1995年 5月8日

時には起こせよムーヴメント!俳優 浜田雅功が演じてみせたサラリーマンへの応援歌

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H Jungle with tのシングル「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント〜」7週連続1位獲得日
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連載【新・黄金の6年間 1993-1998】vol.28
WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント〜 / H Jungle with t
▶ 作詞:小室哲哉
▶ 作曲:小室哲哉
▶ 編曲:小室哲哉・久保こーじ
▶ 発売:1995年3月15日

芸人と役者の組み合わせ、その道の最高傑作はダウンタウン


お笑いコンビで最強の組み合わせは、芸人と役者である。

古くは、コント55号がそうだった。根っからの芸人気質の萩本欽一と、もともと歌手志望で、後に俳優業にも進出した坂上二郎。欽ちゃんの作りだす、ある種の狂気の世界に、ある日突然巻き込まれた二郎さん演ずる “小市民” の構図から、数々の名コントが生まれた。

今なら、博多華丸・大吉がその代表格だろう。漫才のネタを作り、絶妙なトークで笑わせる芸人・大吉先生に対して、モノマネが得意で、ドラマ『めんたいぴりり』などで俳優業もこなす華丸サンはその名の通り、人を惹きつける “華” がある。そんな2人の絶妙なコンビワークが、人を傷つけない独特の笑いの世界観を生む。

海外に目を向けると、あのブルース・ブラザーズの2人もそうだった。マシンガンのように全身から笑いのオーラを放つ天才ジョン・ベルーシに、一歩引いて絶妙の間で笑わせる相棒ダン・エイクロイド。思えば、ベルーシが人気絶頂時に33歳の若さでドラッグ中毒死したことも、その伝説に拍車をかけた。ちなみに、彼の死後、エイクロイドが脚本と主演の1人として大ヒットした映画が『ゴーストバスターズ』である。

かように、時に狂気のような笑いのオーラを放つ根っからの “芸人” に対し、与えられた役割を絶妙にこなしつつ、ある種のスター性も併せ持つ “役者” の2人のコンビワークが、最高の笑いを生む。ならば、彼ら2人こそ、その道の最高傑作ではなかろうか。―― ダウンタウンである。

そう、ある種の修行僧のように笑いの道を探求する天才芸人・松本人志と、天性のスター性を有し、時に俳優や歌い手としても与えられた役柄をナチュラルにこなす浜田雅功――。思えば、「結果発表~!」のコール1つで、あれだけ場を盛り上げられる御仁は、世界広しと言えども、浜ちゃんくらいしかいない。

Wミリオンの大ヒットを記録した「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント〜」


少々前置きが長くなったが、今回はそんな生まれもっての “役者” 気質の浜田雅功サンの話である。時に1995年3月15日―― かの小室哲哉プロデュースで、H Jungle with tとして「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント〜」(作詞・作曲:小室哲哉)でデビューすると、いきなりWミリオンの大ヒット。そして今日、5月8日は、同曲が29年前に7週連続オリコン1位に輝いた記念すべき日に当たる。ちなみに、同曲以降、7週連続1位曲は現れておらず、邦楽史上最後のメガヒットとも――。

 たまにはこうして肩を並べて飲んで
 ほんの少しだけ立ち止まってみたいよ
 純情を絵に描いた様なさんざんむなしい夜も
 笑って話せる今夜はいいね…

振り返ると、ダウンタウンが東京へ進出したのが、1988年である。深夜番組の『夢で逢えたら』(フジテレビ系)を皮切りに、89年には『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ系)や『笑っていいとも!』(フジテレビ系)をレギュラーに加え、91年には『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系)でゴールデン帯に進出。92年には日本テレビ系の『24時間テレビ 愛は地球を救う』の番組パーソナリティ(メインMC)に起用されるなど、あっと言う間に全国区の人気を獲得した。それと並行して90年代初頭、浜ちゃんもピンで俳優活動を始める。

手始めは、1991年4月、『パパとなっちゃん』(TBS系)で演じた気さくな配達員だった。同年10月には、『ADブギ』(TBS系)に出演。同ドラマで脚本家の遊川和彦氏と出会うと、以後、『十年愛』『もしも願いが叶うなら』『人生は上々だ』と立て続けに同局で遊川脚本ドラマに起用される。中でも『人生は上々だ』ではとうとう主演を務めるまでに――。ちなみに、同ドラマのキャストの2番手が木村拓哉だった。

「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」で起こった事件とは?




1994年10月17日、ダウンタウンは初めて音楽番組の司会に就く。『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』(フジテレビ系)である。メインゲストを “ミュージックチャンプ” と呼んだり、「誰やねん?」と称して新人アーティストを発掘したりと、毎週4〜5組のゲストを曲だけでなく、厚めのトークで紹介するのが持ち味だった。そう、同番組の最大の見せ場はダウンタウンのトーク。それゆえ、番組立ち上げ時にプロデューサーを務めた水口昌彦氏はこんな言葉を残している。「この番組で最も重要なゲストは、ダウンタウンです」。

そして、事件は番組が始まって3週目の10月31日に起きる。その日のゲストはtrf(現:TRF)や篠原涼子サンら。そして、彼らをプロデュースした小室哲哉サンがミュージックチャンプだった。ソファーに座っての囲みトークは、まずtrfの5人と小室サンが呼ばれ、続いて “篠原涼子 with t.komuro” として、篠原サンと小室サンが並んで座った。時に、「恋しさと せつなさと 心強さと」が大ヒット中である(最終的にWミリオン)。当時、篠原サンとダウンタウンの2人は『―― ごっつええ感じ』で共演する仲であり、冗談交じりのトークが進む。その最中、運命の発言が飛び出したのだ。

