90年代の音楽シーンを象徴するJUDY AND MARY
同世代の若者に支持され熱狂的に愛されたJUDY AND MARYは、90年代の音楽シーンを象徴する唯一無二のロックバンドである。
ギター、ベース、ドラムというスリーピースのサウンドにPOPなメロディを合わせたシンプルなスタイルは、メンバーの音楽センスや楽曲の複雑な構成もさることながら、YUKIのキュートな魅力により “JUDY AND MARY” という誰にも真似できない圧倒的な存在感を世に放ち、飛び抜けて強烈な印象を僕らに与えてくれた。
ただその人気ゆえ、自由奔放なYUKIと彼らに対し、大衆という “にわか評論家” たちはグループ内の諍いや色恋沙汰に始まり、度重なる不仲説を吹聴した。憧れや羨望がやっかみとして歪んでしまったのだろう。それは解散して20年以上経った今も度々蒸し返される。
もちろん、インタビューや対談で本人たちがそのことについて語っているのは事実だが、それはある意味、世間向けのリップサービスだと僕は考える。言葉で簡単に語ることのできない真実とは、そうやすやすと人に教えたりなんかしない。心の内へ大切に仕舞っているものだからだ。
さて、今回はYUKIの魅力を語るとともに、ファンが待望しているバンド再結成が何故ないのか? という理由を僕なりに考えてみた。YUKIとメンバーの不仲などという安易な考察を僕は全否定する。
まずはYUKIの持つたくさんの魅力から話を進めよう。
圧倒的なかわいさ、エッチさ、ズバ抜けた声量、そして卓越したワードセンス
YUKIは底知れぬ魅力に溢れている。
その魅力とは、圧倒的なかわいさとエッチさに尽きるだろう。コケティッシュなステージングは多くの男性陣を魅了し、それは同性である女性に対しても抜群の人気を博していた。ことビジュアル面に関して言えば、同世代の女性ボーカルと比べれば一目瞭然。飛び抜けてキュートでチャーミングなのである。
そこにきてあの伸びやかでパワフルな歌声だ。サザンの桑田圭祐やユーミン、いまなお活躍を続ける大御所たちは皆、声に個性がある。YUKIもそのひとりで全く引けを取らない。一般的に “ロリボイス” と称されるYUKIの声だが、その声量はズバ抜けている。もちろんそれは地声であり、天から授かった才能といえよう。
2022年、50歳であるYUKI(信じられないですよね)は、今もあどけなさの残る表情で雑誌のインタビューグラビアに登場している。もちろん ”あの声” は健在であり、その伸びやかな歌声は当時を凌駕する魅力に溢れている。
こう褒めたたえると見た目と声だけがYUKIの魅力と思われてしまいそうだが、もちろんそんなことはない。YUKIが持つ一番の魅力とは、言葉で紡ぐ “いまこのときの青春” という群像とその世界観の表現力だ。
数あるJUDY AND MARYの楽曲のなかでも、YUKIの書く歌詞はどれも等身大の女の子の揺れる気持ちを代弁してくれている。きっと “大人になり切れない女の子の成長物語” を描かせたら、YUKIの右に出る者はいないだろう。
ここから、YUKIが書いた「そばかす」の歌詞を少しだけ抜き出してその感性の源を探ってみる。
大ヒット曲「そばかす」歌詞で際立つYUKIの才能
JUDY AND MARY初期のミリオンセラー「そばかす」は、『るろうに剣心』(1996年TBS系)OP曲である。アニメと曲の歌詞がチグハグだが、急遽アニメ主題歌のタイアップが決まったということでメンバーが原作の内容を把握していないまま曲作りしなければならず、そのときに全員が知っていた『キャンディ・キャンディ』をモチーフにしたそうだ。そこから僅か数日で曲を完成させる急仕上げだったにも関わらず、そんな事情を微塵も感じさせないクオリティの高さに驚かされる。よく言われるけれど、“名曲ほど短時間で作られる” とは、まさにこのことだろう。
「そばかす」…短時間で綴られた言葉だけに、ストーリーテラーたるYUKIの非凡な才能が際立って感じられる作品だ。
想い出は いつも キレイだけど
それだけじゃ おなかが すくわ
本当は せつない夜なのに
どうしてかしら?
