恐るべきSMAP楽曲の強烈な脳内浸透力
SMAPが解散して、早いものでもう6年になる。あの不可解極まる解散劇は、日本の芸能界がいかに旧態依然としているかを図らずも証明してしまったけれど、それはさておき、最近あらためて思うことがある。
「SMAPの曲って、よくできてるよなぁ……」
仕事柄、SMAP解散後も、ジャニーズ所属のアイドルグループがリリースした曲はいろいろ耳にしているし、意欲的な曲もたくさんあるけれど、こと一般への浸透度となると、悪いけれどどのグループの曲もSMAPの曲には敵わない。
たとえば、これはホントにくだらない例だけれど、バーへ呑みに行ってセロリスティックが出てきたとき「♪ン〜 がんばってみるよ〜」と反射的に口ずさみながら囓ってしまったりとか。
その昔、AKB48選抜総選挙で、私が推すまゆゆが指原莉乃に敗れたとき「♪No.1にならなくてもいい もともと特別なOnly One〜」とつい歌ってしまったこともあった。麻雀で槓(カン)したときに「♪カンさして〜 もっとして〜」と歌ったことも…… てか、必ず歌ってる気がする。
断っておくが、別に私はSMAPの熱烈なファンというわけではない。なのに、わりとよく彼らの曲がフッと頭に浮かぶのだ。カラオケでも、仕込んだ覚えがないのにフルで歌えてしまう曲が結構ある。
―― なんなんだ、この強烈な脳内浸透力は? 私がもしカルト教団の教祖なら、間違いなくSMAPの曲を布教に使う。
国民的アイドルたる所以とは?
もちろん、彼らの全盛期、メディア露出量が半端なかったこともあるけれど、理由はそれだけじゃないだろう。楽曲の完成度の高さもあるが、「スッと耳に入ってきて、すぐ馴染む」のは5人が持つ “浸透力” だったように思う。これは彼らが「国民的アイドル」と言われる所以でもある。
その “浸透力” とは、突き詰めて言うと「声」なんじゃないか。SMAPの歌について「なんで5人で歌ってるのに、全然ハモらないんだ?」と批判的に言う人がよくいたが、まったくわかってない。ハモったら5人の歌声が個別に楽しめなくなるじゃないか。技倆の問題というより、それはむしろジャニーズ流の “演出” なのだ。
SMAPの曲は、ソロパート(もしくは2人1組のパート)を交代でとっていって、サビはユニゾンで合唱、というパターンが多い。これは彼らに始まったことではないけれど、SMAPの場合、特に初期はそのユニゾン部分も微妙に揃っていなかったりする。もちろん、ハモりを聴かせる曲も何曲かあるけれど、その不揃いな感じ…… 5つの個性の集合体であることが、彼らの魅力だったように思う。
デビュー3年目のオリコン1位曲「がんばりましょう」
では、メンバーそれぞれの個性が初めて世間に認知された曲は何だろうか? SMAP初のオリコン1位曲は、まだ森且行が在籍していた頃、6人時代の1994年3月にリリースされた12枚目のシングル「Hey Hey おおきに毎度あり」だ。メンバー全員関東出身なのに、全編関西弁の曲で初のNo.1になってしまうところが、バラエティ色も強かった彼ららしい。
この曲は、6人全員にソロパートがある面白い構成の曲だが、関西弁が邪魔をして、魅力の本質的な部分を隠してしまったきらいがある。私が思うに、SMAPが個性派集団としての “中毒性” を最初に発揮し始めたのは、同年9月9日にリリースされた14枚目のシングル「がんばりましょう」だろう。
ちなみに発売日の9月9日は、彼らにとって記念すべき日である。1991年、デビュー曲「Can't Stop!! -LOVING-」がリリースされた日だ。つまり「がんばりましょう」が出たとき、SMAPはちょうどデビュー3周年だったわけだ。
デビューから2年半「Hey Hey おおきに毎度あり」でたどり着いた頂点
ご存じのように「デビューから連続1位」を続けるのが半ば義務のようなジャニーズにおいて、SMAPはデビュー曲が2位止まり。ちなみに邪魔した1位曲はチャゲアスのメガヒット曲「SAY YES」で、相手が悪かったとしか言いようがないが、ジャニーズ的にはあってはならないことだった。