松本「小室さん、手ぇ一杯でしょ。trfとか篠原涼子とか…」
小室「もう、手一杯で…」
浜田「僕らにも書いてもらえませんか」
松本「俺ら、坂本龍一ファミリーやないか!」

ドッと観覧者の笑い声。よくある賑やかしのトークである。だが、次の瞬間、これに小室サンが意外な反応を示す。

小室「僕がもしも… 頼まれたら、断れないですから…」
松本「それは、頼めって言うてるようなもんじゃないですか!」
浜田「(立ち上がって)よろしくお願いします」
小室「だから、頼まないでくださいって…」

トークはそれで終わった。この時点では、視聴者の誰もが冗談かと思っていた。だが、この瞬間、今日の僕らが知るように「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント〜」のプロジェクトの火ぶたが切って落とされたのである。公式には、この後、吉本興業が正式に小室サンにオファーしたことになっているが、恐らく番組に出演する前から、双方の合意があったのだろう。

フジテレビとしては、スタートしたばかりの番組からヒット曲が生まれたら、これほど美味しい話もない。それは吉本興業側も同様である。一方、小室サイドやエイベックスとしても、人気絶頂のダウンタウンと仕事ができれば、これはこれで美味しい。番組を通してのプロモーションも期待できる。実際、番組の囲みトークで小室サンが発した「頼まれたら断れない」の台詞は、松ちゃんの言う通り、「頼んで」と言ってるのと同義語だった。

翌95年の年明けにはデモテープが完成、そのスピード感は全盛期の小室マジック


かくして、同プロジェクトはスタートした。そして、翌95年の年始にはデモテープが完成する。この辺りのスピード感は、全盛期の小室マジックである。ちなみに当時、彼が手掛けていたアーティストは前述のtrfと篠原涼子に加え、観月ありさやhitomi、内田有紀らがいた。

浜ちゃんのレコーディングは1月中旬、小室サンの自宅スタジオで行われ、わずか数テイクでOKが出たという。その後、番組の現場で録音した松ちゃんの台詞を足したりして、ロンドンでミックスダウンを行ない、楽曲が完成する。ユニット名は当時、小室サンが傾倒していた “ジャングル”―― ドラムやベースのリズムトラックをサンプラーに取り込み、並べ替えたものを早回しで再生する技法に由来する。同曲で言えば、間奏で松ちゃんが発する “BUSAIKU HAMADA” のつぶやきの後のパートがそう。

2,000万人のサラリーマンが共感しWミリオンを獲得




「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント〜」は、3月15日にリリースされると、早くも同月27日にはオリコン1位となり、前述の通り、5月8日まで7週連続1位を続けた。ヒットの要因は、テレビの口約束から生まれた話題性と小室プロデュースのブランド力、最新の “ジャングル” を取り込んだ音楽の先進性など様々な要因が考えられるが、最も人々の共感を得たのが、“歌詞” だった。

 温泉でも行こうなんて いつも話している
 落ちついたら仲間で行こうなんて でも
 全然 暇にならずに時代が追いかけてくる
 走ることから 逃げたくなってる

元来、小室サンが得意とするのは、女性アーティストのプロデュースである。彼女の声質に合う音を作り、彼女の気持ちを代弁するような詞を当てる―― すると、まるで本人の心から湧き出たような楽曲が生まれ、大ヒットする。それが、小室マジックだった。だが、同曲は小室サンには珍しい男性の歌い手のプロデュース。驚くべきことに、そこでアウトプットされたものは、まるで世の男性の気持ちを代弁するような、普遍的なサラリーマンへの応援歌だった。そして―― それを “俳優” 浜田雅功が実に自然体で演じて(歌って)見せたのだ。

 Hey Hey Hey 時には起こせよムーヴメント
 がっかりさせない期待に応えて素敵で楽しい いつもの俺らを捨てるよ
 自分で動き出さなきゃ何も起こらない夜に
 何かを叫んで自分を壊せ!

同曲は売れに売れた。リリース前、浜ちゃんは「こんなん10万枚も売れんやろ」と自らの力不足に落ち込んだと言うが、結果はWミリオン。実は、小室サンには初めから勝算があったという。それが、前年の94年秋に発売され、同じくWミリオンを達成した松ちゃんのエッセイ「遺書」(朝日新聞出版)の存在だった。小室サンは同書をダウンタウンのコアなファン200万人が購入したのではなく、2,000万人の大衆が興味を抱き、そのうちの1割が購入したと読んだ。結果として、その読みは正しかった。

 流れる景色を必ず毎晩みている
 家に帰ったらひたすら眠るだけだから
 ほんのひとときでも自分がどれだけやったか
 窓に映っている素顔を誉めろ

そう、俳優・浜田雅功が歌う(演じてみせる)サラリーマン応援歌は、大衆の胸に刺さった。2,000万人のサラリーマンが共感し、そのうち1割が実際にCDを購入した。7週連続オリコン1位とWミリオンの正体は、そういうことである。

新・黄金の6年間とは、1993年から98年に至る6年間、ニューカマーたちが次々とビッグヒットを放った現象を指す。キーワードは「スモール」「フロンティア」「ポピュラリティ」―― 即ち、彼らは比較的少人数で動き、新しい分野に挑み、直接大衆に語りかけた。

思えば、当時サラリーマンだった僕も、その2,000万人のひとりだった。

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2024.05.08
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カタリベ
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