アラニス・モリセットを世界的に知らしめた「ジャグド・リトル・ピル」
アラニス・モリセットって、不思議な立ち位置にいる女性歌手ではないだろうか。不思議というか…。この人のことを嫌いとは言えない、絶妙な良い立ち位置を常にキープしている女性シンガーというか。同性(女性)からの厚い支持を含めて、1990年代以降に台頭した女性ロッカーの中では断トツなんじゃないかな。
アラニス・モリセットを世界的に知らしめたのは、今(2023年)から28年前のアルバム『ジャグド・リトル・ピル』(1995年)ということになるだろう。本国カナダで2枚のアルバムをリリースした後、21歳になったばかりのアラニスが全世界に向けて(特にアメリカ含む北米大陸)発信したアルバム、それが『ジャグド・リトル・ピル』だ。
アラニスにとって大きな追い風になっていた背景とは?
『ジャグド・リトル・ピル』がリリースされた1995年… グランジ・ムーヴメントがひと段落する一方で、1980年代から蠢きだしたレッド・ホット・チリ・ペッパーズを筆頭株としたオルタナティヴロックや、ビッグビートを含む広い意味でのUKロックが大きな潮流を作り出そうとしていた時代。
90年代の幕開けと共にレッド・ホット・チリ・ペッパーズがアングラから一般層人気へと移行、前年1994年にはポスト・グランジたるシェリル・クロウやメリッサ・エスリッジら米女性ロッカーがブレイクしたという背景、これはアラニスにとって大きな追い風になっていたのではないだろうか。
いずれにしろこの絶妙なタイミングで、女性オルタナティヴロックの決定打的な立ち位置を無理なく獲得、シングル「ユー・オウタ・ノウ」の大ヒットも伴って、アラニス・モリセットは瞬く間に女性ロッカーの一番人気アーティストとなった。ジャニス・ジョプリンまでもが引き合いに出されるほどの女性アメリカンロックの系譜を彷彿とさせるほどのアラニス本人の趣向が大いに反映されていたのかもしれない。そしてマドンナが鳴り物入りで設立したマーヴェリック・レーベルの、時代の風潮を読み切ったマーケティング手腕も大きく作用したことは言うまでもない。
マーヴェリック第1号アーティストとして絶対に失敗できないという意識の下、この若き女性シンガー、アラニス・モリセットの世界的大ブレイクは実現したと言えるだろう。
女性ロックシンガーの単体アルバムとしては、歴代最大セールスを記録
強烈な元カレ糾弾(バッシング)ソング「ユー・オウタ・ノウ」を筆頭に「ハンド・イン・マイ・ポケット」、全米ゴールド・ディスクとなった「アイロニック」、そして「ユー・ラーン」、「ヘッド・オーヴァー・フィート」、「オール・アイ・リアリー・ウォント」といった6枚のシングル・ヒットがこのアルバムから誕生。
アルバム収録曲のほぼ半分がヒット曲となった『ジャグド・リトル・ピル』は、全米だけで1,500万枚超、全世界では3,000万枚超という、女性ロックシンガーの単体アルバムとしては、歴代最大セールスを記録、1996年のグラミー賞受賞(ベスト・ロックソング、ベスト・ロック女性ヴォーカル)は誰もが納得の受賞だった。『ジャグド・リトル・ピル』は女性によるオルタナロック・アルバムの最高傑作に、アラニス・モリセットは90年代以降出現した最高の女性ロックシンガーに、それぞれ揺るぎない立ち位置を獲得、結果アラニスは現在まで北米大陸を代表する女性ロッカーの筆頭に君臨し続けている。
1990年代の女性オルタナロック・アルバムの最高傑作
10代の頃にカナダでリリースした2枚のアルバムは、アイドルチックで中庸なポップロック作品だった。そしてワールドワイド・デビューにあたっての通算3枚目のアルバム『ジャグド・リトル・ピル』は、これまでのスタンスをガラリと変えて臨んだということになる。これはもちろん本人の(オルタナ)ロック志向が本物であり、スター化たるブレイクへの意気込みや覚悟が本気だったからこそ、成し得たメガヒットだったわけだ。
マーヴェリックのスター化計画としての線路作りも、あくまでも添え物だったということになろうか。21世紀以降の80年代回帰の気運はまだまだ衰えるところを知らないが、少なからず90年代回帰の散発的兆候が見え始めた昨今だけに、アラニス・モリセットへの再脚光は歓迎すべきだろう。とにもかくにも『ジャグド・リトル・ピル』は、1990年代の女性オルタナロック・アルバムの最高傑作であることは、揺るぎない事実なのだから。
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2023.07.29