その後もなかなか1位が獲れず、一時は「ジャニーズの落ちこぼれ」呼ばわりもされたが、飯島三智マネジャーの導きにより、SMAPは1992年4月から『夢がMORI MORI』(フジテレビ系)にレギュラー出演。赤塚不二夫『おそ松くん』のパロディで「音松くん」という六つ子のコントを演じた。私が初めて彼らの存在を認識したのも、この「音松くん」である。6色の学生服にヅラをかぶった彼らは、かなりのインパクトがあった。
これをきっかけに、バラエティに活路を見出して顔を売っていったSMAPは、先述の「Hey Hey おおきに毎度あり」でやっと頂点にたどり着く。当時、デビューからすでに2年半が経過していた。もしそこで1位になっていなかったら、彼らは強制解散させられていた可能性もある。本当に崖っ縁だったのだ。
メンバー全員に見せ場を持たせたのが重要なポイント
グループ存続の危機を乗り越えながら、次作「オリジナル スマイル」は2位止まりで終わったところが、これまたSMAPらしい。2度目の1位を狙って、デビュー3周年記念盤としてリリースされたのが「がんばりましょう」だった。今思うと、当時の彼らにピッタリのタイトルではないか。だからこそ、この曲は世間の人たちに響いたのだと思う。
作曲・編曲は「Hey Hey おおきに~」を書いた庄野賢一。イントロにプリンスの曲の一部をサンプリング。サビはナイトフライトの「You Are」“そのまんま” という遊びがニクい。AORがみごとに歌謡化されていて、私は断然SMAPのほうを推す。
パート割りは、まず森がソロで歌い(森脱退後は稲垣が代行)、続いてキムタクのソロへ。「♪星はひゅるっと消えていた」の「ひゅるっと」が個人的にツボだ。
そして中居・稲垣コンビが「♪ジリリ〜目覚ましが鳴り〜」を、草彅・香取コンビが「♪寝グセだらけの顔で〜」を合唱。そのあとサビの「♪Hey Hey Hey Girl〜 どんな時も〜 くじけずにがんばりましょう〜」を全員で歌って1番終了。
TV出演時、メンバー全員がほぼ均等に映るように計算して作ってあるし、1人が突出せず、ちゃんと全員に見せ場があるのがこの曲の重要なポイントだ。
そういった演出上の都合とともに、よくできてるなぁ、と思うのは、みんなでカラオケに行ったときに、この曲、ものすごくハマるのだ。覚えやすいし、歌いやすい。だから誰でも参加できる。たぶん、当時ブームになっていた通信カラオケ需要も見込んでいたのだろう。
SMAPのカラーを決定付けた「がんばりましょう」
歌詞も適度にカッコ良く、適度にズッコケ要素が混じってるのもいい。「♪東京タワーで昔 見かけたみやげ物に はりついてた言葉は 『努力』と『根性』」なんて、本来アイドルが歌う歌詞じゃないけれど、さんざん辛酸をなめたSMAPだからこそ妙に似合う。二の線と三の線の中間を行くSMAPの、その後のカラーを決定付けた曲でもある。
特に「♪かっこわるい 毎日をがんばりましょう」なんて歌詞は、ユニゾンゆえにムチャクチャ響く。作詞は、昨年惜しまれつつ世を去った小倉めぐみ。南野陽子を「楽園のDoor」で初の1位に導いた作詞家であり、SMAPに対しても実にいい仕事をした。
SMAPはこの「がんばりましょう」を、タイトル通りがんばって歌い、初期の代表作にした。翌1995年1月、年明け早々に阪神・淡路大震災が発生した際も、直後の『ミュージックステーション』で被災者に向けてこの曲を披露。同年3月、春のセンバツの行進曲に選ばれたのもまた当然だった。
「♪すごいリッパになって すげーいい服着ても モロにころべば痛い そんなもんだよね」
…… そうそう、人生そんなもんだよね。コロナ禍はなかなか終息しないけれど、皆さん、とりあえず “がんばりましょう!”。僕らはみんな生きている。
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2022.09.09