「ザ・ベストテン」に配属、時を同じくして登場してきた徳永英明
1987年(昭和62年)10月、TBSの制作局で、それまで『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』のディレクターをしていた私は、晴れて『ザ・ベストテン』に配属された。そして、時を同じくして『ザ・ベストテン』に登場してきたのが徳永英明である。
徳永英明は、86年1月21日、アルバム『Girl』とシングル「Rainy Blue」の同日発売でデビュー。今は名曲として知られているこの曲も当時はさほど売れなかった。そして、4枚目のシングルの「輝きながら…」がフジカラーのCMソングに使われ、初めてランクインしたのである。
61年福岡県に生まれ、上京後はTBSの「緑山塾」で演技の勉強をしたり、カラオケビデオの主演などをしながら、ミュージシャンを目指してアルバイトに明け暮れる日々だった。
TBS近くの制作会社の入るビルの1階にある喫茶店でバイトをし、関係者に自作の曲が入ったカセットテープを渡すなど積極的に動いていた。制作会社に出前で行った時などは、「デビューしたらレコード買ってやるからな」と励まされたりしたという。
「ザ・ベストテン」最大の珍場面、「輝きながら…」のとんでも演出とは?
さて、『ザ・ベストテン』を担当していた私には、まだ登場したばかりの徳永さんに申し訳ないことがいくつかある。
一つは、「輝きながら…」がランクインして、スタジオで歌う時のことである。徳永さんが歌う背景に、なぜか帽子をかぶった年配の男性がずらりと並んでいる、その前で歌い始める。「何だろうこれは?」と思う間もなく、サビの「♪輝きながらー」と同時に、年配の男性たちがおもむろに帽子を脱ぐ。
すると全員ハゲ頭のおじいさん。文字通り「輝きながら」という奇抜な演出だった。担当は『ザ・ベストテン』のレジェンドプロデューサー山田修爾。徳永さんもまだ新人に近かったからいやと言えなかったんだろう。よく笑いもせず、いやがりもせず歌ってくれたものだ。『ザ・ベストテン』の「とんでも演出」の最大の珍場面の一つである。
マンハッタンからの生中継、病み上がりとは思えない透明感のある歌声
もう一つは、『ザ・ベストテン』に配属されたばかりの私は、ちょうど同じ時期に登場してきた徳永さんの担当になった。できる限り同じスタッフが中継やロケについた方がお互い気心も知れ、やりやすいだろうとの担当だった。
そして10月、彼はニューヨークにレコーディングに行き、となった。私も単身NYに乗り込み、TBSニューヨーク支局の助けも借りて中継の準備にとりかかった。
昼間は中継地の選定、交渉、現地クルーとの打ち合わせ、下見などスタンバイに追われていたが、夜は暇。そこで、支局のスタッフと共に、夕方には徳永さんのスタジオに行き、仕事を終えた彼を連れだして夜のマンハッタンに繰り出すことになる。
せっかくNYに来たんだからとばかりに、まずはミュージカル鑑賞。確か『コーラスライン』だったかな。しかも一日では終わらない連日のナイトライフ。2日目はNY最大のクラブ(当時はディスコ)で朝まで。3日目は、ライブハウスでは、ロックンロールで踊りまくり。4日目はピアノバーと、連日朝まで連れまわして遊びまくっていた。
しかし、本番前日、昼間はスタジオ、夜は朝までナイトライフで過労がたたったのか、徳永さんが高熱を出してダウンしてしまったのだ。そして、翌日早朝の生中継に出演できるか微妙な状況になってしまった。
彼のスタイリストが熱さましや解熱剤を買いにいったり、街の病院にかけこんだり、もし出演できなければ明らかに私のせいである。
そして本番当日、放送時間は現地時間でまだ夜も明けきらぬ朝6時、しかもマンハッタンの突端のブルックリンブリッジをバックにした公園。手足のかじかむほどの寒さと強風、さらに病み上がりで寝不足の中、無事に「輝きながら…」を歌い、中継を終えることができた。
病み上がりとは思えない透明感のある歌声が早朝の摩天楼に響き、なんとも静謐で感動的な中継になった。彼の体力、精神力、プロ根性に心から感謝し、ほっとすると同時に、心から申し訳なかったという気持ちでいっぱいだった。
雪も若干残っている富士山麓で「風のエオリア」を熱唱
その後、今度は山梨県富士吉田の浅間神社からの生中継。ただでさえ寒いのに、富士山麓で夜9時、雪も若干残ってる。吐く息も白い中、ここでも徳永さんは見事に「風のエオリア」を熱唱。中継は無事に終わったが、この翌日寒さがたたり、ここでも風邪でダウンしてしまったらしい。またもや『ザ・ベストテン』のせいだと言われても仕方ないかもしれない。
その後「最後の言い訳」「恋人」「My self〜風になりたい」とどれもランクインし、『ザ・ベストテン』の常連となってゆく。
そして、「夢を信じて」「壊れかけのRadio」など大ヒットを連発、あれから30数年経った今でも独特の歌声と抜群の歌唱力で多くのファンに支えられ、日本を代表するトップボーカリストである。
数年前久々にTBSの楽屋で再会したが、懐かしそうな表情を見せながら、周りのスタッフに「この齋藤さんには昔ひどい目にあったんだよ」と言われ、大いに恐縮したものである。
徳永さん、いろいろとごめんなさい……
でも、だからこそ私にとって忘れられないアーティストであり、心から感謝しています。
でも徳永さん、ニューヨークではあなたもメチャメチャ楽しんでましたよ(笑)。
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2023.06.18