『クリエイション【竹田和夫インタビュー】④ 最大のヒット曲になった「ロンリー・ハート」』からのつづき
ロックファン以外にも広く名を知られるバンドとなった新生クリエーション
1969年、日本のロック黎明期に、16歳でブルース・クリエイションを結成。その中心メンバーとして活動し、70年代以降の「ニューロック」を創ってきたミュージシャン・竹田和夫。その音楽人生は、そのままニューロックの歴史でもある。
今年、クリエイションが過去に発表したアルバムと、竹田のソロアルバム合計11枚が、竹田本人の監修でリマスター。紙ジャケ・高音質SHM-CDの形で、ユニバーサルミュージック・ジャパンから3回に分けてリイシューされることになった。第1弾の3枚に加え、8月に第2弾の4枚がリリース。残り4枚は11月に発売される予定だ。今回、米国から一時帰国中の竹田にインタビュー。貴重な話を聞くことができた。今回はその第5弾を公開。
元ザ・カーナビーツのアイ高野がボーカリストとして加入し、新編成となったクリエイション(当時の表記は「クリエーション」)。1981年4月リリースのシングル「ロンリー・ハート」がドラマとのタイアップもあってヒットし、彼らはこれまで無縁だった『ザ・ベストテン』などの歌番組にも出演。ロックファン以外にも広く名を知られるバンドとなった。―― 私もそうなんですが、「ロンリー・ハート」で初めてクリエイションというバンドを知った人は結構多いと思うんです。それまで、いわゆる歌番組とかベストテン番組とは一線を画していたクリエイションが、そういう番組に出ることになって、竹田さんの中で何か変化はあったんですか?
竹田和夫(以下、竹田):アウェイっていうか、今まで自分がやっていた世界と違う、言ってみれば “芸能界” ですからね。 そこでまあ「おとなしくしていよう」というか、無事終わるようにと思っていました(笑)。
――「ロンリー・ハート」があんなに売れるって思っていました?
竹田:いや、全然そういうふうには思っていなかったです。ただドラマ主題歌については、それ以前にも「暗闇のレオ」(1978年、TBS系ドラマ『ムー一族』主題歌)や「ママ・ユードン・クライ」(1979年、TBS系ドラマ『家路』主題歌)とか、何本かやっていますからね。いわば “ブースターショット” っていうか、それをきっかけにライブを観に来てもらって、バンド活動の助けになれば、みたいな感じで引き受けていたんです。
―― では、「ロンリー・ハート」はまさにバンド名を広めるブースターショットになったわけですね。
竹田:そうですね。曲自体がすごくヒットするというのは初めてだったし、「これで他のレコードも聴いてもらえるな」とは思いましたけど、なんせ予想以上のセールスになったから。まあ、クリエイションというバンドを広く知ってもらえたことは、それはそれで良かったですね。
クリエイションは硬派なバンド、基本的な姿勢は変わらなかった
―― 予想外のヒットになったことで、バンドの方向性とか、何か変化はあったんですか?
竹田:クリエイションってもともと、割と硬派なバンドなんでね。基本的な姿勢は変わらなかったんですけど、アイ高野さんが一瞬、GSのスターだった頃を思い出してしまった、という時期はありました。でもすぐに「今はカーナビーツじゃないんだ」って思い直してくれましたけど。
―― その「スター時代を思い出してしまった」というのは、「もっと売れ線の曲を歌いたい」とか、そういうことですか?
竹田:ま、そうですかね。というか、アイさんはものすごくビッグな人だったから。カーナビーツ時代に不二家のチョコレートのCMに出ていて、明治チョコレートの沢田研二さん(当時ザ・タイガース)と張り合っていた、そのぐらいの大スターでしたからね。テレビとか出ると、当時の記憶がフラッシュバックしたんじゃないのかな。
―― たしかに、一つの時代を創った人ですもんね。
竹田:でも彼がいなかったら、僕らはテレビに出たって、芸能界の人たちとコミュニケーションなんか取れなかったですよ。アイさんは慣れたもので、スター歌手とも自然に接していたし、素晴らしかったですね。
―― それでも最終的にはバンドのボーカルに徹した、というところがまた素敵ですね。ところで、今回リイシューされたアルバムのうち、アイさんが在籍していた時期のライブ盤『ジャスト・アライヴ』(1982年)を改めて聴いてみたんですけど、音の良さに驚きました! あと、オーディエンスがすごくノっていますね。
竹田:実はね…『ジャスト・アライヴ』は新宿厚生年金会館ホールで演ったライブですけど、この日、僕は会場を勘違いして、中野サンプラザに行っちゃったんです(笑)。
―― エーッ!! やっちゃいましたねー。開演には間に合いましたか?
