ロック草創期の日本に大きな衝撃をもたらしたカルメン・マキ 寺山修司のアングラ劇団『天井桟敷』の舞台に立ち、1969年に「時には母のない子のように」で歌手デビューしたカルメン・マキ。アングラフォークを代表する大ヒットとなったこの曲で人気シンガーとなるも、すぐにロックへの転向を表明。同じ時代に天才ギタリストとして頭角を表していた竹田和夫が率いるブルース・クリエイションの『全日本フォークジャンボリー』のステージに加わる。 さらにはアルバム『カルメン・マキ&ブルース・クリエイション』を発表。ロック草創期の日本に大きな衝撃をもたらした。
その後カルメン・マキと竹田和夫は袂を分かつ。カルメン・マキは、カルメン・マキ&OZを結成して、日本の女性ロッカーとして頂点に立った。OZの解散後もロックやジャズ、あるいは歌と朗読をメインにした即興ユニットでの演奏など、音楽のジャンルを超えて活動を続けている。一方の竹田もバンド名をクリエイションに変え、ハードロックからブルース、ジャズなど音楽性を広げていき、現在も活躍中。1997年に活動の拠点はロスアンゼルスに移しているが定期的に日本でも公演を行っている。
2人の邂逅から半世紀を経たこの2026年に、再び同じステージに立つことが決定した。竹田和夫はクリエイションを、カルメン・マキはVintage Makes Something Newを率いてのライブステージだ。『55 years 伝説の夜 カルメン・マキ × 竹田和夫 〜Vintage Makes Something New × CREATION〜』は2026年11月6日(金)、有楽町のI’M A SHOWのチケットはSOLD OUT。今回、11月12日の追加公演も決定した。この記念すべきステージを前に、カルメン・マキにインタビューを敢行した。前半ではデビューからロックへの転向、ブルース・クリエイションと組んでの活動などを伺っている。日本のロック草創期の貴重なエピソードが満載!
CBS・ソニーで最初の大ヒットになった「時には母のない子のように」 ―― カルメン・マキさんは最初、寺山修司さんの劇団・天井桟敷に在籍していて、舞台で歌っているところソニーの関係者の目に留まり、1969年に「時には母のない子のように」でデビューされました。
カルメン・マキ(以下:マキ):私は歌手デビューした当時、CBS・ソニー(現:ソニー・ミュージックエンターテインメント)の所属でしたが、まだソニーもできたばかりの会社で、のちの井上陽水さんがアンドレ・カンドレの名前でやっていたり、他には伊東きよ子さんぐらいしかいなかったんです。そんな中で私が歌った「時には母のない子のように」がソニーで最初の大ヒットになったので、周囲もびっくりしていたけれど、私もまさか、こんなに売れるとは思っていませんでした。
―― その当時はどんなお気持ちでしたか。
マキ:もともと、知らない間に歌手になっちゃったようなところがあって、ある日気づいたらすごく売れっ子になっていた… そんな感覚ですね。人気があるとかそんな実感もないまま、『NHK紅白歌合戦』まで出ることになって、なんだか霧の中を歩いているような感じでした。でも、私にとって芸能界は居心地が悪かったから、早くここから抜け出したいという思いが強かったですね。
カルメン・マキ&タイムマシーンで第1回『ロック・カーニバル』に出演 ―― そんなマキさんが、ロックを歌うようになった経緯をお話いただけますか。
マキ:六本木のソニーに行った時に、よくロックのアルバムをいただいていたんです。ソニーは洋楽のカタログを多く持っていたんですが、その中でジャニス・ジョプリンを聴いて強く影響を受けたんです。その頃の私は、自分の歌にも満足できていなくて、ジャニスをきっかけに “ロックを歌いたい!” と思うようになっていきました。ほかにもジミ・ヘンドリックスやフリートウッド・マック、マイク・ブルームフィールドなど、ソニーは洋楽の宝庫でしたからね。 だけど、その頃は日本にロックなんてほとんど存在していなかったし、自分で動き出して、色々な曲を聞いたり、ライブを見に行ったりしていたんです。グランド・ファンク・レイルロードの今では伝説となった嵐の後楽園球場でのコンサートにも行ったんですよ。
―― 色々なミュージシャンと知り合う中で、ブルース・クリエイションと出会う前に、カルメン・マキ&タイムマシーンというバンドを組んでいましたね。
マキ:近田春夫やミック(立川直樹)たちと組んだんです。ミックが “バンドをやろう” って言い出したんですよ。でもライブ活動は、私が覚えている限りでは1回しかなくて、それも、第1回『ロック・カーニバル』のステージで、ジョン・メイオールが来日して出演していたこのイベントに出ました。私の記憶では、おそらくこれが日本で初めての海外ロック・ミュージシャンを招いてのコンサートだったと思います。会場は日劇だったんです。でもそのあと、すぐにタイムマシーンは解散しちゃって、その後ブルース・クリエイションのタケちゃん(竹田和夫)と知り合うんです。
ブルース・クリエイションに飛び入りで歌う ―― ブルース・クリエイションは、1960年代の終盤からハードロックのスタイルを取り入れた、日本のロック草創期のバンドでした。
マキ:ブルース・クリエイションにはボーカリストがいたんですが、どうしても私が歌いたくて、飛び入りで強引に中に入って歌わせてもらったんです。例えば『中津川フォークジャンボリー』(第3回『全日本フォークジャンボリー』 / 1971年8月)という、日本版ウッドストックみたいなフェスがあって、岡林信康さんがはっぴいえんどをバックに歌ったり、三上寛さんがステージの上でアジテーションをしたりと そういう時代ですよね。
