1995年 7月7日

TBSドラマ「愛していると言ってくれ」豊川悦司と常盤貴子が主演で主題歌はドリカム!

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フジテレビ躍進に対するTBSの回答、恋愛ドラマの新基軸「愛していると言ってくれ」


この夏話題となったTBSドラマ『VIVANT』。謎めいた展開がネット上でも話題となり、SNS上などでちょっとした “考察ブーム” が巻き起こった。そしていよいよ最終回という頃、劇作家で脚本家の三谷幸喜氏のある発言が話題になった。「(TBSの)日曜劇場と言えばホームドラマ。必ずこの(主人公の)家族に何かが起こる」と自らの推察を述べたのだ。『VIVANT』は確かに、主人公が失った家族を再生し、新たに築くという物語でもあった。そして過去にTBSドラマで記憶に残るものは橋田寿賀子、山田太一といった著名脚本家が手掛けた家族をテーマとした作品が多かった。“ドラマのTBS” の地位は、80年代に至るまでそれらによって支えられてきたと言っても過言ではない。

だが90年代に入り “トレンディドラマ” の流行がそれに歯止めをかけ、フジテレビはその攻勢で大躍進を遂げていた。

捲土重来の指揮を担ったのは、プロデューサーの貴島誠一郎氏。奇しくもフジの大多亮氏とは同世代で、共に多くのドラマでヒット作を手掛けた名物プロデューサーである。脚本、キャスト、音楽… どの分野でも他を凌駕し、反攻の狼煙を上げようと、彼が白羽の矢を立てたのは脚本家の北川悦吏子。ラブストーリーを書かせたら当代一、後に『ビューティフルライフ』で恋愛ドラマの金字塔を打ち立てることになるのだが、その時までにTBSドラマの脚本を書いたことはなかった。貴島氏はやはりフジをメインに活躍していた脚本家 野島伸司を起用しドラマ『高校教師』をヒットさせた実績を拠り所に伝手をたどり、彼女へのオファーに成功する。そうして書き上げられた『愛していると言ってくれ』は、彼女としては心機一転、新境地を開いた作品となった。

“切なさ” と “もどかしさ” が募り、妨げられるほど愛が深まる北川脚本の


“TBSといえばホームドラマ” とは、三谷氏が指摘するまでもなく、以前あるインタビューで当の貴島氏が語っていたことでもある。つまりフジのトレンディドラマに対して苦戦を強いられていた彼らが、より局としての個性を打ち出していこうという試みの1つが、どんな題材にもホームドラマ的なエッセンスを加味していくことであった。例の『VIVANT』にも見られたように、それがミステリーだろうと、恋愛ものだろうと、登場人物たちの出自や背景を丁寧に描き、時にはその家族たちにも重要な役割を与えた。そうした試みがリアリティや共感性を高めていったのである。

『愛していると言ってくれ』も例外ではない。女優の卵である主人公水野紘子(常盤貴子)と、聴覚に後天的な障害を持つ画家、榊晃次(豊川悦司)の2人が、様々な困難を乗り越えながら愛を深めていくというストーリーだが、障害を持つ晃次の家庭環境は複雑である。手話が苦手な父親に後妻である母親とお節介な義妹。さらに自らの障害が原因で家を出た実母の存在まで明らかになると、心を閉ざしてしまいがちな晃次の心情も知れるというものだ。

北川脚本は、とにかくなかなか恋愛を成就させてくれない。誤解やすれ違いを引き起こし、他者からの干渉やジェラシーからのさや当てや横恋慕、互いの衝突もあって、一度は大きな別離の危機が訪れるその端々で互いに交わされる対話のシーンには胸を掻きむしりたくなるようなもどかしさを覚えることがある。どんな困難に遭おうと2人の恋は必ず実るのだと、信じる度に視聴者は裏切られる。

紘子は晃次との出会いをきっかけに手話を学び、健気に彼の心を開こうと積極的に働きかけるが、彼の頑なさに心が折れかける。

「耳が聞こえないというだけで、あなたと私はそんなにも違うの」

―― と問う彼女に晃次は応えることができない。

『愛していると言ってくれ』というのは男性の言葉だが、果たしてそれを誰かが口にする機会が訪れるのか。それとも後天的な聴覚障害を持つ晃次が発話する機会があるのか…。視聴者はこうして物語に引き寄せられ目が離せなくなっていく。北川作品の吸引力である。

豊川悦司、沈黙の演技が引き出した90年代 “連ドラの女王” 常盤貴子の輝きと魅力


当初は『愛していると言ってくれ』というタイトルから察して、女性に聴覚の障害がある設定なのだろうと思った。それで真っ先に思い浮かんだのが1987年に公開されたウィリアム・ハート、マーリー・マトリン共演による映画『愛は静けさの中に』だ。カップルの背格好や年齢差からいっても、それは主演を務める豊川悦司と常盤貴子のシルエットにぴったりと重なる。この映画の中で真夜中のプールで想いを告白するシーンがあるが、タイトルバックの水面のシーンはおそらくそのオマージュなのではないかと想像して、同映画のリメイクだと思い込んでいたのだ。

実は役柄の想定は、当初男女が逆だったという事は割と知られた事実だ。貴島、北川の両氏が出演交渉で豊川の元を訪れた際、彼自ら「僕が聴覚障害者ではいけませんか」とその場で提案があったというのである。訪れた2人は一旦その場は保留にして、提案を持ち帰ることにするが、帰り際に彼が手を振って挨拶するのを見て、その大きくきれいな掌に目が留まり。この手で手話をしたら魅力的ではないかと直感し、それを採り入れたという。

