わたせせいぞう「ハートカクテル」で流れていた音楽
弁天池越しに阪急電車を望む実家の庭に、どこからか雑種の三毛のアメショが迷い込むようになったのは1983年、筆者が高校3年の頃。時々遊びに来る愛らしい三毛猫に、極めて普通の “ニャンコ” という名前をつけて庭先に鰹節やミルクを入れた皿を出し、母も私もニャンコをまさに猫可愛がりしていた。
猫好きの母娘が『ホワッツマイケル』目的で買っていたのが隔週刊(1986年より週刊)漫画雑誌『モーニング』。ジャンプやマガジンより少し大人向けの青年誌で、絵柄から何から他の作品とは全く違う異質な世界観を醸し出していたのが、わたせせいぞうさんの描く恋愛ものの短編映画のようなショートストーリー『ハートカクテル』。1983年から1989年にかけて『モーニング』に連載され、アニメやドラマ化もされた作品だ。
わたせせいぞうさんが描く、こざっぱりした男女の美しい恋愛と透明感のある色彩、映画的な風景、そして映画の字幕を思わせる手書きの字。これらが一体になってひとつの世界をつくりあげていた。いつか、あんな綺麗なお姉さんになって、あんな素敵な男性と恋に落ちて、一緒に過ごしたい、渋いバーに行きたい、どこかであの漫画のような暮らしがしたい。その洒落た世界観は、1980年代中盤の大学生にとってひとつの憧れだった。
作品内でもいろいろな音楽が流れる。記載されているのはオールディーズが多いが、作品内の彼や彼女は日本の作品も聴いていたのではないか―― そんな妄想をかきたてる作品集が、ビクターから2021年6月&10月にリリースされた「マスターピース・コレクション シティポップ名作選」だ。イメージイラストはわたせせいぞうさんの、まさに「ハートカクテル」の世界観が溢れている。
南佳孝さん、リリィさん、丸山圭子さん、黒住憲五さん、木戸やすひろさん、杉真理&レッドストライプス(竹内まりや、新井田耕造、安部恭弘らが参加)、Paris Match…等バラエティに富んだアーティストの作品が並ぶ中、「ハートカクテル」の彼・彼女が聴いていた作品を選ぶとしたら…。日本のサイモン&ガーファンクル、として1969年にデビューした、ブレッド&バター『SHONAN BOYS~For the young and the young-at-heart~』を選んでみた。
日本のサイモン&ガーファンクル、ブレッド&バターの「SHONAN BOYS」
『SHONAN BOYS~for the young and the young-at-heart~』はブレッド&バターが過去に発表した作品をアコースティック弾き語りでセルフカヴァーしたアルバムだ。プロデュースとアレンジは新川博さん。2005年10月26日にリリースされた。
1945年2月神戸生まれ、小倉育ちのわたせせいぞうさんは18歳まで北九州の海を眺めて育ったが、ほぼ同年代のブレッド&バターのお二人は茅ヶ崎の海を眺めて育った。
兄の岩沢幸矢(いわさわさちや)さんが1943年生まれ、弟の岩沢二弓(いわさわふゆみ)さんは1949年生まれ。ふたりの父親は映画監督の岩澤庸徳さん。デビューは1969年。1974年リリースのアルバム『Barbecue』のジャケットに残る彼らが暮らした家(パシフィックホテル茅ヶ崎のオーナー、岩倉邸)や、岩倉邸のガレージで1975年に地元の友人らと一緒に開業した「カフェ・ブレッド&バター」には、多くのミュージシャンが集まったことでも知られている。南佳孝さんも東京から近所に越してきて、たまたまカフェにやって来たお客さんだったとのこと。書籍『伝説の[カフェ・ブレッド&バター]』(ワニブックス)によると、この店にステージが出来たのは、南佳孝さんが歌ったのがきっかけだった。
松任谷由実が楽曲提供、松任谷正隆、細野晴臣も制作に参加
