SMAPについて覚えているいくつかのこと。
芸能界におけるSMAPの功績などは私が書かずとも周知の事実だろうから、自分の身の丈にあったことだけを記そうと思う。
88年4月に結成されたSMAPは、最後の80年代アイドルだ。当時も今も私はこの方面に疎いが、アイドル誌のライターをしていた友達が「この子たちはジャニーズの精鋭だから。他とは違うから」と熱弁していたのを覚えている。初めて会ったメンバーは中居正広。確か93年の「$10」リリース時で、雑誌は ”CDでーた” だった。ビクターの宣伝担当者T氏がSMAPの音楽をきちんと売ろうと、音楽誌にプロモーション攻勢をかけていた。メンバーの名前すらあやふやな私は ”きれいな顔だなぁ” とただ思い、中居くんは「なんで僕に音楽の話? 木村か吾郎じゃないの?」と終始申し訳なさそうにしていた。とても真面目な人、という印象が強く残り、どんな記事を書いたかは正直覚えていない。
音楽業界で ”SMAPがいいぞ” とささやかれ出したのはその少し後だった。今とは違ってアイドルとアーティストの間にはまだ高い壁があった95年に、7枚目の『007~Gold Singer』がミュージックマガジン誌の邦楽ベストアルバム部門にランクイン。これはビクターの制作担当だったN氏(音大声楽科の出身。コーラスとしてもクレジットされている)の功績で、オケはすべてNYでレコーディング。オマー・ハキム、ウィル・リー、ハイラム・ブロックなどそうそうたるメンバーが名を連ねたサウンドは耳が肥えた人たちをも唸らせるに充分で、6人のボーカルも絶妙なバランスでミックスされていた。日本でR&Bのすそ野をわかりやすく広げたのはSMAPとドリカムだと私は思っている。
翌年の『008~TACOMAX』も同じ布陣で作られ、私はそのNYレコーディングに同行した。明らかに猫に小判のような仕事だったが、スタッフもつけずにひとりでふらりとスタジオに来てあっという間にテイクを決めて帰って行くミュージシャンたちのかっこよさは焼き付いている。帰国して木村拓哉にインタビュー。既に多忙を極めるトップアイドルで、某女性誌の取材ではほとんど何もしゃべらなかったという噂も聞こえてきていた。しかし30分という指定時間を過ぎても「まだいいじゃん」と言ってくれ、終わったあと「やっぱ音楽のライターさんはちゃんと話を聞いてくれるからいいねぇ」とご機嫌だったとビクターT氏から後日聞いた。それからしばらくの間、会う人ごとに自慢した私を誰も責められまい。
ライブは東京ドームで一度だけ見た。まばたきも惜しいほどのエンターテイメントだったが、サザンオールスターズのパーティーがあってアンコール途中で出なければならなかった。その後は縁がなく、2016年8月14日未明の解散報道。問題のFAX文面について今ここで論じる気にはなれない。大好きな「SHAKE」も「ダイナマイト」ももう聴けない寂しさにじわじわと侵食されながら、過去のいろいろな ”解散” を思い出している。
SMAPは、クレージーキャッツやドリフターズと同じく、日本のある時代の芸能の象徴だった。ボウイもプリンスも亡くなった今年、私たちは、いいときも悪いときも一緒に歳をとってきたアイドルを、永遠に失ってしまったのだ。
2016.08.19
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