1993年 1月27日

ZARD「負けないで」坂井泉水は “つらい気持ちを分かち合える” 人生の伴走者!

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CD市場戦国時代、ミリオンヒットの「負けないで」がトップ20にも入らない?


31年前の今日、1993年1月27日はZARD6作目のシングル「負けないで」がリリースされた日である。もはや説明するまでもないだろう… 累計164万枚を超す大ヒット曲だ。

ところが「負けないで」のソングデータを調べてみると思わぬ結果に驚かされた。オリコン記録によると、初週で19万枚を売り上げたにもかかわらず1位は取れず(その週の1位はとんねるず「がじゃいも」)、作曲者である織田哲郎のシングル売上の中では2番目のセールスだったのだ(1位は中山美穂&WANDSの「世界中の誰よりきっと」)。

数字は嘘をつかない。90年代シングル売上トップテンは全てダブルミリオン(200万枚超え)であり、ZARDのシングル売上ナンバーワンの「負けないで」であってもトップ20にすら入らない。90年代のCD市場とは、僕らの想像をはるかに超える過酷な戦国時代だったのだ。では、なぜ数字上では飛び抜けた記録ではないのに「負けないで」はこんなにも多くの人の心を掴んでいるのだろう…。今回は、そのZARDこと坂井泉水の持つ魅力に迫ってみたい。

チャリティーマラソンでの合唱を機に応援歌として認知されていった


「負けないで」が、フジテレビ『白鳥麗子でございます!』(1993年)のエンディングテーマだったのを覚えてる人っているかな? 僕は完全に忘れていた(笑)。よく聴くと “♪今宵は私(わたくし)と一緒に踊りましょ” というお嬢様フレーズがちゃんと入っている。さすがである。

その後、ドラマのヒットが追い風となり「負けないで」の人気は急上昇。同年夏の日本テレビ『24時間テレビ「愛は地球を救う」』チャリティーマラソンコーナーで応援歌として合唱されたことで多くの人の心を掴み、翌年1994年春に開催された『第66回選抜高等学校野球大会』の入場行進曲に採用、名実ともに人気曲となった。

さらに時を経た2010年には、バンクーバーオリンピックに因んだNTTドコモのCM『応援 in バンクーバー篇』に使用され、世代を超えて愛される応援歌として誰もが口ずさめる名曲へと上り詰めたのだ。



困難に立ち向かう人たち全員に勇気を与えてくれる名曲


「負けないで」は、遠距離にいる彼を懸命に応援する女の子の歌だと思っていたけれど、歌詞を読み込むと、実は “あなた” が何に対して “負けないで” なのか明確にされていない。逆に言えば、誰であっても自分の置かれた状況に合わせて共感できるストーリーの歌なのだ。この自由に想像できる余白が、後に多くの人を救う心の拠り所になってゆく…

リリースからおよそ2年後に起こった阪神大震災。この歌の “どんなに離れてても、心はそばにいるわ” という力強いメッセージがたくさんの人の心の支えになった。その後に起こった東日本大震災などを含め、毎年のように起こる自然災害のたびに、この歌は傷ついた人々の心を癒してきた。

2024年の今この時も、彼女の歌声をそばで感じて心和ませた人がいるだろう。それだけではない。受験シーズン真っ只中の今、孤独で不安な受験生を励ます曲としてこの歌は力を与えてくれる。そう!「負けないで」 は、困難に立ち向かう人たち全員に寄り添う歌であり、ZARD坂井泉水は、そのつらさを共に分かち合える僕らの伴走者なのだ。

数字は噓をつかないが、数字では唯一表せないものがある。それが愛だ。「負けないで」が今も歌い継がれる理由とは、見返りを求めずただひたすらに寄り添う気持ち… つまり無償の愛がこの歌に感じられるからである。それゆえに「負けないで」はエバーグリーン… 時を経ても色褪せない名曲になったのだとここに断言したい。

当初はアルバムに収録する候補曲のひとつにすぎなかった


「負けないで」は、織田哲郎がメロディを作った段階ではアルバムに収録するための候補曲のひとつという微妙な位置付けであった。そのメロディが彼女の元に届いたのが1992年の10月。2週間ほどかけて歌詞を完成させ、10月27日に最初の歌入れが行われた。出来上がった曲を聴いた関係者はみんな「これはいい!」となり、プロデューサーの長戸大幸氏も太鼓判を押した。そこで急遽シングル曲として格上げされることが決まったという。

 負けないで もう少し
 最後まで 走り抜けて
 どんなに 離れてても
 心は そばにいるわ
 追いかけて 遥かな夢を

サビにある “負けないで” “走り抜けて” “追いかけて” という一連のフレーズ… この言葉だけだと割と強めの命令口調なのだが、彼女の歌声だと何故かやさしく聴こえてくる。これは、「負けないで」全体の歌詞が、口語体の女性言葉で構成されているところに秘密がある。

