だったのだろうか。

間奏で「ダイアナ」のフレーズが出て来たり、軽快な王道ロックンロールナンバーで、ヒデキもきっと歌っていて楽しかっただろう。「♪愛してはいけないか〜」とさんざ盛り上げといて、サビの「♪ダメに、ダメに、ダメになりそぉぉぉう〜」で奈落に墜ちて行く感じがたまらない。墜ちるのもまた、ロックだよね。

ジャガー(1976年)


イントロですでに、“つかみはOK”。そこへヒデキの「♪愛にいのち懸けたやつは誰だ」という強烈なフレーズが来て、女声コーラスが「♪ジャガ〜」とかぶせる。もうこの時点でお腹いっぱい。この曲、“アク” の強い阿久悠ワールド全開でもあるのだが、ヒデキが歌うと彼の言葉としてスッと入って来るから不思議だ。

前述したとおり、ヒデキは曲の中に没入して歌っているから、いくら大仰だろうと言葉に嘘がない。だから、この曲の聴きどころであるセリフ部分もすべて“本気”に聞こえる。なんてロックなんだ。…… しかし阿久センセイ、あなたが「君が死んだら俺は死ぬ でも俺が死んでも君は死ぬな!」なんて書くから、ヒデキファンは全員死ねなくなったじゃないですか。

ブーメランストリート(1977年)




私がタイトルを聞いて、曲の内容がすぐに想像できず「なんだそれ?」と衝撃を受けた2大ソングが、郷ひろみの「誘われてフラメンコ」とこの曲である。これも阿久ワールド全開だ。

「♪カリッと音がするほど小指をかんで」「♪ポキッと音がするほどからだを抱いて」って、ホントにやったら逮捕されるだろ! とツッコミたくなるが、ヒデキは主人公の女性になりきって、これまた真剣に歌う。ヒデキなら成立すると信じて阿久はこの突き抜けた詞を書き、ヒデキはみごとに歌い上げた。レッドゾーンを振り切ったロックな世界がここにある。

ギャランドゥ(1983年)


もんたよしのりがヒデキの家へ遊びに来たとき、勢いで作ったこの曲。「ギャランドゥ」は「GAL & DO」のことだという説もあるが、実際はもんたが曲に乗せて適当に口ずさんだ “英語っぽいワード” である。

でも意味なんて実はどうでもよくて、大事なのはスピリッツだ。ヒデキはどんな歌詞であろうと、魂を込めて真剣に歌うのは「走れ正直者」でもおわかりだろう。ヒデキが力を込めて「♪ギャランドゥ〜」と歌った瞬間、それはロックな言葉になる。

ナイト・ゲーム(1983年)


レインボーを脱退したグラハム・ボネットの「孤独のナイト・ゲームス(Night Games)」をカヴァー。オリジナルよりテンポが速く、疾走感満点。ライヴでもよく披露され、ファンの人気が高い曲である。

 酒につぶれ 抱いたお前は
 なんて美しい

… てなワイルドな歌詞もあったり、この曲ではヒデキの妖しい魅力が味わえる。聴きどころは、サビで4回出て来る「Night Games」の3回目。ここで一段高くなるところがイイ!「一緒に絶頂に達しようぜ」というね。そんな雰囲気をサラッと醸し出せるところにもまた、ロックを感じたり。

一万光年の愛(1985年)




『学万博つくば '85』開会式のテーマソングであり、記念すべきヒデキの50枚目のシングルである。荘重なパイプオルガンの音色で始まるこの曲、「♪あなたは一万光年の淑女(ひと)」と宇宙に向けて愛を歌う、スケールの大きすぎるロックだ。この曲を歌いこなせるのもまた、ヒデキしかいない。

またヒデキは、この曲の発売を記念して、これまでリリースしたシングル50曲を全曲歌うという前代未聞のコンサートを日本武道館で開催。何曲か選んで、ではなく、50曲全部歌うという心意気に、私は当時深く感銘を受けた。ヒデキはデビュー以来ずっとついて来てくれたファンに、お礼を言いたかったのだ。そこもまたロックではないか。


…… 以上、シングルから10曲選んでみたが、いろいろ制約の多い歌謡曲のメジャーシーンの中で、自分の愛するロックを可能な限り展開しようとした心意気、そこを感じてほしいと思う。

まだまだ他にもロックスピリッツあふれる曲は多数あり、ぜひアルバムやライヴ盤も聴いてみてほしい。ヒデキのロック愛を肌で感じられるはずだ。

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2022.05.16
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めぐみ
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2022/05/17 02:36
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カタリベ
1967年生まれ
チャッピー加藤
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