出会ったときが新曲!世代を超えてつなぎたい50年前の名曲▶ タイトル:日本少年
▶ アーティスト:あがた森魚
▶ 収録アルバム:日本少年(ヂパング・ボーイ)
▶ アルバム発売日:1976年1月25日
「赤色エレジー」のジレンマを断ち切る壮大なコンセプト
日本のインディーレーベルの先がけともいえるベルウッドレコードから、1972年に初めてリリースされたのが、あがた森魚のシングル「赤色エレジー」だった。当時の音楽シーンはロック・フォーク勢と歌謡曲勢の2つだった。今とは違い、その2つには大きな隔たりがあった。
両者は全くの別物という感覚で、敵対していたといっても過言ではない。そんなシーンの中で、ロック・フォーク勢のあがた森魚が意図的に、泣き節たっぷりに歌謡曲っぽいことをやってヒットしたのが「赤色エレジー」だった。50万枚を売り上げたが、その本来の意図を理解したリスナーは少数で、単純に歌謡曲として受け入れられてしまったことが後々あがたのジレンマとなっていったのだろう。
そんなジレンマを断ち切るかのようにリリースされたのが、今から50年前の1976年1月25日に発売された日本初の2枚組コンセプトアルバム『日本少年(ヂパング・ボーイ)』だった。1967年にリリースされたビートルズの大名盤『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』は、架空のバンドによる公演というコンセプトアルバムだったが、あがた森魚の『日本少年』は少年倶楽部などの1930年代日本の少年雑誌の世界観を取り入れた “日本のいち少年の大航海記” というコンセプトが据えられた。
7つの海をめぐる冒険物語を支えた豪華な顔ぶれ
本作のおおまかな内容としては、7つの海に乗り出した少年が世界中を航海して再び日本に戻ってくるという冒険物語だ。そのまま歌うのではなく、主人公の少年になりきって、少年が見たであろう世界観と未来図を見事に再現していたのが特筆すべきところだ。しかもレコード2枚組、トータル80分を超える大ボリュームで、この冒険物語を描き切ってみせた。これは当時の日本では類を見ない試みであり、ここまで大きなスケール感のあるコンセプトアルバムは非常に革新的だった。
本作をプロデュースしたのは前年にトロピカル3部作の1作目となる『トロピカル・ダンディー』をリリースした細野晴臣。そしてほとんどの楽曲でバックを務めたのが鈴木慶一率いるムーンライダースだ。さらにコーラスには山下達郎、大貫妙子、矢野顕子らも参加しており、今では目を疑ってしまうほど豪華なメンバーたちが作品に花を添えている。冒険に出る少年のワクワクする感じや、広大な海を航海した先に広がるキラキラとした美しさなどが感じ取れる演奏はさすがだ。50年経った今聴いても説得力をもって響いてくるのは、彼らの手腕があってこそだろう。
世界中を旅しているような感覚が味わえる絵巻物
このアルバムを聴いていると本当に自分が世界中を旅しているような感覚が味わえる。収録曲の中でも「夢みるスクールデイ」「リラのホテル」「函館ハーバーセンチメント」「沙漠典ボリボリ」「ノオチラス艦長ネモ」など、その曲目を見ているだけでもなんとも楽しい気分になる。
アルバム1曲目の「ヂパング・ボーイ」はプロローグとして、これから始まる冒険物語の未知なる不安が顕著に表れている。その後、様々な世界の魅力を体験した主人公の旅が終わりに近づくと、終盤に収録された「日本少年」が鳴り響く。この曲はエピローグの役割を担う重要な曲だ。
2分に満たないコンパクトな仕上がりだがその旅を締めくくるにふさわしい名曲だ。「日本少年」は「ヂパング・ボーイ」と同じ構成、サウンドで組まれた楽曲。「ヂパング・ボーイ」では中耳炎を患い嘆いていた少年だが、世界中を冒険しひとまわりもふたまわりも大きく成長した。その様子が「日本少年」を聴くとよくわかる。
いつか出会った旅人たちの
よい旅 つづくように
日本の浜辺で 遠いみなさん
幸せ 祈りましょう
―― そんな力強くも優しいメッセージが込められているのだ。アルバム『日本少年(ヂパング・ボーイ)』は完璧なコンセプトアルバムで全体を通して組曲のような作りなので、1曲のみに注目することはこの作品の意に沿わないが、「日本少年」からは世界中を冒険し成長した少年の勇気と優しさがまざまざと伝わってくる。
人はいくつになっても、こども時代の冒険心を忘れないもの。そのワクワクとした冒険心と未知の世界へと飛び込んでいくロマンがこの楽曲、さらには本アルバムにはふんだんに詰め込まれているから、いつの時代に聴いても全く古びることがなく名曲として聴き続けることができているのではないだろうか?
▶ あがた森魚のコラム一覧はこちら!
2026.11.02