簡単に説明すると、”そばにいるわ” の「わ」だ。その他にも「~でしょ」とか「~ね」など、女性らしい話し言葉が随所に見受けられる。曲調やリズムもあるけれど、この 「やさしいお願い」という力強さと女性的な柔らかさを同時に届けられるところが坂井泉水の強みであり、だからこそ「負けないで」は、性別や世代を超えて受け入れられたのだ。




ZARD徹底したミステリアス戦略


坂井泉水は、かなりのハイトーンまでファルセットを使わず地声で歌い切る。その声は透明感抜群で実に気持ちがいい。ディレクターの寺尾広氏は、デビュー曲「Good-bye My Loneliness」のレコーディングが始まったときの彼女について「声量がすごくて、コンソールのヴォーカルのメーターが目一杯振れていた。''おとなしそうな容姿とのギャップ” が大きかったことをよく覚えています」と語っている。

そうなのだ。ナチュラルメイクで髪も後ろでざっくり縛っただけのポニーテール… 当時の流行とは別次元にいる彼女は実に自然体だった。公開されたビジュアルは、美しい顔立ちの横顔がほとんどで、それ以外の情報は極端に少ない。時は1993年… 今では笑い話だが、「ZARDって存在するの?」とか「坂井泉水は写真とは別人?」など、下世話なウワサ話をコソコソとしたものである。

このように、当時は神格化されカリスマ状態の坂井泉水だったが、これはプロデューサーの長戸大幸氏が考えた ''平成に生きる昭和の女'' というZARDの基本コンセプトだった。本当の彼女は、極端にシャイではあったものの、側近のスタッフとは大きな声でお喋りするふつうの女の子だったのだ。

メディア露出を制限した ''ミステリアス戦略'' は、人前に出ることが苦手だった彼女のために、出来る限り楽曲に集中できるよう環境を整えた配慮が始まりである。ただ、それが功を奏したのか結果的に坂井泉水の秘めたる能力までをも引き出し、類稀なるアーティストにまで押し上げることになったのだから面白い。

坂井泉水が授かった天賦の才とは?


ZARDの曲は、まずプロデューサーの長戸大幸氏にデモテープが集められ、そこで選んだ曲に彼女が歌詞を乗せ楽曲を完成させるという手法。歌詞は、彼女が日々書き溜め続ける膨大なメモの中から選んでいく。彼女曰く「あ、この曲にはこの言葉が合うな」と自然に感じるそうで、それをひとつのストーリーになるようパズルのように次々と組み合わせていくのだ。この卓越したセンスこそ坂井泉水が授かった天賦の才である。

ちなみに現存する「負けないで」の直筆歌詞カードを見ると、”ふとした瞬間に視線がぶつかる” の元歌詞は “目と目が合わさる” であり、 “最後まで走り抜けて” という前向きな言葉も、元は「諦めないで」という後ろ向きが前提の言葉だった。この直前で修正するこだわりよう… 彼女が本当にギリギリまで歌詞のひとつひとつを精査していたのがよくわかる。とにかく歌詞に対して実直な人なのだ。

そんなこだわり続けた歌詞の世界を、聴く人に余すところなく届けるためだろう… 彼女は歌い方にも特徴がある。歌詞の語尾を母音まで引き伸ばしハッキリと発声するのだ。歌詞が自然と胸に入ってくるのは、音楽で伝えたい心からの思いを歌声に乗せられるからだろう。これもまた彼女の素晴らしい才能のひとつだ。



生涯行ったライブはたったの12回、そこでファンに語りかけた言葉とは?


坂井泉水がZARDとして生涯行ったライブはたった12回。その数少ないライブの中で、彼女はファンに向けてこう語りかけていた。

「私はいつも、本当に言葉を、詞を大切にしてきました。音楽でそれが伝わればいいなと願っています」

神様は何故こんなにも早く、彼女のことを欲しがったのだろう… 2007年5月27日。享年40。坂井泉水は帰らぬ人となった。そして、2008年5月27日。彼女の一周忌となるこの日、東京国立競技場代々木第一体育館で、追悼ライブ『What a beautiful memory 2008』が行われた。生前の彼女の歌声にバンドの生演奏を合わせた全35曲、2時間半に及んだステージのアンコール最終曲は、彼女の代表曲である「負けないで」だった。

ステージ中央に設置された坂井泉水専用のレコーディングマイク… 最終日のこの日、代々木会場に設置されたマイクは正面ではなく上に向けられた。そう、彼女が歌えるようにと。 ファンは坂井泉水を忘れない。彼女は今でも現役で活躍し続けるアーティストのひとりなのだ。

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カタリベ
1967年生まれ
ミチュルル©︎たかはしみさお
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