高い熱量で称賛されている「極悪女王」
Netflixにより製作され、女子プロレスラー・ダンプ松本の半生を描いたドラマ『極悪女王』は、2024年9月19日の配信開始以来、大きな関心を集め、高い熱量で称賛されている。
一方で、この作品は古参のプロレスガチ勢、当時を知る女子プロレスマニア、スノッブを気取りがちなサブカル層を中心に “プロレスの核心をいかに描いたか” “どこまでが現実でどこまでがフィクションか” が議論の対象になり、すでに語り尽くされた感さえある。そんななかで、当稿はその議論にはあまり深入りせず、『極悪女王』にハマったライト層、当時を知らない若いプロレスファンが、ひっかかりそうな点、疑問に思いそうな点について考察することをテーマとしたい。
なお、一部、ネタバレを含む可能性があることを確認しておく。
日本の女子プロレスラーはなぜ歌うのか?
『極悪女王』のエピソード1の冒頭、ジャッキー佐藤(鴨志田媛夢)とマキ上田(芋生悠)のビューティ・ペアが、リング上でデビュー曲「かけめぐる青春」を華々しく歌うシーンがある。また、エピソード2では、ビューティ・ペア解散後のジャッキー佐藤がテレビ局のスタジオでソロ曲「もしも旅立ちなら」を歌っている。そして、エピソード3では、人気がブレイクした長与千種(唐田えりか)とライオネス飛鳥(剛力彩芽)のクラッシュギャルズが、「炎の聖書」を歌い、会場を埋め尽くすファンを熱狂させる。
このように、全日本女子プロレス(作品内では全日女子プロレス = 以下:全女)では、推されているレスラーが歌手活動を展開するのが通例になっていた。歌うことでレスラーのアイドル化が進み、その活動にはファンの推し活欲を促進する相乗効果があった。そのきっかけとなったのは、ビューティ・ペアの2人より1年先輩にあたるマッハ文朱の存在である。
マッハは13歳のときにオーディション番組『スター誕生』(日本テレビ系)に出場。山口百恵と同じ決戦大会に進出したがスカウトされなかった── という経歴を持って全女入りした人物だ。圧倒的なスター性から短期間でアイドル的な人気を獲得したマッハは、もともと歌手志望だったこともあり自然な流れで1975年に「花を咲かそう」というシングルをリリース。以後、全女はレスラーにリング上で歌わせ、会場の売店でレコードを直売するというビジネスモデルを構築していく。
マッハのレスラーとしての活動期間は短かったが、あとを継ぐようにスターとなったビューティ・ペアは、1976年以降に6枚のシングルをリリースするなど、マッハ以上に積極的な歌手活動を展開していた。以後、全女に歌は欠かせないものとなる。ビューティ・ペアに続けと、ナンシー久美、ゴールデン・ペア(ナンシー久美&ビクトリア富士美)、クイーン・エンジェルス(トミー青山&ルーシー加山)などが続々とデビューした。
また、『極悪女王』ではバサッと割愛されていたが、全女にはジャッキー引退後、クラッシュギャルズの台頭まで、水野絵梨奈が演じたジャガー横田、根矢涼香が演じたデビル雅美、ミミ萩原(ドラマ未登場)が興行を支えた時期が3年半ほどある。この期間は、もともと歌手としてのキャリアのあるミミだけではなく、ジャガー、デビルともに歌手デビューを果たし、リング上で歌っていた。
「極悪女王」で強烈な印象を残したモンスター・リッパーとは何者か?
のちにダンプ松本となる松本香(ゆりやんレトリィバァ)は、実際には新国純子という同期のレスラー(早期に退団)とデビュー戦を行っているが、『極悪女王』では初陣でモンスター・リッパー(ANNA)というレスラーに押し潰される。リッパーは他のシーンでも怪物的な存在として扱われている。さて、何者なのか?
カナダ出身で、10代の頃からレスラー養成所でトレーニングを積んでいたリッパーは17歳だった1979年に全女のマットに初登場。ジャッキー佐藤からフォールを奪う衝撃デビューを果たした。“モンスター・リッパー” というリングネームは全女が命名したものである。以後、ピーク時には体重が120kg近くあったとされる巨体とパワーを武器に、80年代の全女で看板外国人レスラーとして活躍。それを足がかりに90年代にはアメリカのメジャー団体に進出した。なお、リッパーは1961年2月生まれなので、1960年11月生まれのダンプの方がわずかに年上である。
マヤ猪瀬、ラブリー米山のモデルは?
