1992年 2月5日

フィッシュマンズが描き続ける過去と今と未来 ~ この景色の中をずっと

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フィッシュマンズのサードシングル「100ミリちょっとの」がリリースされた日
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新旧ファンの心を揺さぶるフィッシュマンズ


2021年にデビュー30周年を迎えたフィッシュマンズ。よく「孤高のバンド」と評される彼らだが、独自のエアリー&エクスペリメンタルなサウンドと日常へのアティテュードが光る歌詞、海外にも熱狂的なファンを多く持つ有り様はまさに唯一無二と言える。何より敬意を表するのは、バンドの顔的存在だったフロントマンの佐藤伸治(以下佐藤くん)が1999年に亡くなった後も、ドラマーである茂木欣一(以下キンちゃん)が東京スカパラダイスオーケストラと並行して、今もフィッシュマンズを続けていることだ。キンちゃんのこのバンドへの愛と熱量はあまりに深く力強い。彼の前向きな姿勢に他のメンバーもファンもぐいぐい引っ張られている部分はきっと大きいのだろう。



そんな2021年に公開された『映画:フィッシュマンズ』は、佐藤くん本人やお母様、元&現メンバー、関係者らの赤裸々な証言から丁寧に軌跡を紡ぎ上げる全172分にも及ぶドキュメンタリー作品だ。監督は手嶋悠貴氏。映画はコロナ禍にも関わらずロングランとなり、全国で動員3万人を突破。各地でフィッシュマンズ旋風を巻き起こしたという。これはすごい現象ではないか。往年のファンだけでなく、明らかに新たなファンが続々増加中ってことだから。

佐藤くんが鬼籍に入ってすでに20年以上。2005年にキンちゃんを中心に再始動してからのライブ年数は、1987年結成以降佐藤くん逝去までの活動年数を超えている。たぶん佐藤くんの生のライブを観ていないファンの方も相当数いるはずだ。では、何がそれほど新旧ファンの心を揺さぶるのだろう。そして現フィッシュマンズが活動を続ける覚悟はなぜそこまで固いのだろうか。

フィッシュマンズとの出会いは、深夜ドラマ「90日間・トテナム・パブ」


私がフィッシュマンズに出会ったのは忘れもしない1992年の1月。木曜夜中に放送していたドラマ『90日間・トテナム・パブ』(フジテレビ系)の主題歌「100ミリちょっとの」を耳にしたことがスタートだ。実はこのドラマ、以前に書いたコラム『渋谷系黎明期のオリジナル・ラヴ「月の裏で会いましょう」バナナチップス ラブ主題歌!』で紹介した「バナナチップス・ラブ」の後枠ドラマである。つまり、90年代初頭にフジテレビがお金をかけてNYやロンドンを舞台にサブカルチャーを描いた深夜シリーズものだった。

ストーリーは、英国貴族の御曹司がロンドンのトテナム・コート・ロードで潰れかけのパブを90日間以内に再建しろ、と親父殿にハッパをかけられ奮闘する様を描いたコミカルな内容。ちょうど番組スタート直前の年末年始にロンドンに行っていた私が宿泊したホテルがトテナム・コート・ロードにあったことから、もう憧れのロンドンを思い出す気持ちで目をハート状態にしながら毎週観ていた。主演の坂井真紀は超絶可愛かったし、フランク・チキンズのホーキ・カズコもクールでイカしていた。クイーンズイングリッシュの発音にうっとりし、観るたびにパブ・クロールがやりたくてたまらなかった。何より番組冒頭にフィッシュマンズの曲が流れてくると優しい気持ちになって胸がときめいた。「バナナチップス・ラブ」でのオリジナル・ラヴはアダルトで都会的な主題歌だったけど、ふわふわとダビーなサウンドを奏でるフィッシュマンズはまた新たな風を私の中へ吹き込んでくれた。

絶対に売れる! と盛り上がった「100ミリちょっとの」


このあたりの主題歌抜擢への経緯は『映画:フィッシュマンズ』でも語られていて、これがまた面白い。彼らのメジャー・デビューは1991年、レコード会社はヴァージン・ジャパン。英ヴァージン・レコードとポニーキャニオンの出資で設立された日本法人で、後のメディア・レモラスだ。社長は『俺たち!ひょうきん族』のプロデューサーとしても知られる横澤彪氏。系列グループには90年代の音楽カルチャーを牽引した大型CDショップ「ヴァージン・メガストア・ジャパン」も含まれた。

