マーシーの『夏のぬけがら』を聴いたのは、発売から4ヶ月ほどしてからだった。僕が大学に入学して、新潟からやって来た友人の家に泊まりに行った時のことだ。
その友人はザ・ストーン・ローゼズなど UK ロックのファンで、それで僕らは友達になった。だから、彼の部屋にマーシーのポスターが貼ってあることに、僕は少し戸惑ったのだ。
「昔、聴いてたからさ」と彼は言ったけど、そのアルバムが出たのは、ほんの数ヶ月前であることを僕は知っていた。でも、それくらいの時間が「昔」になることも、また知っていた。つまり、僕らはそういう時間を過ごしていたのだ。
だから、僕はそのことを笑って、「そんなポスターなんか剥がせよ」と言った。彼はそれを聞いて照れくさそうに笑った。でも、それから1年間、ポスターは彼の部屋に貼られ続けた。そして、僕は彼の部屋で一緒に何度もマーシーの『夏のぬけがら』を聴いたのだった。
僕は仲井戸麗市のファンだったから、「チャボみたいだね」と何気なく言った。すると、友人には「チャボ? “カビカビカビ…” とか歌ってる奴だろ。暗いなぁ」と言われた。僕は小さく傷つき、そうなのかなと思ったりした。それから彼の前でチャボの話をすることはなくなった。
その友人と知り合う少し前、僕はチャボがマーシーのことをラジオで誉めているのを聞いていた。「今はマーシーが一番いいんじゃないの」とチャボが言っていたから、僕はマーシーのソロアルバムを受け入れやすかったし、実際、『夏のぬけがら』は本当にいいアルバムだった。でも、友人の言葉で、僕はそういうわけにもいかなくなったのだった。
でも、友人も僕が「ポスターを剥がせよ」と言った時、同じ気持ちになったのだろうし、だからチャボのことを悪く言ったのかもしれない。
それでも、僕らは『夏のぬけがら』をよく一緒に聴いた。酒に酔って彼の部屋に泊めてもらうと、ザ・ストーン・ローゼズやインスパイラル・カーペッツやペイル・セインツやグレイプス・オブ・ラスと一緒に。そして、マーシーのどこか不器用な歌は、やっぱりどこかチャボに似ていて、どんな音楽よりも僕の心に寄り添ってくれたような気がするのだ。
それから1年がたって、僕らにも後輩が出来た。すると、その後輩が壁に貼られたポスターを見て、「俺、“小犬のプルー” が嫌いなんですよ」と言ったのだ。「可哀想だからだろ?」と僕が言うと、「そう!」と友人と後輩が揃って言った。そして、友人は壁からポスターを剥がすと、その後輩にあげたのだった。
『夏のぬけがら』を聴くと、今でもそんなことを思い出す。友人の部屋の壁に貼られたポスターとともに。あのとき、どうして僕は「これ最高だな」と言えなかったのだろう。
マーシーには、いつかまたこんなソロアルバムを出してほしい。夏が過ぎた頃に、仲のいい友達とアイスクリームを食べたことを思い出すような。そんな胸を締めつけるような歌を。
2018.11.21
YouTube / hoppybeverage
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