2023年 11月3日

「ゴジラ −1.0」を観たアナタにお勧め!若き黒澤明監督の純愛映画「素晴らしき日曜日」

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終戦間もない時代を舞台にした「ゴジラ −1.0」と「素晴らしき日曜日」


国内のみならず海外でも大ヒットを記録し、アカデミー賞の視覚効果賞受賞という快挙まで成し遂げた『ゴジラ −1.0』。私は本作を初見した時から、主人公の敷島浩一(演:神木隆之介)と大石典子(演:浜辺美波)が、映画『素晴らしき日曜日』の主人公2人の姿と重なってならなかった。

ーーー『素晴らしき日曜日』とは、“世界のクロサワ” こと黒澤明監督が昭和22年に発表した作品で、まだ焼け跡の残る当時、2人合わせて持ち金が35円しかないカップル、雄造(演:沼崎勲)と昌子(演:中北千枝子)の悲喜こもごものとある日曜日を描いている。

「ゴジラ −1.0」で描かれた敷島の心の傷とは


後世に生きる私たちが軽々しく憶測できる話ではないが、終戦直後の若い男性は、誰もが、多かれ少なかれ暗中模索の不安の中で生きていたに違いない。中でも、悲惨で理不尽で異常な戦場を経験し、命からがら生き延びた人たちは、価値観が180度変転した終戦後、心身ともにどのような状態だったことか。同様に、銃後を守ることで戦争を経験した女性の心身状態も想像を絶している。長く苦しい戦争が終わり、復興へと向かう希望もあっただろう。しかし、誰もが行き場のない不安に見舞われていたのではないだろうか。

『素晴らしき日曜日』の中で、すっかり自暴自棄になっている雄造が戦争中にどんな経験をしたのかは語られていないが、『ゴジラ −1.0』では、主人公・敷島の戦争による心の傷が明確に語られている。それは、”特攻隊員であるにもかかわらずお国のために死ぬことから逃げたこと”、そして “自分の弱さのために救えるはずの命を救えなかったこと” による。そして終戦を経ても敷島は、そんな自分は “生きてはいけない存在” であると、自らを責め続けている。

彼らを支えるヒロインは、昌子も典子も、なんとか相手の男を立ち直らせようとひたすら心を寄せており、その健気さはヒロインの鑑といえよう。雄造同様、昌子の過去は描かれていないが、典子は敷島と同じく空襲によって両親を亡くしている。しかも自分の目前で「生きろ」と言い残し両親が焼死するという悲惨な経験をしているのだ。だからこそ自分を “生きてはいけない存在” とする敷島を典子は、怒りにも似た感情で強く励ますのである。




「素晴らしき日曜日」は人生の縮図


過酷な終戦直後、『素晴らしき日曜日』で描かれている日曜日はまるで人生の縮図のようである。辛いことが起こり、もうダメだと追い詰められた時に、ふと救われるような出来事が起こる。そしてしばし平穏な状態が続きホッとしていると、またアクシデントが起こり打ちひしがれる。その繰り返し。

これからもきっと、雄造を打ちのめすことが起こるだろう、しかしその度ごとに自暴自棄になりながらも、昌子と手を取り合って生きていくだろうと、明るい展望を思わせて物語は幕を降ろす。つまり『素晴らしき日曜日』で描かれている1日は、プラスとマイナスが目まぐるしく乱高下し、ラストではまぁプラス… かな? という余韻を残して終わる。

一方『ゴジラ −1.0』の敷島には、典子、そして血の繋がらない赤ん坊の明子と送った家族水入らずのような小さな幸せな日々も束の間、それら全てを帳消しにするような試練が次々と襲いかかる。その試練の過酷さは、『素晴らしき日曜日』の雄造にふりかかったものの比ではない。敷島のそれはプラスとマイナスの乱高下どころか、タイトルが示す通りひたすらマイナス、マイナス、マイナス、なのである。そしてその過酷な状況の中、『ゴジラ −1.0』は “敷島の物語” としてラストに向け大きなうねりを見せていく…。

ーー このように、両作は共に戦後の混乱期に身を寄せ合って生きる若い男女の姿を描いているが、キャストもスタッフも全員が戦争経験者だった『素晴らしき日曜日』に対し、当然ながらほぼ全員が戦後世代である『ゴジラ −1.0』では、当時を舞台に描くアプローチの仕方が異なるのは当然のことである。しかしながら、生きることが精一杯だった時代の、ひたむきな登場人物たちによるドラマを描こうとした姿勢は、両作とも確実に相通じるものがある。そして、それはストレートに私たちの心を打つのである。




「素晴らしき日曜日」に突如ゴジラが登場したら?


しかし、『素晴らしき日曜日』と『ゴジラ −1.0』には大きな相違点がある。それは言うまでもなく “ゴジラ” という過酷な存在の有無だ。唐突な妄想だが、『素晴らしき日曜日』の雄造と昌子の前に、突如ゴジラが登場したら、物語はどのように動いただろうか?

将来は庶民の味方として、廉価でコーヒーやデザートを提供する店を開くことを夢見ている雄造と昌子は、跋扈(ばっこ)するゴジラに怯えながらも一念発起し、困窮する人たちのために何とかして材料費を捻出し、炊き出しなどを始めたかもしれない。また、ゴジラの出現によって、人々が思いも寄らぬ形でその絆を深めることもあろう。『ゴジラ −1.0』においても、まさにその点こそがドラマの根幹であったのではないか。ならば『素晴らしき日曜日』の雄造と昌子も、ゴジラから逃げ惑いながらもさらに絆を深め、数々の困難を乗り越えてその後は素晴らしき人生を送った、と想像したい。

思えば私たちが生きていく上で、たとえゴジラには立ち塞がれずとも、人生の過酷さに思わず立ちすくんでしまう経験をしない人はいない。
もうダメだと打ちひしがれてしまうことも必ず起こる。しかしながら、「でももう少し頑張ってみようか」と思わせてくれる “日曜日” は必ず来る。たとえそれが7日に1日だけであっても、“Sunday” すなわち太陽の光が燦々と照りつける ”日曜日” が必ず訪れるからこそ、私たちは歯を食いしばってでも生きて行けるのだ。

両作に登場する、敷島も典子も雄造も昌子も、さまざまな葛藤の末に「生きていこう」という決意を新たにした人である。それゆえに観客はその姿に強く共感するのだ。

ーー そんなことに想いを馳せながら皆さんも『ゴジラ −1.0』共々、いにしえの佳作『素晴らしき日曜日』をご覧になってみてはいかがだろうか。こんな鑑賞の仕方をお勧めしたら、生誕114年を迎えられた天国の黒澤明監督からは「余計なことをするんじゃないよ!」とお叱りを受けるかもしれないが…。

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2024.03.23
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カタリベ
1967年生まれ
使徒メルヘン
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