新宿ロフトから巣立ったPERSONZ
1984年から本格的な活動を始めたPERSONZの拠点は、BOØWYも数々のライブアクトを重ねた老舗ライブハウス、新宿ロフトだった。
PERSONZ、BOØWYのみならず新宿ロフトから巣立ったバンドは数知れず。1976年10月のオープニングセレモニーと銘打った開店時のイベントには、鈴木慶一、桑名正博、矢野顕子らが出演。そして、サザンオールスターズが78年、『ザ・ベストテン』の”スポットライト” に初登場した際の生中継も新宿ロフトからだった。曲は「勝手にシンドバッド」。上半身裸で、ギターをかき鳴らしながら汗まみれで「今 何時?」とシャウトする桑田佳祐の熱量は、ブラウン管も向こうの視聴者を圧倒させた。
また、石橋凌率いるARBは1982年リリースのアルバム『W』に「LOFT23時」という名曲を残す。この曲の中で石橋凌が「感じていたいぜ 生きている限り / 確かめたいのさ 生きている限り」と歌うように、この場所から発せられる熱量は、この場所に関わった多くの人の心を動かした。そして80年代以降には、ロックの聖地と言われるようになり、多くのアマチュアバンドが、このステージに立つことを夢見た。PERSONZのJILLもそのひとりだったろう。
新宿ロフトの数多のサクセスストーリーの影には、悲喜こもごもの人間模様が夜な夜な繰り返されていた。もちろん、夢叶わぬまま都会を後にするバンドマンは数知れず。しかし、当時新宿の小滝橋通りにあった旧新宿ロフトの薄暗い空間は、全ての悲しみを飲み込むような大らかさがあった。そうJILLが歌うPERSONZの楽曲たちのように…。
「DEAR FRIENDS」で感じるJILLの表現力
JILLが描くPERSONZの歌詞の世界観は、決してドリームス・カム・トゥルーという起結にのっとったドラマではなかった。孤独や悲しみ、痛みを抱えながら生きていく人たちに寄り添いながら生きる人にそっと寄り添うような包容力を感じる。そういった意味では、PERSONZは、”新宿ロフトらしい” 側面を持つバンドだったと言えるだろう。ちなみにPERSONZは、藤田勉(Dr)加入後、初めて新宿ロフトでライブを行った1984年6月21日を結成日と定めている。
ブレイクするきっかけとなった4枚目のシングル「DEAR FRIENDS」では、「涙をふいたなら / ひとりじゃないのよ」――と、聴くものを奮い立たせる。平易な言葉でありながら、いや、平易な言葉だからこそ、JILLのボーカリストとしての表現力が際立つ。バンドを継続させるという覚悟や生き様がここまで見事に表れているボーカリストは稀有だ。
「DEAR FRIENDS」は1989年というバンドブームの最中にゴールドディスクを獲得。同年にリリースされたサードアルバム『NO MORE TEARS』はオリコンアルバムチャート2位を獲得。続く4枚目のアルバム『DREAMERS ONLY』では1位を獲得し頂点に立つ。
当時から一過性のブームで括られるバンドとは一線を画す風格を併せ持っていたのは確かなこと。BOØWYや、博多の音楽シーンで異彩を放っていたモダンドールズを継承したダンサブルなビートを基盤にしながら、リスナーの気持ちにそっと寄り添うようなJILLのスタンスは、当時から普遍性を持ち合わせていた。
堅固なバンドのグルーヴの中で、変幻自在な表情を見せる歌声もまた、流行りに流されるようなヤワなものではなく、揺らめき続ける青い炎のような強さが今も内包されている。
2024年はPERSONZ結成40周年
2015年には24年ぶりとなる武道館公演を成功させ、結成35周年を迎えた2019年には新宿ロフトで凱旋ライブを行う。自身のホームグランド、新宿ロフトで培った精神性を忘れずにきたPERSONZは今年結成40周年を迎える。女性ボーカルのバンドでこれだけ長いキャリアを持つバンドは稀だ。今となってはPERSONZぐらいだろう。しかもオリジナルメンバーで現役続行中だ。長い道のりの中の大きな節目である今年の活躍に期待したい。
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2024.01.25