The Sweetest Taboo / Sade「スムーズオペレーター」の大ヒット。根強いシャーデー人気の理由とは?
2010年代後半から2021年まで、都内某所にてレコードバーを経営していた。おおよそ1960年代から1990年代の洋楽ヒットソングをアナログレコードで聴くことができるというのを売りにしていた店だったが、店内BGMを店頭にてかけていると当然のようにリクエストを受けるのだが… 20代から50代まで幅広い層から、そしてコンスタントにリクエストされたアーティストといえば、それはもうシャーデーが実に多かったという印象だ。
アース・ウィンド&ファイアー、レッド・ツェッペリン、デヴィッド・ボウイといった定番洋楽アーティストらにも勝るとも劣らない、しかも頻繁に老若男女からのリクエストを受けていたのがシャーデーだった。
シャーデーの一般的に知られるヒットソングといえば、初のワールドワイド・ヒット
「スムーズ・オペレーター」(1985年全米シングルチャート5位)、それに続く「スウィーテスト・タブー」(1986年同5位)の2曲が断トツだろう。それらに次いで「ユア・ラヴ・イズ・キング」(1985年)、「パラダイス」(1988年)、「キス・オブ・ライフ」(1992年)といったヒットシングルとなるだろうが、おおよそこれらの大小ヒットソングは、頭4枚のアルバム、
■ ダイアモンド・ライフ(1984年)
■ プロミス(1985年)
■ ストロンガー・ザン・プライド(1988年)
■ ラヴ・デラックス(1992年)
―― に収録されている。
寡作で知られるシャーデーではあるが、2000年代以降は『ラヴァーズ・ロック』(2000年)、『ソルジャー・オブ・ラヴ』(2010年)をリリース、今のところ計6枚のアルバムを残す。日英米で根強い人気をいまだ継続、特に日本では往年の洋楽ファンの口の端にのぼり続けるシャーデーの支持確立時期は、ファーストから4枚のアルバムリリース期となった1984〜1992年のころだったのは間違いない。
こういった根強いシャーデー人気、その根幹的要因はどこにあるのだろうか。1980年代中盤の洋楽ヒットを代表するような2大メガヒット「スムーズ・オペレーター」「スウィーテスト・タブー」を輩出したというのはもちろん最も大きな要因かもしれない。あるいはバンドの紅一点リードシンガー、シャーデー・アデュの、美しくも妖艶ながらも “強さと知性” を感じさせる凛としたルックスというのも大きな要因だろう。
本場USのソウル/ヒップホップ畑における(良い意味での見た目的な)アデュ支持は、国外の我々には計り知られないほど厚いものがあるようで、そこから発展していわゆるミュージシャンズ・ミュージシャン的立ち位置までをも確保している節が見られる。そしてもうひとつ見逃せないのが、真の意味での “UKソウル” をコンテンポラリー感を伴う形で体現・確立したこと―― ではないだろうか。
UKソウルの追い風の中立て続けに放った「スムーズ・オペレーター」「スウィーテスト・タブー」の2大ヒット
UKソウルという言葉がささやかれ始めたのは、1980年代前半ころから。もちろんソウルミュージックというのは、アフロ・アメリカンがロックンロールを基盤として1960年代以降にクリエイト・確立した音楽で、その本場はアメリカであることは明らかだ。
文字通りUKアーティスト(主にUKへの移民たるブラック層)によるソウルミュージックこそがUKソウルということになるが、その源流はというとブリティッシュ・インベイジョン時のブルーアイドソウル・アーティストが出現した1960年代中盤にまで辿られるのかもしれない。
以降連綿とUKソウルの萌芽は細い線で継承されていたが、1970年代から人気を博し活動していたUKソウルの元祖的存在だったホット・チョコレートというUKソウルのレジェンドを経て、1980年代に入るころにはいくつかの印象的UKアーティストが、本場US市場でのヒットを放つにいたり、UKソウルという言葉がまことしやかにささやかれ始めた。
ビリー・オーシャンがその代表とも言えるブラック・コンテンポラリーをはじめとし、80年代ファンク、リズムマシーンTR-808を用いたソウルサウンド、808ソウルなどのジャンルが、そのころのUKソウルを体現していたが、それらはおおむね現行USソウルをなぞっていたものだった。1980年代USソウルの最大潮流たるブラック・コンテンポラリーの波にうまく乗って、最大の成功を収めたのは、やはりビリー・オーシャンということになるだろうか。
第2次ブリティッシュ・インベイジョン、及びそこに組み込まれたように見えたUKソウルという追い風の中、シャーデーは「スムーズ・オペレーター」「スウィーテスト・タブー」の2大ヒットを立て続けに放った。
ビリー・オーシャンが腐心していた、現行USソウルの最大潮流になりつつあったブラコンの波にもしっかり乗りながら、(現行USソウルには強く出ていない)新たな付加要素をもってしてシーンに臨み、見事な成功を収めたわけだ。
その付加要素とは、都会的ブラコン感をさらに押し進めたようなジャジーな感触、ルーサー・ヴァンドロスが確立した極めて80年代的なソウル歌唱に愚直に徹する(強いていえば同時代に活躍したオハイオ州出身のソウル・シンガー、アニタ・ベイカー的な)、一歩間違えればスノッビーとも捉えられがちな全体を覆うインテリジェントな雰囲気―― といったところ。
シャーデー・アデュの不思議な雰囲気、真の意味でのUKソウルを体現
こういった付加要素は、現行USソウルをなぞっていた従来の80年代UKソウルには希薄だったものだ。「スウィーテスト・タブー」ヒット時には、シャーデーこそが当時のUSソウルとは明らかに一線を画した、真の意味でのUKソウルを体現・確立したアーティストであるということが、英米からひしひしと伝わってきたのだった。
シャーデー・アデュの独特で不思議な雰囲気も相まって、シャーデーは並みいるUKソウル・アーティストの中でも、一歩上の高みから音楽を体現しているような立ち位置を確保してしまったのだ。
シャーデーの根強い人気は、2大ヒットに端を発して、このような周囲の様々な要因が積み重なっていった結果なのである。70年代UKソウルシーンで孤軍奮闘していたホット・チョコレートを引き合いに出すほどまでに、UKソウルここにあり! を高らかに宣言した、自信と誇りのバンドこそが、シャーデーなのだ。
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2022.11.04