7月10日

時代を超える名曲!PERSONZ「DEAR FRIENDS」今もなおアナタの心を捉えるのはなぜ?

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PERSONZ、順風満帆に見えたブレイクまでの道のり


昭和から平成へ。新たな年号に伴う世の中の様々な動向と変化は、いまだに記憶に残るところだろう。その最中に生まれた楽曲は、多くの人々にとって時代の記憶とともに、より忘れられない楽曲になっているように感じる。

1989年2月、新元号が始まった直後の平成元年2月にリリースされたPERSONZの「DEAR FRIENDS」は、まさにそうした象徴的な楽曲のひとつだ。

この頃のミュージックシーンでも、時代の節目に呼応するような現象が起こった。同じ1989年2月にTV放映が始まった『三宅裕司のいかすバンド天国』を起因とするバンドブームの本格到来だ。PERSONZ自体はイカ天出身ではないけど、その活動時期からもバンドブームの大きな括りの中で語られる機会も多い。

そんなPERSONZへと繋がる歴史は1970年代後半に遡る。エアロスミスやキッスといった洋楽ハードロックからロックにのめり込んだJILLは、ザ・ランナウェイズに憧れてバンドを結成。いつしかシンガーとしての道を歩み始めた。

様々なバンドでの活動を繰り返すうちにギターの本田毅と出会い、ユニットのナッシング・パーソナルを結成。その後、布袋寅泰が在籍したオートモッドからベースの渡邉貢、さらにドラムの藤田勉が合流。本田が一時離脱した期間を除き現在に至る不動のラインナップが完成し、1984年には名称をPERSONZに改め、本格的な活動を開始した。

インディーズではミニアルバム2枚を発表。ポストパンクを担う有力バンドとして評価を高めた結果、テイチクの新レーベルからメジャーデビューを果たした。ライヴ活動と音源制作を重ね、前述のシングル「DEAR FRIENDS」、1989年3月にはサードアルバム『ノー・モア・ティアーズ』をリリース。まさにバンドブームが訪れた絶好のタイミングで、遂にブレイクに至った。



ここまでPERSONZの歴史を淡々と振り返ると、「DEAR FRIENDS」の大ヒットに至るまで、表面上では順風満帆に思えてしまいがちだ。けれども、一般的な音楽ファンなら知り得ない困難な道のりが存在していた。

JILLのアクシデントと友人達との絆。偶然が産みだした永遠の歌詞とメロディ


1985年6月中旬、インディーズシーンでPERSONZが順調に成長を続けていた頃、JILLの身に予期せぬアクシデントが起きた。元夫との間に起きた出来事だった。重体で病院に運び込まれたJILLは、生死の淵をさまようことを余儀なくされた。約3週間に渡る入院生活や退院後の心の機微は、JILLがネット上で記し続けた自叙伝に克明に描かれている。

幸い九死に一生を得たJILLのもとには、バンドのメンバーをはじめ、多くの「友人達」がお見舞いに駆けつけた。苦難の時にその励ましがどれほどJILLの生きる支えになったかは想像に難くない。身体や心を癒しながらも、JILLは歌うことを決して諦めなかった。アクシデントのわずか3ヶ月後には再びステージに立ったのだから驚きだ。

そして、10月中旬のバンドリハーサルで、渡邊によって書かれた新曲がお披露目された。それを聴いたJILLは、すぐさま歌詞をしたためていく。「親愛なる友人達」に囲まれて、励まされる日々の中で、新たな楽曲が育まれていった。

この曲が生まれた瞬間のことをJILLは「歌詞もメロディーも自然に舞い降りた感じ」と、自叙伝で述懐している。渡邊にしてもJILLにしても、何か凄い曲を作ろうと意気込んだわけではなかった事実は興味深い。苦難の中でその時二人が抱いた感情を素直に表現した結果こそが、運命的な1曲の誕生へと繋がったのだ。

生まれたばかりの新曲には「DEAR FRIENDS」とタイトルがつけられ、同年11月の新宿ロフトでのライヴが、初お披露目の場となった。

TBSドラマ「ママハハ・ブギ」の主題歌にも抜擢


長いバンドの歴史の中で、「DEAR FRIENDS」には幾つかのヴァージョンが存在するのは周知の通りだ。

初収録は1986年、インディーズ初のミニアルバム『ロマンティック・レヴォリューション』だ。サウンドプロダクションこそインディーズ感があるものの、楽曲のアレンジの細部まで、のちのメジャーでのシングルと大差はなく、すでに完成形を迎えているのは驚きだ。熱心なファンなら、このヴァージョンには特に思い入れがあるだろう。

