【1996年は名曲の宝庫】vol.3
悲しみの果て / エレファントカシマシ
デビュー当時異端の存在だったエレファントカシマシ
エレファントカシマシは東京・赤羽台の中学のクラスメイトで結成された4人組バンド。CBS・ソニー主催の『SDオーディション』に入賞したことでデビューのきっかけを掴む。そして1988年3月にEPICソニーよりアルバム『THE ELEPHANT KASHIMASHI』、シングル「デーデ」でデビュー。当時のエレカシは、なかなかに異端の存在だった。
有名な話だが、ライブでは客電が点灯されたまま。オーディエンスは終始着席、曲が終わり拍手をするとボーカルの宮本浩次に注意をうける…… というかなり緊張感のあるライブが行われていた。これは宮本の芸術に対する美学や若いころのフラストレーション、衝動など色々な要因があり、良いとか悪いとかいう話ではない。ただ、一定数のコアな男性ファンはついていたが、なかなか世間一般にその魅力は伝わらず、売れない日々が続いた。そして、1994年5月にリリースした7枚目のアルバム『東京の空』のリリースをもってEPICソニーとの契約が終了してしまう。
起死回生の1曲「悲しみの果て」
しかし、エレファントカシマシはあきらめなかった。下北沢などのライブハウスで地道に活動を継続しながら楽曲制作を続けていったのだ。また、この時期あたりからライブのやり方を変え、MCでは観客に優しく語りかけるようになっていく。楽曲面でもシニカルな歌詞から、明日への希望や優しさを歌い、リスナーに寄り添うような歌詞へと変化していった。
そして、デビュー当時から彼らの才能を買っていたロッキング・オンの渋谷陽一、山崎洋一郎らの尽力もあって新たな事務所、レーベルと契約を結ぶことに。1996年4月、ポニーキャニオン移籍後初リリースとなったシングルが起死回生の1曲「悲しみの果て」だった。
ネットやサブスクが身近にあって、インディーズでの活動が容易な現代の音楽シーンとは状況が違い、メジャーレーベルから契約を打ち切られるというのは絶望的なことだったかもしれない。そう、実際にそんな “悲しみの果て” を経験し、地獄をみた彼らだからこそ作れた名曲であり、よりいっそう説得力があるのだ。「♪涙のあとには 笑いがあるはずさ」「♪悲しみの果ては 素晴らしい日々を 送っていこうぜ」という歌詞には彼らの人生が刻み込まれているようだ。
歌の力の大きさを改めて実感したエレカシのパフォーマンス
2011年3月27日、東日本大震災のチャリティー番組として、フジテレビ系で『FNS音楽特別番組 上を向いて歩こう〜うたでひとつになろう日本〜』が生放送された。さだまさしや松任谷由実など合計27組のアーティストが歌で国民にエールを送る中で、筆者の記憶に色濃く残っているのが、エレファントカシマシのパフォーマンスだった。
—— おれたちの希望の歌だと思って歌ってる歌です。
宮本が神妙な面持ちでそう言って歌いはじめたのが、この「悲しみの果て」だった。経験したことのない大災害に遭い、不安で胸がいっぱいだった日本国民へ向けての最大のエール。どれだけ多くの人々がこのパフォーマンスで勇気づけられたことだろうか。歌の力の大きさを改めて実感した瞬間でもあった。
僕たちがこれから生きていく未来はきっと楽しいことばかりではない。そんなことはわかりきっている。だが、どんなに悲しいことがあったとしても、エレファントカシマシの「悲しみの果て」さえ聴くことができれば、僕らは未来に一歩足を踏み出すことができる気がする。人間の営みに悲しみが存在する限り、エレカシの「悲しみの果て」はこれからも世代を超えて、僕たちに希望を届けてくれるだろう。
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2026.07.05