ストイックなまでに役作りに取り組む豊川は画家を演じるにあたって絵画を学ぶためパリへ渡り、さらに手話の習得にも余念がなかった。そのレベルは実際の手話の話者からも絶賛されたほどで、彼の抑制のきいた演技と意思を伝えようという真摯な眼差し、そして時折悲しげに目を伏せてフッと息をつく、独特の仕草は世の女性たちを魅了し、多くのトヨエツファンを生んだ。

彼に絡んでいく常盤の演技も共に目を見張る変貌を遂げる。女優の卵という役柄通り、当初はまさしく彼女は “女優の卵” のように見えた。いつもテンションが高く大げさな印象で、少しうざい女性を演じている。劇中、演出家から何度もダメ出しをされる場面があるが、ドラマを見ているこちらにまでそれが伝わるようだった。

しかし物語が後半に差し掛かる頃、豊川と手話で言い争いができるレベルまで、練度が上がると、つられるようにして感情表現が豊かさを増していく。

印象に残るシーンがある。岡田浩暉演じる紘子の幼馴染、健一が最後に彼女への想いを断ち切ろうとする場面、晃次のことを忘れられない彼女に向かって、それを指摘する言葉…

「(お前の)手が… まだ話したがってんだよ!」

健常者である健一と会話するときも、晃次と過ごした時の手話のクセが抜けず、つい手が動いてしまう紘子。

画面を見返してみてもどこまで演技しているかはわからない。ひょっとすると身を引く決意をした健一の “優しさ” に過ぎないかもしれないし、そんなことをいちいち考えさせる北川脚本の仕掛けなのかもしれない…。いずれにせよこのような数々の繊細な場面を演じ切った彼女が何かを得て、後に輝かしいキャリアを歩むきっかけをつかんだことは間違いない。常盤貴子はその翌1996年から2000年までの5年間にTBSで7本、フジで1本の計8本のドラマで多彩なキャラクターを演じ、主演・ヒロインを務め上げたことから “連続ドラマの女王” と呼ばれるようになる。



劇伴も担う仕事人、中村正人と天才 吉田美和が “たった3分” で作った主題歌「LOVE LOVE LOVE」


主題歌についても触れておくべきだろう。Dreams Come True「LOVE LOVE LOVE」は数ある彼らのヒット曲の中でも、総売上248万枚という数字は最大のもので、この年のオリコン年間チャートでも第1位を獲得してドリカムの代表曲の1つとなっている。

貴島氏のプロデュースにおいては、ヒットが望める大物アーティストの作品をむしろ積極的に採用していく傾向にあった。それも単なるタイアップというだけでなく、作曲家として劇伴にも参加してもらうことが少なくなく、音楽業界とも良好な関係を築いていった。ドリカム、取り分けコンポーザーとしての中村正人とは既に劇伴を依頼したこともあって、旧知の間柄であったから依頼はスムーズに行われた。

その手法はまず物語序盤の台本を事前に読んでもらい、プロデューサー、脚本家、演出家との打ち合わせを設けて、後日候補曲を用意してもらうというものである。もちろん番組スポンサーや出演者絡みでいくつかの配慮は必要だが、それでもCMタイアップなどに比べアーティスト側の制約が少ないドラマタイアップは、アーティストにとっても取り組みやすいという利点はあった。

「LOVE LOVE LOVE」には元々原曲があったと言われている。中村がバンド結成以前から当時の恋人のために作った楽曲で、既にストックしてあった作品である。当初は “HAPPY” をバンドのコンセプトに掲げていた彼らからすれば、若干異質な印象を受けたのはそのせいかも知れない。作詞を担当する吉田美和にとってもそれは既知の作品であったはずだが、創作意欲の強い彼女のこと、瞬く間に修正を施し、オリジナルの歌詞を書き添えて、ほぼ3分で書き上げてしまったと最近のテレビ番組のインタビューの中で語っている。

劇伴も務める中村はこれを映像のイメージとマッチングさせながらアレンジを加えていく。作中の印象的なシーンにこのタイトルバックが挿入されると、これ以上ないPV効果を発揮して番組の高視聴率がさらにヒットを後押しした。



TBS進出成功で成し得た “北川脚本” というブランド確立とその後の各局の共存関係


『愛していると言ってくれ』は最終回で視聴率28.1%、平均視聴率でも21.3%、回を重ねるごとに尻上がりに数値が伸び、当時としても高い数値を記録した。またこのドラマは単に多くの視聴者を獲得したというだけでなく、テレビ各局がカラーを打ち出しながら人気ドラマを作り上げていくひとつのモデルが成立したことを意味している。また北川作品がフジテレビ以外でも成功を収めたことで、恋愛ドラマにおける北川ブランドが確立されたといっていい。翌年、彼女は改めてフジテレビでペンを執り『ロングバケーション』をヒットさせて人気を不動のものとした。その後も両局で交互に作品を書きながら、2000年には再びTBS日曜劇場で常盤貴子を起用して『ビューティフルライフ』を手掛けることになる。

90年代に頭角を現した脚本家には、今なお第一線で活躍を続けているライターが少なくない。主題歌を提供するアーティスト達や、出演する俳優陣など、連続ドラマを構成するこれら全ての要素で選択肢が出揃ったといえるのがこの時代である。どの局が誰を主演に据えて、誰に脚本を依頼し、誰に主題歌を歌わせるか、時には順番を待ちながら、組み合わせの最適解を追求する。と同時にそこに独自のカラーを織り込んでいこうと腐心する動きもあった。一度フジが先行した「ドラマ戦争」は90年代半ば、TBSの逆襲が成ったところで、時代はいよいよ群雄割拠の時代へ突入していく。

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2023.10.09
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カタリベ
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