『極悪女王』には、前述のレスラー以外にもジャンボ堀(安竜うらら)、大森ゆかり(隅田杏花)、クレーン・ユウ(えびちゃん)、ブル中野(堀桃子)、影かほる(戸部沙也花)など、実在のレスラーが登場するが、一部にドラマオリジナルのレスラーも配置されている。
特に出番が多いのが、デビル雅美の側近で口数が少ないマナ猪瀬(Maria)と、後輩へのパワハラ的な言動が目立つラブリー米山(鎌滝恵利)だ。両キャラにモデルがいるとすれば、ダンプやクラッシュギャルズが入団した1980年の全女に在籍しつつ、『極悪女王』に実名で登場しなかったレスラーということになる。
マナ猪瀬というネーミングは、デビル軍団の前身であるブラック軍団に属したマミ熊野が元ネタになっていることが推測される。ただし、マミは1977年入団なので、年功序列の全女にてデビル(1978年入団)よりも格下扱いとなることは考えにくい。現実のデビル軍団にはナンバー2的存在としてワイルド香月(のちにタランチェラ)というレスラーがいた。しかし、ワイルドは1980年入団であるため、同期のダンプをシゴくということはありえない。
一方、ラブリー米山はどうか? 消去法で考えると、まず、『極悪女王』未登場レスラーのなかでも、ビクトリア富士美、トミー青山、池下ユミ、マミ熊野、ルーシー加山、佐藤ちの、川上法子といった1980〜1981年に引退したレスラーは外れるだろう。なぜなら、劇中でラブリーはクラッシュギャルズとして歌手デビュー後の千種にブチ切れる場面もあるからだ。1981年にクラッシュギャルズは生まれていない。
他にダンプやクラッシュギャルズの先輩格で、実名で登場しなかったレスラーが2人いる。ナンシー久美とミミ萩原だ。ナンシーについては、ダンプが過去に “新人時代は良くいじめられて〜” “でも 今は仲良し” と再会した際のツーショット写真をブログにアップしていたことから、SNSなどではラブリーのモデルとして本命視されている。
また、ラブリー米山という役名は、ミミが佐藤ちの(チノ・サトー)と組んだラブリーペアというチーム名からの引用とも考えられる。公式のWeb記事にはラブリーについて “セクシー系アイドルレスラー” という設定も書かれている。これは、現役時代にヌード写真集も出したミミ萩原の路線と符合する。
しかし、ナンシーは1983年1月に、ミミは1984年4月に全女を去っているのだ(*注)。つまり、クラッシュギャルズ人気爆発時(1984年8月)、実名で登場するジャガー横田、デビル雅美、ジャンボ堀以外に、千種、飛鳥、ダンプの先輩レスラーは全女に存在しなかったわけだ。
ダンプは以前、疑った人物の実名を出さず、千種が “先輩の財布を盗んだ” と濡れ衣を着せられたエピソードを明かしたことがある。そして、エピソード2に同様のシーンがあり、ラブリーが千種にキツくあたっている。こうした点からも、マナ猪瀬とラブリー米山は、一部に実際の逸話を取り入れながらも、ドラマ構成上の都合で設定した架空のキャラクターであると考えるのが妥当だろう。
クラッシュギャルズが出演したドラマ、ダンプ松本が乱入するバラエティ番組は?
『極悪女王』のエピソード4に、クラッシュギャルズと極悪同盟の芸能活動を描いたシーンがインサートされる。アレはなんなのか?
まず、千種と飛鳥が雨の降るなかで、学生服を着た若い男性にコブラツイストをかけるシーンの撮影をする場面がある。これは中山美穂をトップアイドルに押し上げた1985年の大ヒットドラマ『毎度おさわがせします』をイメージしたシーンだろう。同ドラマは “性” をテーマにしたコメディ作品で、クラッシュギャルズの2人は本人役でレギュラー出演していた。
また、ダンプがクレーンを帯同し、バラエティ番組のスタジオで大暴れするシーンもある。よく見ると、セットには “夕焼けキンコンカン” なるロゴが確認できる。これは、おニャン子クラブを輩出した夕方帯のバラエティ番組『夕やけニャンニャン』の初期(1985年4月)の出来事をトレースしたものだ。司会の片岡鶴太郎と、違う場所にいるダンプが電話で罵倒し合うコーナーでのことだ。『夕やけニャンニャン』はそういうノリの番組だった。鶴太郎が “ば〜か!” と言って電話をガチャンと切ると、直後におニャン子の悲鳴とともにダンプとブル中野がスタジオを襲撃。鶴太郎を震え上がらせるというシークエンスが用意されたのだ。
『極悪女王』で描かれているように、普段から悪役であることに徹底したダンプだが、このように芸能活動には積極的であり、クラッシュギャルズとの遺恨が加熱している頃でもメディア露出は多かった。前述の『毎度おさわがせします』の第2シリーズにブルやコンドル斉藤(1984年入団)と一緒に出演していたし、志村けんや加藤茶とコントで共演したこともある。さらに、1985年の日清「タコヤキラーメン」のCM出演は “マジだぜ!” という決め台詞とともに強いインパクトを残した。同CMにはいくつかのパターンがあり “俺が日清タコヤキラーメンのイメージガールだからな!マジだからな!” とカメラを睨めつけるバージョンもあった。
トヨテレビのモデルとなったテレビ局は?