あの人の笑顔も思いだせないの
男の子にはわからない女の子が抱えた心の内を、「♪それだけじゃおなかがすくわ」「♪あの人の笑顔も思い出せないの」という主観で語ってしまうYUKI… こういう歌詞は、プロの作詞家先生たちでは思いつかないんじゃないかな? きっと、繊細な心を持つYUKIだからこそ、同世代の女の子が抱えている悩みやもどかしさを瞬時に言葉にすることが出来たのだ。また、
おもいきりあけた
左耳のピアスには
ねえ 笑えないエピソード
―― の部分は、原作を把握せずに書いたとは思えない不思議な符合だ。『るろうに剣心』の主人公、緋村剣心の “左頬の傷” にも笑えないエピソードがありますよね。若干こじつけだけど(笑)。
同世代の女の子の共感を呼ぶリアルな描写
そばかすの数を かぞえてみる
汚れたぬいぐるみ抱いて
胸をさす トゲは 消えないけど
カエルちゃんも ウサギちゃんも
笑ってくれるの
僕はこのシーンが大好きだ。「♪そばかすの数を かぞえてみる」という歌詞は、鏡の前に座って自問自答する様子… つまり『キャンディ・キャンディ』のOP曲をモチーフにした場面そのものである。
「汚れたぬいぐるみ」とは、カエルちゃんとウサギちゃんのこと。汚れているのは幼少のころから寝食を共にしていた大事なぬいぐるみだからだ。ひとりで物事を考える心細いときに、唯一本音を話せる “友だち” という大切な存在だと読み取れる。
こういうリアルな情景や、そのとき感じる思いをYUKIはストレートに言葉に置き換えられる。だからこそ多くの共感を得ることができるのだ。きっと同世代の女の子たちは似たり寄ったりの体験をしているはず…。ファンにとってYUKIとは、「こうだったらいいな」という世界を歌のなかで一緒に分かち合う友だちであり、その存在は自己を投影した素直な自分の姿ともいえよう。
JUDY AND MARYが再結成をしない理由とは?
僕はこう考える。JUDY AND MARYというバンドは、YUKIが駆け抜けた20代の象徴… つまり “YUKIそのもの” だったのだ。楽曲も歌詞もあの時代のYUKIを歌ったもので、それは同世代の若者すべてが体験した青い群像だ。それゆえ、年齢を重ねたYUKIがピュアな気持ちでもう一度同じ世界観を演出するのは不可能だ。
過ぎ去った青春は二度と戻らない… だからこそ青春は大切な想い出として心の宝物になるのだと… それはYUKI自身もわかっているはずだ。
JUDY AND MARYのメンバーは、ソロで活躍するYUKIをはじめ、それぞれが現在も多岐にわたって活躍をしている。ゲスな言い方をすれば、お金のために再結成することはないし、事務所やレコード会社から再結成を打診されたとしても無理に従うこともない。もし再結成するならば、それは単にファンのためでしかない。
そのファンのことを一番に考えたときに、ただ「懐かしい」「青春の1ページ」などという感傷だけで、ファンが大切にしている想い出の宝箱を汚すことがあってはいけない… とYUKIは考えているはず。そう、想い出はいつもキレイであって欲しいのだから。
世間の雑音など放っておけばよい。
真実はJUDY AND MARYのステージの中だけに存在する。
活動したおよそ9年間、若者が抱え込む大人になり切れない歯痒さや狂おしさ、そして恋や友情など、JUDY AND MARYは自らの楽曲にその思いを散りばめた。そのリアルな青春群像を余すことなくステージにぶつけ駆け抜けた姿は、まるで100mを全力で走り切るアスリートのようだった。その眩いばかりの輝きを僕らは目に焼き付け、そして体感することができた… それだけで十分じゃないか。
2001年3月8日… この日行われた東京ドーム『WARP TOUR FINAL』最終日。弦楽四重奏から始まったラストライブは超満員のスタジアムを震わせ、そしてステージは幕を閉じた。JUDY AND MARYは終わったのだ。
22曲を歌い切ったYUKIは、メンバーと横一列に並び手を繋ぎマイクを通さない生声で感謝を伝え、ステージの端から端まで走り回りファンへ感謝を飛ばしてゆく。感極まって一瞬表情を崩すものの、そこには笑顔しかなかった。メンバーたちが名残惜しむようにステージでファンの声援に応えるなか、YUKIはあっさりと振り返ることなく最初にステージを去っていった―― 潔い。そこに涙はない。このときYUKIはすでにその先の景色を見据えていた。
その日から20年ものキャリアを重ねたYUKIは、当時と変わらず今も前だけを向き、振り返ることなどしない。そう、それこそがYUKIであり、再結成をしない本当の理由なのだ。
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2022.06.12