TBSドラマ『ママハハ・ブギ』の主題歌にも抜擢。タイアップも相まって大ヒットした1989年のシングルは、最もお馴染みのヴァージョンだ。メジャーらしいクリアでパンチの効いた音作りがなされており、楽曲の魅力が端的に表現された。そこにオルゴールとJILLの独唱のイントロ部分を加えて、6分強の長尺にしたのが、『ノー・モア・ティアーズ』に収録されたアルバムヴァージョンだ。静から動へのドラマティックな要素が加わり、聴きごたえがグッと増している。

そして、2001年に生まれたのが「DEAR FRIENDS -21st version-」だ。劇的なストリングスを導入するなど、新世紀に相応しい大胆なアレンジが施され、JILLの歌メロもエモーショナルな変化が加えられた。注目すべきは渡邊のかつての盟友、布袋寅泰のゲスト参加であろう。いかにも布袋らしいロックンロールギターの新鮮なエッセンスが付加された。

2015年のアルバム『夢の凱旋-TRIUMPH OF DREAM-』には、アコースティックヴァージョンが収められた。文字通りアコギを中心に据えたシンプルなアレンジが展開され、包み込むようなJILLの歌唱も相まって、メロディの良さがしみじみと浮かび上がる逸品だ。



どんなヴァージョンになろうとも、心の琴線に触れる珠玉のメロディと歌詞の魅力は、いささかも変わらない事実に驚かされる。

それでも個人的に一番胸を打たれるのが、オーディエンスの合唱を加えて完成するライヴヴァージョンだ。ライヴ音源や映像でも確認できるように、アルバムヴァージョンに近い静かな導入部を伴い披露されている。想いを声に出して懸命に伝えるオーディエンスと、PERSONZの熱いパフォーマンスが混ざり合う様子は、いつ見聴きしても感動的だ。

天性のハスキーボイスを持つJILL。エモーショナルな歌唱と歌詞の世界観


「DEAR FRIENDS」が、今もなお人々の心を捉えるのはなぜだろうか。まず、PERSONZが持つバンドとしての個性、魅力が端的に凝縮された楽曲である点だ。タイトを極めた渡邊と藤田による鉄壁のリズム隊、クリーントーンと歪みを自在に操るエフェクトの魔術師、本田毅のギターワーク。そして、天性のハスキーボイスを持つJILLの生き様を投影した、エモーショナルな歌唱と歌詞の世界観。それらが黄金比で掛け合わさり化学反応を起こしていく。

曲作りの面でも、インディーズ時代に原型を完成させたメロディ作りやアレンジの巧みさには目を見張るものがある。希望を感じさせる印象的なギターのリフレイン、空間を操る美しいアルペジオ、切なさを表現するコード感、シンガロングを誘発する突き抜けるようなサビメロ。さまざまなパートが有機的に機能している。

けれども、そうした理屈では語れない “マジック” がこの曲には確かに宿っていると思う。それは渡邊とJILLのもとに、ごくごく自然な形で舞い降りてきたメロディと歌詞が、奇跡的に融合した結果、生み出された楽曲だからこそだろう。

そして、「DEAR FRIENDS」には “あの頃” の空気をたっぷりと吸い込んだ感性が宿っている点も大きい。聴くものを瞬時にタイムトリップさせる感覚は、そうした空気感に聴き手が無意識のうちに没入していくからに違いない。

人との繋がりが希薄になったコロナ禍における応援歌


思えば「DEAR FRIENDS」が生まれ大ヒットした、昭和の末期から平成の歩みを始めた頃の日本は、バブル経済に代表される活気に満ち溢れていた。比べて今はどうだろう。令和の新時代を迎えても、多くの人々があの頃のような希望や高揚感を持てなくなったように映る。

そんな閉塞した時代に改めて聴くと、ごく自然と郷愁に駆られていく。あの頃は良かったという懐かしさ、あの時こうしておけば良かったという後悔。様々な思いが五感を伴い去来する。イントロが流れてくるだけで、瞬時にあの頃の自分に戻れる気さえするのだ。

長かったコロナ禍において、多くの人々が「DEAR FRIENDS」に改めて触れたことで、スマホがなくても人との繋がりが感じられた時代を思い起こすきっかけにもなったようだ。

そして、人との繋がりが希薄になったコロナ禍で、変化にとまどう人々を優しく包み込み、応援歌として励まし支えたのは間違いない。SNSのコメント欄を埋め尽くすメッセージの数々がそれを物語っている。

PERSONZは、30年以上を経た今も第一線で活動し続ける。JILLと渡邊は、いつしか最愛のパートナーとして私生活でも共に歩んできた。楽曲が生まれた頃と何も変わらぬ4人を見ていると、その歌詞で描かれた「親愛なる友人達」の世界を体現しているかのように見える。そんな4人が表現する「DEAR FRIENDS」だからこそ、人々の心にいつまでもリアルに訴え続けるのだろう。

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2023.02.21
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カタリベ
1968年生まれ
中塚一晶
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