マキ上田の引退後、全女の人気が低迷し、“トヨテレビ” のゴールデンタイムでの中継がなくなり深夜の月2回放送にランクダウンしたが、クラッシュギャルズとダンプ松本の抗争が激化することで再びゴールデンタイムに昇格するような描写がある。
トヨテレビのモデルは無論、フジテレビである。もともと全女の中継は、フジテレビの日曜夕方に90分程度の枠で『全日本女子プロレス中継』として不定期で放送されていた。そして、ビューティ・ペアの爆発的人気を受けて、1977年7月より不定期放送とは別に『女子プロレス・真赤な青春』のタイトルで金曜19時からの30分枠でレギュラー放送が始まっている。 そして、“敗者引退” というルールでジャッキーとマキが日本武道館で対決したのは1979年2月。『女子プロレス・真赤な青春』が終了したのは1979年9月。ドラマとは異なり、ダンプらが全女入りする以前だ。
その後、しばらく日曜の不定期放送が続いた。この不定期番組『全日本女子プロレス中継』はバラエティ番組的な要素があり、歌のコーナーは必須で、複数のタレントがゲストとして放送席に座ることが基本だった。さらに全女の巡業先で、レスラーが観光地を訪れ、名物料理を食べるようなロケコーナーが設けられることもあった。
フジテレビでのゴールデンタイムでの放送が復活するのは、クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビューする直前、1984年7月。『女子プロレス』のタイトルで、月曜19時からの30分枠での放送が始まった。『女子プロレス』が終了したのは1986年9月。その後も、不定期の『全日本女子プロレス中継』は継続された。
極悪同盟のアメリカ進出、千種のミュージカルとは?
エピソード5の敗者髪切りマッチの前に “千種は秋にミュージカルも決まっている” というセリフがある。また、疲弊した千種が髪切りマッチの再戦について話す場面がある。そして、突然の引退を発表する直前のダンプに記者が極悪同盟のアメリカ進出について質問をしている。『極悪女王』では描かれないが、千種のミュージカル出演、髪切りマッチの再戦、極悪同盟の海外進出はいずれも実現している。
エピソード5で『東京爆発娘!』(1985年8月発売)のレコーディング後、飛鳥が芸能活動への疑問を訴えている。史実では、飛鳥が武道館でジャガーと激突したのはこのシングルの発売翌日で、1週間後には大阪城ホールで千種とダンプが敗者髪切りデスマッチを行っている。そして、この頃から飛鳥の芸能活動へのモチベーションが低下していたのは事実だとされる。
結果的に、そんな飛鳥と、坊主頭になった千種は、同年12月には『ダイナマイト・キッド』というミュージカル公演に出演した。これは、中世ヨーロッパにある架空の国 “クラッシュ王国” を舞台にした荒唐無稽な作品だった。実在する同名男子レスラーとは無関係だ。全女の他のレスラーたちも出演した。
また、極悪同盟のアメリカ遠征は1986年3月のこと。ダンプが引退する2年も前だ。ダンプとブルはWWF(現WWE)のマットに上がり、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン(MSG)にも登場したのだった。
そして、1986年11月には同じく大阪で髪切りマッチの再戦が行われ、今度はダンプが負けて坊主頭になった。
いざ、女子プロレスという底なし沼へ!
『極悪女王』でフィクションも交えて描かれたのは40年も前の出来事である。全日本女子プロレスは20年近く前に解散している。しかし、今はなんらかの手段で全女の試合動画を視聴できるし、当時の資料や後に検証された文献も容易に入手できる。『極悪女王』をきっかけに、女子プロレスという沼にハマりそうな方は、是非ともそれらに触れることをオススメしたい。深くハマり混んでしまい、抜け出せなくなるに違いない。
(*注)ナンシーは3年後にジャパン女子プロレスで復帰
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2024.10.13