ブライアン・アダムスの4枚目となるアルバム『レックレス』は、1984年11月5日、彼の25歳の誕生日にリリースされると、じわじわと売れつづけた。 翌年6月にシングル「ヘヴン」が全米チャートで1位になると、8月にはアルバムもナンバーワンを獲得。その後も売れつづけ、年間チャートでは第2位。全世界で1,200万枚以上を売り上げる大ヒットとなった。 前作『カッツ・ライク・ア・ナイフ』の成功により、ブライアン・アダムスへの期待感は確かに高まっていた。しかし、ここまで売れるとは誰も予想していなかったと思う。 結局、アルバムからは6枚のシングルが切られ、10月には来日公演もあり、暮れにはシングル「クリスマス・タイム」がリリースされるなど、1985年を通してブライアン・アダムスの歌声がラジオから流れてこない日はなかった気さえする。 だから、『レックレス』に収録された歌は、僕の1985年の想い出とも密接に結びついている。「サムバディ」のミュージックビデオで知った熱狂的なオーディエンスの反応に驚き、入学したばかりの高校ではよく友達と「あんなライヴが観たいよな」と話した。 ほどなくして来日公演が決まり、すぐにチケットを取った。一番高いS席で3,900円だった。その直後に「ヘヴン」が全米1位になり、最初は1回だった武道館公演が3回になった。 この年の夏のアンセムは「想い出のサマー(Summer of '69)」だった。「ライヴエイド」での汗だくのパフォーマンスを観て、数ヶ月後にはこれを日本でも観れるのかと思うと待ち遠しかった。友達と3人でスタジオに集まり「サムバディ」を練習したこともあった。ライヴにもその3人で出かけた。誰かと一緒にライヴを観に行くのは、このときが初めてだった。 確か金曜日だったと思う。学校を出ると制服のブレザーをスポーツバッグにしまい、ジージャンに着替えた。教室から武道館までの道のり、話したこと、「空きっ腹にロック!」という広告コピー、ステージ真横の後ろから5列目の席、黄色い歓声と太い声、帰り道のどこか淋しい感覚。断片的な記憶だけど、鮮やかに残っている。 僕が『レックレス』を聴いて、どことなく青臭いような甘酸っぱい気持ちになるのは、そんな理由からかもしれない。ロックを聴いて、ライヴに出かける。そんなことのひとつひとつが大人への一歩だった。 そして、振り返ってみると、ブライアン・アダムスもまた、このとき大人になろうとしていたのかもしれない。 それまでのブライアン・アダムスの音楽には「少年性」が色濃く残っていたし、そこが彼の大きな魅力でもあった。しかし、ブライアンが『レックレス』でやって見せたのは、この少年性を削り落とすことだった。 アルバム全体を貫く「骨っぽさ」がその証明だろう。前作に比べてサウンドがソリッドになり、音楽にくっきりとした陰影が生まれた。それが曲にガッツを与え、美しいメロディーをさらに際立たせていた。 また、余分な情緒をおさえることで、歌はかえって雄弁さを増し、まっすぐ胸に飛び込んでくるようになった。ジャケットの挑戦的な表情も良かった。そこに少年の面影はもうなかった。 それでも、引き締まった音の向こうには青さがにじんでいた。そのバランスがこのアルバム最大の魅力かもしれない。このときのブライアン・アダムスは、それまでのファンを失うことなく、新しいファンを獲得していったように思う。 毎日大人になろうと必死だった15歳の頃に、10才歳上のブライアン・アダムスもまた人生のステージを上げようとしていた。そんな姿に僕は何かを感じ取っていたのかもしれない。
2017.07.22
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YouTube / BryanAdamsVEVO
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