竹田:幸い間に合ったけど、このライブも内田裕也さんが関わっていて「舞台でマネキン人形を動かせ」みたいな話になってね。マネキンが動いている一方でドラムの台も動いてくるっていう、結構いろんな仕掛けがあったんですよ。音だけ聴いているとわかんないんだけど(笑)。
―― リハーサルが大変そうですね。
竹田:そう、そんな仕掛けがあって、リハが押したので、僕が会場に入るのが遅れてもなんとか間に合ったっていうね。
―― じゃあ、そのときの音源なんですね、この『ジャスト・アライヴ』は。
竹田:そうなんです。だからこのアルバムを見るたびに「ああ、会場間違ったな」って思い出すんですよ(笑)。
1984年、バンドの解散を発表。新バンド竹田和夫&Boys On Rocksへ
今回のリイシューでは、まず第1弾として『スタジオ・ライブ!』(1979年)『朝日の国』(1980年)『ジャスト・アライヴ』の3枚がリリース。いずれも初CD化で、アイ高野在籍時のアルバムが高音質で聴けるようになったのは喜ばしい限りだ。
8月にリリースされた第2弾は、『ロンリー・ハート』(1981年)『Running On』(1982年、初CD化)に加え、竹田のソロアルバム『ミスティ・モーニング・フライト』(1978年)『SOMETIME-BLUES』(1982年、初CD化)の4枚。70年代後半から80年代前半にかけての、竹田の充実ぶりが窺える。
そして1984年、クリエイションでの活動にひと区切りつけようと、竹田はバンドの解散を発表した。―― 1984年のクリエイション「解散」ですが、これは竹田さんの中で、それまでの活動にひと区切りつけよう、ということだったんですか?
竹田:そうですね。当時、すごく曲がたまってきたんですよ。自分でも納得のいくいい曲がたくさんできたんですけど、クリエイションもずいぶん長くやってきたんで、そのイメージとは違う新しいバンドでやってみたい、という思いがだんだん強くなってきたんですね。
―― その新バンドというのが “竹田和夫&Boys On Rocks”(1987年〜1991年)ですね。
竹田:Boys On Rocksでアルバムを3枚出したんだけど、あの時期にロックバンドとしては本当に完成したかな、と思ってますね。
1997年に渡米、ロサンゼルスを拠点に活動
―― その後もいくつかバンドを結成したあと、1997年に竹田さんは渡米、ロサンゼルスに拠点を移しました。移住した理由はなんだったんですか?
竹田:それも、クリエイションを解散したときと同じで、日本での活動にひと区切りつけて、アメリカでリフレッシュして活動したいな、っていうことですね。行くときは「10年ぐらい居るかな」と思ったんですけど、気づけば今年で26年ですよ。結構長いですね。
―― ロンドンに住んだこともある竹田さんですが、移住先をアメリカにしようと思ったのはなぜですか?
竹田:それは当時土地勘もあって、ロサンゼルスによく行っていたんですね。知り合いも大勢いましたし。
―― 今は、ロスのどの辺りに住んでらっしゃるんですか?
竹田:今は、現地では通称「バレー」って言うんですけど、サン・フェルナンド・バレーっていう、ハリウッドのちょっと北のほうです。
―― そこにした理由というのは?
竹田:そこはね、映画関係者とかミュージシャンとか、そういう人たちが多いところなんですよ。で、山の上の方で、ホコリっぽくなくて環境もいいんですね。日本人はトーランスっていう、ロサンゼルス国際空港の南側にある街にいっぱい住んでいます。便利だから。でもその辺はちょっとホコリがいっぱい出て、住みやすくはないですね。
僕がいるところには、日本人はあまりいません。人口はそれほど多くなくて、割とのんびり暮らせるところです。でもライブハウスはいっぱいあってね。割といい音楽も聴けるし、プレイするのもやりやすいんですよ。
―― 竹田さんのように、外国出身の人でロスのライブハウスを回っているミュージシャンは、他にもいるんですか?
竹田:ジャンルこそ違いますけど、例えばセッションプレーヤーをやっている若い人も何人かいますよ。テレビに出ている人もいるしね。ほとんど知り合いですけど。ジャズもロックも、あとはスタジオプレーヤーみたいなのとか、ロサンゼルスは割と多いですね。ギターに限らず、各楽器のプレーヤーがいますね。
―― 向こうでは、どういう曲を演っているんですか?
竹田:しばらくはジャズブルースっていうか、ジャズ系の曲が多かったんですけど、最近はもうちょっとブルース寄りか、ロックが好きですね。カントリーも好きだけど、どっちかっていうと「ジャズ系はもういいかな」って感じです。
―― お客さんは何歳ぐらいの方が多いのですか?
竹田:50代ぐらいから、それより上の世代ですね。
―― そうすると、昔の曲も演奏したりします?
竹田:そうですね。ただ日本とアメリカだと、好きな曲とか、お店の流れとかが割と違いますけどね。まあでも、気楽にやっているって感じかな。
(第6回につづく)
特集:Ultimate CREATION
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2023.09.09