7月23日

ヴァネッサとトレイシー、1984年の「ペントハウス」で交錯した二人の女性

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雑誌「PENTHOUSE」1984年9月号に載った二つのスキャンダル


前回のコラム(ヴァネッサ・ウィリアムス、生まれ持った美貌と背負わされた運命の旅路)の続きで、1984年9月号の雑誌『PENTHOUSE』のスキャンダルについて語ってみたい。

さて、黒人初のミス・アメリカという、ヴァネッサ・ウィリアムスの快挙を帳消しにしてしまった罪深き男性誌『PENTHOUSE』だが、この時まさか回収騒ぎとなるような重大な過失を生じていようとは、この時誰も知る由がなかった。

アメリカの男性誌として、日本でもお馴染みなのはヒュー・ヘフナー氏率いる『PLAYBOY』。その月一番の美女「Playmate of the Month(今月のプレイメイト)」の魅力的なピンナップを折込んだグラビア “センターフォールド” は、J・ガイルズ・バンドの曲にも歌われたように、ゴージャスで品があるのが特徴だ。

一方、ライバル誌である『PENTHOUSE』は、後続誌らしく少々俗っぽい。こちらにも同様にセンターフォールド「Pet of the Month(今月のペット)」が存在するが、モデルの露出度も大きい。そして、“Playmate” にはその後、転身してテレビや映画で女優として活躍するものも少なくないが、“Pet” の方はどちらかというと過激化してアダルト映画に出演するケースが多いように思う。

さて、『PENTHOUSE』史上最高の売上を記録した1984年9月号のセンターフォールドを飾った女性の名は、トレイシー・ローズ。後に80年代最高のポルノクイーンとして知られることになるのだが1968年5月生まれの彼女、実はこのグラビア撮影時にはわずか15歳でしかなかった。当然だが未成年による違法な出演と出版である。

だがそれが発覚したのは1986年。それまで彼女は既に80本以上のアダルト映画を撮り終えており、再編集版を含めると約100本もの作品が世に出回っていた。2年も前に爆発的に売れた雑誌の回収など、実質上不可能といってよかった。

家庭用ビデオの普及と欧米化する日本のアダルトエンタテインメント


80年代に入ってから家庭用ビデオは “β 対 VHS” という家電メーカー間の競争が激化。価格が大幅に下がると一気に普及が進み、まさに一家に一台の時代を迎えた。そしてインターネットの場合もそうだったが、“エロ” が普及の推進力となるのは、いつの時代も否定できない現実だ。国内のアダルト業界もかつての にっかつ に代表される劇場用映画からビデオ業界に急速に主戦場が移っていく。いわゆる AV の台頭である。

そんな時代にあって、トレイシー・ローズは80年代の半ばに18禁を解除された我々世代にとって、彼女は初めに名前を知った洋ピン(ピンク洋画)の女神(ミューズ)であった。

表現方法についても大きな変革があった。ピンク映画の時代は設定やストーリーが重視されたが、それは登場人物が性行為に至る過程にリアリティがないと感情移入できず、視聴者の気分的にも盛り上がりを欠くからである。また、いわゆる行為中に映せない部分 “ぼかし” についても、無粋になり過ぎないよう、自然とフレームアウトするような配慮があった。

ところが、目的が明確な AV では短絡的な表現が許容され、直接的な表現が好まれるようになった。行為中の映像も下半身全体を覆う巨大な “ぼかし” から、局部に限定されるモザイク処理が主流となった。これらはハードコアな洋ピンが国内に持ち込まれる際にもしばしば用いられた手段だが、確かに情緒も何もあったものではない。

アメリカ映画『ブギーナイツ』は、その当時にあって、エロでも作品性の高いものを世に送り出そうとしたアダルトムービーの制作者たちの奮闘を描いた作品だったが、この頃は日本でもアダルトエンタテインメントが急速に欧米に近付いていった時代でもある。1991年には篠山紀信撮影による樋口可南子の写真集『Water fruit』でヘアヌードが事実上解禁されると表現の幅が一層拡大し、その流れはますます加速していった。

トレイシー・ローズ事件の衝撃、あれで未成年? まさか!