―― 中津川フォークジャンボリーに出演した際の、お客さんの反応はどういったものでしたか。
マキ:ウッドストックと同じでお祭り騒ぎでしたよ。あの頃の野外フェスって、お客さんはいっぱい入っているけれど、ひとつひとつのバンドをちゃんと聴いている人ばかりじゃなくて、聴き方はいろいろでした。日比谷野音なんかにしても、 後ろの方でクスリをやっていたり、楽屋裏で×××しているやつとか(笑)、いろんな人がいましたよ。でもロックの聴き方は人それぞれ自由ですからね。
―― おっしゃる通りです。いわゆる芸能界ではなく、ロックも含めた日本の音楽シーンの草創期にあたるわけですね。
マキ:そうですね、日比谷野音で『十円コンサート』とか『百円コンサート』をやっていた時代で、そこにもよく遊びに行って歌ったりしていました。その1、2年の間に色々なことがあり過ぎて、前後の記憶が定かではないんですが、そうやって飛び入りのような形で歌っている時に、日本コロムビアのデノン(DENON)レーベルのディレクターから、レコードを出す話が来たんです。それで、私がボーカルのアルバム、『カルメン・マキ / ブルース・クリエイション』と、元々いたボーカルの人が歌っているアルバム(悪魔と11人の子供達)の2枚を同時並行で作って、一緒に発売したんです。
日本のジェフ・ベックと呼ばれた竹田和夫 ―― そのブルース・クリエイションとのアルバム『カルメン・マキ / ブルース・クリエイション』を聴くと、その後のカルメン・マキ&OZの時代と違って、マキさんが元々の綺麗な声質のままハードロックを歌っているので衝撃的でした。
マキ:ロックを歌うにしては、まだ声が細いよね。その頃はロックへの憧れでいっぱいで、ジャニスの影響もあるから、ただ必死に歌っていただけです。今聴くと赤面してしまいますよ。私もタケちゃんも18歳か19歳かそこらですから、若いといえば若いけれど、当時からタケちゃんのギターはすごかった。日本のジェフ・ベックと呼ばれたギタリストですから、その実力は圧倒的でした。ブルース・クリエイションの最初のアルバム(1969年)も当時にしては画期的なアルバム ですよね。
VIDEO ―― マキさんとブルース・クリエイションはどのくらいの期間、活動していたんですか。
マキ:活動というほどのものではないんですよね。私がロックを歌いたくて勝手に歌わせてもらっていただけで。なので、いつどこでどんなライブをやったかなんて覚えてないんです。 あの頃のアーティストって、今のように事務所があってマネージャーがいて、スタッフもいて、という形式じゃないし、コンサートツアーみたいな形もないから。ライブをやった記憶もそれほどなくて、中津川フォークジャンボリーのほかには、頭脳警察とかと一緒に『日本幻野祭』(1971年8月)には出ました。
―― 成田闘争真っ只中の三里塚で開催された伝説のイベントですね。これは音源も残されています。
マキ:あ、それと当時TBSで毎朝7時にやっていた『ヤング720』という音楽好きがみんな学校に行く前に観てた番組があって、それにもカルメン・マキ&ブルース・クリエイションで出たことがあります。でも、私が最初に出たのはまだ高校1年の時で、番組の冒頭に出てくる “今朝のミスヤング” っていうコーナーでした。 街でスカウトされてそのコーナーに出たんですよ(笑)。今でいうアイドルみたいなものね。
―― それは、天井桟敷に入る前ですか?
マキ:前です。そのあと歌手になってからブルース・クリエイションと一緒に出ました。今じゃ考えられないロックバンドの生演奏をそのままオンエアした番組で、内田裕也さんのフラワー・トラベリン・バンドや麻生レミさん、モップスなんかも出てたと思います。 ああいうテレビ番組があったから、日本にロックがだんだんと認知されるようになっていったんだと思っています
―― 映像が残っているようでしたら、ぜひ観てみたいです。それにしてもロックに転向されてから1年ほどの間に、目眩く音楽活動の変遷があったんですね。
マキ:短期間にいろいろなことがあり過ぎて、10年分ぐらい生きた感じがしました。
―― この後が、カルメン・マキ&OZの結成に至るわけですが。
マキ:そんな活動をしていたところ、タケちゃんから "いいギタリストがいるよ" と紹介されたのが春日博文でした。ブルース・クリエイションにしてみたら、ボーカリストがいるところを私が邪魔しに行っているようなものでしたからね。それで春日を紹介されて、彼と一緒にバンドをやることになったんです。(後編に続く)
Live Information 55 years 伝説の夜 カルメン・マキ × 竹田和夫〜Vintage Makes Something New × CREATION〜《追加公演》 ▶ 日時:2026.11.12(木)17:00 / 18:00
▶ 会場:I’M A SHOW(アイマショウ)
▶ 出演:Vintage Makes Something New / CREATION
▶ お問合せ:サンライズプロモーション
https://sunrisetokyo.com/detail/35045/ *インタビュー後編では、カルメン・マキ&OZの始動から名曲誕生のエピソード、そして竹田和夫との再会までを語っていただく。
2026.08.04