2023年 8月23日

クリエイション【竹田和夫インタビュー】④ 最大のヒット曲になった「ロンリー・ハート」

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『クリエイション【竹田和夫インタビュー】③ 内田裕也が日本のロックシーンに果たした功績』からのつづき

B'zの松本孝弘もカバーした「スピニング・トー・ホールド」


1969年、日本のロック黎明期に、16歳でブルース・クリエイションを結成。その中心メンバーとして活動し、70年代以降の「ニューロック」を創ってきたミュージシャン・竹田和夫。その音楽人生は、そのままニューロックの歴史でもある。

このたび、クリエイションが過去に発表したアルバムと、竹田のソロアルバム合計11枚が、本人の監修でリマスター、紙ジャケ・高音質SHM-CDでユニバーサルミュージック・ジャパンからリイシューされるにあたり、米国から帰国中の竹田にインタビュー。貴重な話を聞くことができた。今回はその第4弾を公開。

1977年3月、クリエイションはサードアルバム『ピュア・エレクトリック・ソウル』をリリース。そのB面1曲目に収録された曲が「スピニング・トー・ホールド」だ。日本語にすると「回転足首固め」で、プロレスの関節技の一つ。外国人兄弟レスラー、ザ・ファンクス(ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク)の得意技である。

その技をモチーフに、竹田が作曲したインストゥルメンタル曲「スピニング・トー・ホールド」は、1977年暮れからザ・ファンクスが入場テーマ曲として使用。すっかりポピュラーになった。B'zの松本孝弘もこの曲をカバーしているほどだ。また『笑う犬シリーズ』(フジテレビ)のコント「生きる」で、テリー&ドリーに扮する堀内健と原田泰造がこの曲で登場。「♪生きてるってなんだろ? 生きてるってなあに?」と歌詞をつけて歌っていたので、それで耳にした人も多いだろう。


――「スピニング・トー・ホールド」について伺いたいのですが、竹田さんはもともとプロレスが大好きだそうで?

竹田:もう、小さい頃からですね。力道山の頃から観ています。インストゥルメンタルって歌詞がないから、どんなタイトルをつけてもいいわけですよ。で、クリエイションは以前から、「インストゥルメンタル曲にプロレス技のタイトルをつける」という伝統があったんです。

―― そういえば、ブルース・クリエイション時代のアルバム『悪魔と11人の子供達』(1971年)にも「原爆落とし」「脳天杭打ち」という曲が入っていますね。

竹田:当時、普通に使われていた技の名前だけど、今にして思えば、「原爆落とし」ってとんでもないタイトルだよね。今だったらネットで叩かれまくるでしょう。あの頃はまだ牧歌的な時代だったんだね。

――「スピニング・トー・ホールド」の話に戻りますけど、なぜこの技をタイトルにしたのですか?

竹田:あの曲は、躍動感があってファンキーで、いかにも強い感じがしたので、当時好きだった、ドリー・ファンク・ジュニアの得意技をタイトルにしたんです。

―― ということは、ザ・ファンクスに依頼されて書いたのではなく、あくまでクリエイションのアルバム用の曲として書かれたということですよね?

竹田:そうですね。曲を作ったのが先で、彼らのテーマ曲になったのは後からです。

―― でも、好きなプロレスラーをイメージして書いた曲を、本人が入場曲に採用してくれたって、夢のような話ですね。その話を聞いてどう思いました?

竹田:嬉しかったですよ。好きなレスラーだし、NWAのチャンピオンだったしね。

―― 当時、ドリーとテリーには会いました?

竹田:あ、何回か会いました。いい人たちでしたよ。

―― 曲については、なんて言っていましたか?

竹田:彼らが滞在していたホテルで会いましたが、2人ともすごく喜んでくれてね。「君があの曲を作ってくれたのか! 何か面倒なことがあったら、いつでも俺たちのところに来い!」って言ってくれて(笑)。

―― 実際に会ってみて、やっぱり迫力とかすごかったですか?

竹田:そのとき覚えているのは、ドリーはね、何か書くときに、渡されたシャープペンシルを使えなかったんです。筆圧が強すぎて、芯を全部折っちゃうんだよね。「ソーリー! チェンジ、チェンジ!」って(笑)。あと、顔にタコがあったね。前の日に試合があったのか、「殴られダコ」なのかな。ドリーはすごく大きかったし、強そうだった。テリーもいい人だったし。

―― ザ・ファンクスの試合も生でご覧になったと思うのですが、会場で自分が演奏する曲を聴いたときは、どんな気持ちでした?