前回も書いたが、非合法的な欧米のストレートな映像をいかに覗き見るか、そこに我々は密かなチャレンジを見出していた。トレーシー・ローズはその頃最初に見た無修正映像の女優の一人であった… と、これも知り合いから聞いた話だ(笑)。

彼女は来日して撮影を行うなど国内でも知られた存在だったから、年齢詐称で逮捕され、ほとんどの出演作が回収、お蔵入りとなったというニュースには、少なからず衝撃を受けた。その一つはそんなことが実際に起こり得るのか、という事件性に対するものであり、もう一つは「あれで未成年? まさか!」という彼女個人のポテンシャルに対するものであった。

何しろその筋のプロが皆だまされていたのだから無理もない。いやむしろ確信犯だったのかも知れない。現在の彼女の写真を見ても顎のラインが丸く、やや幼い顔つきをしていることで、逆にごまかしが効いていることは否定できない。大げさに悶えうごめく彼女の姿態は、いくらアメリカのティーンエイジャーが早熟だとしても、こんな子がいるわけないだろうと思えたものだ。

実際、FBI の内偵から事件が発覚し、彼女が拘束されてからというもの、業界関係者は戦々恐々とし、やがて未成年に対する出演強要や児童福祉法違反の疑いでも数名の逮捕者を出したのは当然の成り行きである。

だが一部の関係者は回収騒ぎでプレミアついて高騰した作品を売り捌き、莫大な利益を得た不届き者もいるという。信じ難い話だがトレイシー自身、マネージメントの言われるままに現場に出ていただけで、自分の出演作にどんな人間が関わっていたのか、ほとんど把握しておらず、実名すら知らなかったという。

この業界には偽名を使っているものが少なくなく、経歴詐称もおそらく彼女だけではない可能性すらあった。そのため彼女は過去に関係した者たちから口止めのために付け狙われることは少なくて済んだという事だが、皮肉なことに事件が発覚したおかげで、彼女はポルノ業界で最も経歴が知られた人物と云われた。

トレイシー・ローズが赤裸々に語る自身の半生


初主演作から2年もの間、時には20日で20本という常識外のペースで作品を撮られ続け、どんな話で何本の作品に出たのか、自身では全く把握できていないという。その過酷な環境に追い込んだ母親の愛人、ポルノのプロデューサー、そしてコカインを提供し続けた者たちなどから彼女は搾取され続けていた。

そして身柄が拘束された後も約3年間、度重なる当局や裁判所の呼び出しに応じることとなり、彼女の私生活は疲弊していったが、その間も周囲に支えられ、俳優としての演技を学び直すなど新しい人生を切り拓く準備を怠ることはなかった。

トレイシー・ローズは事件が発覚してから17年後となる2003年(日本語版は2005年)、自身の半生をまとめた自伝『トレイシー・ローズ 15歳の少女が、いかにして一夜のうちにポルノスターになったのか?(Traci Lords Underneath It All)』を出版し、性的トラウマを負った少女時代から、いかに意図せずポルノの世界に引きずり込まれ、そこから抜け出すことができたか。偏見や中傷、妨害や嫌がらせにどう対峙していったかを赤裸々に語っている。

芸能人本ごときで、本当に全てが語り尽くされているかはわからない。不条理と闘い続けたという当局側との応酬も実際には表沙汰にできない取引もあった可能性だってある。だがアメリカのショービズ界を取り巻く環境、ドラッグなどの犯罪と背中合わせになった厳しさは日本とは比較できないぐらい命を削る厳しさがあったことは想像に難くない。

自分の信じる道を切り拓いた二人のスター、ヴァネッサ・ウィリアムスとトレイシー・ローズ


やがてインターネットの時代が到来し、もはや映像の規制など大きな意味を為さなくなってしまった。関係者が血眼になって回収したとしても、トレイシー・ローズの非合法な出演作の映像は、外国語版も含めるとネット上に無数存在し、事件発覚から30年超を経て今だに検索可能である。

彼女は自伝の中で、自身にとって忌まわしい記憶の象徴である芸名、世界に知れた “トレイシー・ローズ” を法的に本名として登録し、その名前と過去に対峙し続けることを決心したいきさつを語っている。

余談だが彼女はアダルトフィルムに出演していた頃からミュージックビデオにも出演していたこともあり、また、元々ハードロック系の造詣が深いことから、いくつかのCDをリリースしている。その知名度から話題性を生かし、ビジネスチャンスをつかむ嗅覚。そして学業成績も優秀だったというから、やはりただならぬ才覚の持ち主でもあるのだろう。

前回取り上げたヴァネッサ・ウィリアムスの場合もそうだったが、不本意な過去があったとしても、消せない過去というものは存在する。それが社会的に知られた事実であればなおさらで、その辺りは我々のような常人には想像の及びもつかないようなプレッシャーとして、人生に圧し掛かってくる事だろう。

しかしこれらを克服し、自らの信じる道を進んで切り拓いた二人の女性の人生が偶然にせよ1994年の一つの誌上で交錯したことは、ショービズ史に残る大きなハプニングといえるだろう。同年代のファンとして、二人のスターの幸福を願わずにはいられない。

2020.01.16
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