1969年にデビュー後、一時活動停止をしていたブレッド&バターは1979年に活動を再開。アルファレコードからリリースしたアルバム『Late Late Summer』のA面1曲目にも収められた「あの頃のまま」。作詞・作曲は呉田軽穂、編曲は細野晴臣、松任谷正隆。カフェでの日々を基に復帰作として書かれたこの曲は、ユーミン自身も提供曲の中でお気に入りだという。
『SHONAN BOYS~for the young and the young-at-heart~』での「あの頃のまま」はギターとピアノのアコースティックセットで、よりピュアな青年たちの姿が鮮やかに、ダイレクトに迫ってくる。
ユーミンが呉田軽穂名義で詞を提供した作品はこのほか2曲収録されている。CDでは4曲目、作曲した岩沢幸矢さんと詞を共作したご機嫌なアップチューン「SHONAN GIRL」と6曲目の「HOTEL PACIFIC」。こちらは作詞:呉田軽穂、作曲:岩沢二弓。1980年リリースの『Pacific』のA面1曲目に収められたボッサナンバー。茅ヶ崎にかつて存在したモダンな建造物、1965年に開業したパシフィックホテル茅ヶ崎をモチーフに歌った作品だ。『SHONAN BOYS』でのヴァージョンは、震えるような歌声が印象に残る。パシフィックホテルがあった時代、そしてパシフィックホテル茅ヶ崎のオーナーである岩倉邸での甘酸っぱい想い出が込められているように思える。
岩沢幸矢さんは大学時代江の島でライフセイバーのアルバイトをし、南フランスの海辺のホテルがモデルになったパシフィックホテル茅ヶ崎でもライフセイバーのアルバイトをするつもりが、客室係に。その後ホテルマンを目指して1967年3月に渡米したが、サイモン&ガーファンクルのステージを観て感動し、ニューヨークのフォークロアセンターでボブ・ディランが寝泊まりしていた部屋に幸矢さんが寝泊まりしたことで、運命を感じてホテルマンではなく音楽の道に進んだという。
2021年6月、筆者は六本木EXシアターでブレッド&バター with SKYE(メンバー構成は松任谷正隆(Key)林立夫(Dr)岩沢幸矢(Vo.)岩沢二弓(Gt.Vo.)小原礼(B)鈴木茂(Gt)のコンサートに足を運び、歌と貴重なトークを堪能した。ブレバタのお二人はまだまだいろいろな意味で現役だと感じたものだった。
わたせせいぞうとブレッド&バター、それぞれの作品の共通項とは?
このコラムを書くにあたり、目黒駅からほど近い、わたせせいぞうさんのギャラリーに足を運んだ。
2015年にわたせさんが手がけた阪急電車のラッピングトレインの展示によると、神戸は小倉出身のお父様と室蘭出身のお母さまが出会い、恋をした港町だという。宝塚歌劇もご両親の影響で好きになり、今でも劇場に足を運んでいるとか。このラッピングトレインの他にもわたせさんと阪急は縁があるようで、2019年7月竣工した阪急仁川駅が最寄りの新築マンション広告ではわたせさんのイメージイラストが躍った。若いカップルからファミリー、子供が巣立った老夫婦まで様々な人々と暮らしを素敵に描き下ろしている。仁川が武庫川に合流する辺りに建つこのマンションは、ニャンコが遊びに来た筆者の実家から自転車で10分ほどの距離だ。
1980年代半ば「ハートカクテル」の読者だった方々のなかには、そろそろ子供が巣立ち、また二人暮らしとなった老夫婦として暮らす方もいるだろう。往時の「ハートカクテル」のカップルの誰かの将来をイメージして、いつまでもこの美しい世界が残っていますように。そんなことを思いながらギャラリーを後に、目黒駅から山手線に乗ろうとしたら、JR「大人の休日倶楽部」のポスターもわたせさんの作品だったことに気づいた。
さりげない “Young at heart” が、わたせせいぞうさんの作品とブレッド&バターの作品の共通項だと思っている。学生時代に伊豆の宇佐美でふた夏を過ごしたわたせさんだから、湘南をイメージして描いた作品もきっとあるはずだ。今度、コミックを読み返そう。
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2022.02.15