番組プロデューサーに気に入られてタイアップが決まったものの、曲作りの制約は大きく「始まって1分半以内に曲の全てを出し切ること」「ロンドンっぽく」などというスポンサー側のリクエストがかなりきつくあったようだ。とは言え、前作主題歌のオリジナル・ラヴ「月の裏で会いましょう」がスマッシュ・ヒット(オリコン最高位86位)を決めたことで、フィッシュマンズのメンバーは「絶対に売れる!」とめちゃめちゃ盛り上がっていたという。だが「蓋を開けたらさっぱり売れなかった。そこから音楽業界への不審がつのり始めたのかもしれない」と当時のメンバーはコメントしている。

でもね、そこでフィッシュマンズに出会ったファンの私もいたりして。録画して繰り返しオープニングの曲を聴き、シングルはもちろん、遡ってファースト・アルバムの『Chappie, Don't Cry』も買った。あの淡くたゆたうような歌世界、ちょっと忌野清志郎を彷彿させるような佐藤くんのボーカル、ロックでやんちゃでダビーでドリーミーなサウンドに夢中になった。

ドラマ終了後の1992年春、「ヴァージン・メガストア・ジャパン」の社員募集広告を新聞で見つけた時は勢いで応募した。そして面接で「期待している日本人アーティストは誰ですか」と問われて「フィッシュマンズです」と答えた。秋には横浜店店頭でフィッシュマンズの
ニュー・アルバム『キング・マスター・ジョージ』(パール兄弟の窪田晴男プロデュース!)のリコメンドカードをせっせと書く私がいた。初めてライブに行ったのはもっと後、1994年の渋谷クラブクアトロだったけど。

あれからずっと、私はフィッシュマンズを聴いている。付かず離れず、隣を歩くように。河原を走るように。心にダメージがあった時も、何もなかった日にも、蒸し蒸しの梅雨の日も、指がかじかむような真冬の日も。なぐさめるでなく、鼓舞するでなく、フィッシュマンズの音はただ私の横にポツンと立ってくれている。私は彼らの音に潜って様々な過去や明日を思う。佐藤くんの声を、キンちゃんのドラムを、柏原譲のベースを頭で流しながら、ひと時記憶をさすらう。

これからもそんなふうにフィッシュマンズと付き合っていきたい。今の彼らと未来の彼らをずっと観ていきたいと思う。

Blu-rayで登場「映画:フィッシュマンズ」




「誰かの人生を変えるくらいの音楽をやっているつもりだ。だから誰かに届けたい」
佐藤伸治(『映画:フィッシュマンズ』より)

6月1日にBlu-ray『映画:フィッシュマンズ』が発売された。この初回限定スペシャルボックスに特典映像として収録されているのが新作ドキュメンタリーの『闘魂:フィッシュマンズ』だ。映画制作のきっかけとなった2019年のライブ『闘魂2019』に向けてのリハーサルの模様や証言、佐藤くんの死後初めて演奏したという「ゆらめきIN THE AIR」への思いと意気込みが描かれる。監督は映画同様手嶋氏だ。手嶋監督は『映画:フィッシュマンズ』と『闘魂:フィッシュマンズ』について、私が参加した特別上映回後のトークショーで、こんなふうに話していた。

「フィッシュマンズのファンの中にはリアルタイムの方もいるだろうし、でも僕みたいな後追いファンも多いと思うんです。映画がリアルタイムドキュメントだとしたら、今回の闘魂ドキュメンタリーは、僕らが出会った今のフィッシュマンズを切り取った内容。だから映画のエピローグであり、プロローグでもある。2つでひとつの作品だと僕が言うのはそうした意味からです」

映画の最後でキンちゃんはこうコメントする。

「佐藤くんが歌っていなければライブは観ないっていう聴き方も全然いい。全然あり。でも自分は今だったらどうするか、何をするかを考えるし、それをやっておきたい。やりきっていきたい」

―― と。

キンちゃんをはじめ、ボーカルの原田郁子やハナレグミなどの現参加メンバーによるバンドへの溢れる愛と、フィッシュマンズを誰かに届けたいという強い気持ちが向く先は、必ず未来である。新たなファンが増えていくのは当然なのかもしれない。

ともあれ、映画には過去のライブ映像もたっぷり含まれており、一からフィッシュマンズを知ることができる入門編としても最適な内容となっている。この機会に一度鑑賞してみてほしい。できれば佐藤くんの「ファー!」というかけ声の余韻に浸ってくれるとなお嬉しい。切に願う。

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2022.06.12
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  YouTube / フィッシュマンズチャンネル【公式】FISHMANS OFFICIAL CHANNEL


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カタリベ
1968年生まれ
親王塚 リカ
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カタリベ / ジャン・タリメー