竹田: 毎年12月に武道館でチャンピオン大会があって、そこで聴きましたが、ドリーとテリーが出てきて、自分のギターが流れて…… もう、感無量でしたね。



ボーカリストとして新たに加わったアイ高野


「スピニング・トー・ホールド」で注目を浴びたクリエイション。80年代に入るとメンバーも刷新され、1980年5月、今回リイシューされた通算5枚目のアルバム『朝日の国』をリリース。このときのメンバーは、竹田和夫(G、Vo)、ギャリー・ブルワー(G、Vo)、ヒロ小川(B)、王子聡(D)、そしてボーカリストとして新たに加わったのが、元ザ・カーナビーツのアイ高野だった。

―― クリエイションの話に戻りますけども、アイ高野さんをボーカルとして正式メンバーに招いたのは、どういう経緯だったんですか?

竹田:その前に、1977年ぐらいから、彼と僕の2人で「竹田和夫オールスターズ」っていうバンドをやっていました。彼もその間、並行して自分のバンドもやっていたんですけど、やっと期が熟して「一緒のグループでやれるね」ってなったのが、この『朝日の国』からですね。

―― アイさんは、後期のザ・ゴールデン・カップスにも加入されていましたけど、付き合いが始まったのはその頃からですか?

竹田:その頃ですね。カップスに入った頃、1969年ぐらいに初めて会って、仲良くなったのは70年代頭ぐらいですね。

―― その前まで、竹田さんがボーカルも兼任されていましたが、新たにボーカルを入れようと思ったのは、ちょっと何か変えてみたい、ということでしたか?

竹田:そうですね。1人で歌うのも大変だし、やっぱり本分はギタリストですからね。ボーカルが別にいて、バンドでコーラスができる形を望んでいましたから。

―― で、ちょっと細かい話で恐縮ですが…… 81年から「クリエイション」の「イ」を、音引きの「ー」にして「クリエーション」に変えましたよね。これは何か理由があったんですか?

竹田:これはね、当時所属していたプロダクションの社長さんが姓名判断に凝っていたんです。「『クリエーション』のほうが売れるらしいよ」って言われて、気づいたらそうなっていました。

―― 姓名判断だったんですか!(笑) じゃあ、「クリエイション」が「クリエーション」に変わっても、別にこだわりはなかったということですか?

竹田:そうですね。気がついたら、って感じで、実際に改名して「ロンリー・ハート」が売れちゃったから、逆らえなくなったんです(笑)。僕は姓名判断とか信じていないけど。

クリエーション最大のヒット曲となった「ロンリー・ハート」


1981年4月、新生「クリエーション」は、シングル「ロンリー・ハート」をリリース。ドラマ『プロハンター』(日本テレビ系)の主題歌で、A面の詞は、作詞家の大津あきらが担当。竹田が作曲し、B面には英語バージョンが収録された。この曲はオリコン最高8位を記録。彼らの最大のヒット曲となった。



―― アイ高野さんが歌ってヒットした「ロンリー・ハート」ですが、この曲はドラマありきで書かれたんですか?

竹田:いや、そうじゃないんです。この曲はサイパンにいたときに書きましたが、アコギで作りました。最初は英語の歌詞でしたね。

―― それは、B面に入っている英語バージョンではなく?

竹田:あ、それとはまったく別の歌詞ですね。B面の英語バージョンは、A面の歌詞をもとに作られたものだったので。

―― ということは、はじめは全然違う内容の曲だったんですね。

竹田:最初に書いたときは、「トゥインクル・スター」っていうタイトルでした。サイパンで南十字星を見ていて、奇麗だなって思って書いた曲です。

―― で、竹田さんがサイパンで書いたその曲に、大津さんがドラマに合った別の日本語詞をつけたということですね。

竹田:ですね。このときはドラマの劇伴も頼まれたので、30曲ぐらいまとめて作りましたが、その中の1曲でした。これは作ったときから何か雰囲気が違うというか、「ポップだな」って思いましたね。

―― そのたくさん書いた候補曲の中から、「ロンリー・ハート」が選ばれたと。

竹田:主題歌を僕らが担当することになって、この曲に決まるまでは早かったですね。

―― もう英語の歌詞があるのに、新たに日本語の歌詞が乗るのは正直、抵抗がなかったですか?

竹田:でも、そのときドラマ用に作った曲の中では、この曲が最もテーマに向いているし、日本語向きかなと思いましたね。それにね、個人的にアイ高野が歌う日本語の歌が、すごく好きだったんですよ。なんかこう、独特のフィーリングがあってね。さすが、カーナビーツの大スターだな、っていう感じがしましたね。



―― 今回リイシューされた当時のライブ盤『ジャスト・アライヴ』をあらためて聴いたんですけど、アイさんが日本語で歌う「ロンリー・ハート」は最高ですね。オーディエンスも盛り上がっていますし。

竹田:そうですね。日本語の歌を聴いて、「いいな」と思うボーカリストは数少ないですけど、彼はそういう何かを持っていましたね。

(第5回につづく)

特集:Ultimate CREATION

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カタリベ
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