連載【ディスカバー日本映画・昭和の隠れた名作を再発見】vol.15 -「ビリィ★ザ★キッドの新しい夜明け」
PARCOムービーの第1弾、「ビリィ★ザ★キッドの新しい夜明け」
なんだかカオスだなあーー SNSを眺めていると、ときどきそう思うことがある。特に2025年の秋以降は、やれネトウヨがー、やれパヨクがーと皆さん、お元気だ。そして、議論のほとんどが噛み合っていない。ただただ、言いたいことを言いたいだけ。SNSとはそういう特性の空間なんだろうなあ…… などと考えていたら、ふとある映画を思い出した。『ビリィ★ザ★キッドの新しい夜明け』だ。
ちょうど40年前に製作されたこの映画は東宝・東映・松竹といった日本のメジャーな映画会社ではなく、当時セゾングループに属していたパルコが配給したPARCOムービーの第1弾。いわばインディーズ系の日本映画だ。PARCOといえば渋谷・公園通りにある、お洒落商業施設ビルで、田舎者には敷居が高そう… この年に上京してきた筆者には、そんなイメージがあった。
お洒落とザックリいってはみたが、1980年代半ばのセゾングループには “サブカル” という装いもあり、渋谷界隈は独特の盛り上がりを見せていた。輸入レコード店WAVEも擁する一方で、ミニシアターも複数設立。PARCO出版の雑誌『ビックリハウス』は廃刊となったが、代わって宝島社の月刊誌『宝島』がファッショナブルでパンクで、ちょっと知的なサブカル誌としてのし上がり、トンガリキッズの支持を集めていた時期だ。
物語は黒澤明監督の「七人の侍」をモチーフ
そんな空気を受けて登場した1986年公開の『ビリィ★ザ★キッドの新しい夜明け』。短編『パン屋襲撃』などの自主製作映画で注目された山川直人の初の商業用映画で、本作に出演している室井滋とは大学時代からの映画製作仲間でもある。脚本は『ジョン・レノン対火星人』をはじめとする高橋源一郎の小説を複数引用。高橋は脚本家としても本作に参加し、劇中にも一瞬、顔を見せる。
肝心の物語は西部劇の体だが、これがなかなか一筋縄ではいかない。舞台はタイムレスかつ無国籍な砂漠の町にある喫茶店。悪名高きギャングから店を守るために雇われた用心棒たちの、4日間の物語は黒澤明監督の『七人の侍』をモチーフにしているが、この用心棒はガンマンのビリィ・ザ・キッドの他、剣豪・宮本武蔵、米軍人サンダース軍曹、中島みゆき、マルクス=エンゲルスというメチャクチャな顔ぶれだ。
テイストもよくいえばオフビート、ぶっちゃければユルユルで、用心棒たちに緊張感はほとんどなく、ギャングが襲撃してくる4日目までは喫茶店の従業員として働いている。彼らもそうだし、やってくる客たちもそうだが、キャラクター間にはほとんど意味のある会話は成立せず、めいめいが勝手なことを言っている。老婆は過去の結婚歴を今の夫に延々と語り、主婦たちは井戸端会議にご執心。カスハラの警官、売春交渉中の大学教授、雑誌から人間になった青年もやってきて店内はかなりのカオス。とにかくセリフが多く、哲学・宗教からギャグ・駄法螺まで、ポンポンと飛び出してくる。

主演は三上博史。出演陣はさながらサブカル幕の内弁当
そんなカオスが映画として成立しえたのは、1980年代特有の時代の空気によるところが大きい。たとえば前述の『宝島』にしてもファッションからアート、映画、ロック、コミック、お笑い、セックス、哲学まで、同誌が扱うサブカルの幅は恐ろしく広かった。そういう空気を考慮して、この映画の出演者を観ると納得がいく。
主演を務めた寺山修司組出身の三上博史も、中島みゆき役の室井滋も、当時はブレイク以前だったが、アンテナを張った若者たちの間では評判になっていた。三宅裕司や小倉久弘ら、劇団スーパー・エキセントリック・シアターの面々も本格的ブレイク前夜。さらに当時は明治大学教授だった栗本慎一郎、段ボールアーティストとして注目されていた日比野克彦、インディーズロックバンド、メトロファルスも出演。鮎川誠も佐々木小次郎役で顔をみせており、さながらサブカル幕の内弁当といった様相だ。
主題歌はゼルダ「黄金の時間」
そんな中で、筆者の目当ては女性ロックバンド、ゼルダだ。
ゼルダに関するコラムは以前にも執筆しているので、そちらも読んでいただければ幸い。この映画で彼女たちは主題歌「黄金の時間」を提供するのみならず、ライブバンドとして出演もしている。これは観ないとイカン!というわけで劇場に足を運び、それまでは雑誌やレコードジャケットでしか見たことがなかった動いているゼルダに感激した覚えがある。劇中では「湖のステップ」「スローターハウス」を演奏。ジュークボックスから名曲「時折の色彩」が流れてくるシーンにもグッときた。
若いころは主観で動くことが圧倒的に多いが、年をとるとどんどん客観が身についていき、最初に述べたようにSNSのタイムラインも主観に響くのは稀で、むしろカオスとして受け止めることが多くなった。今改めて『ビリィ★ザ★キッドの新しい夜明け』を観ても、それは同様だ。しかし、当時を知る者としてはノスタルジーもある。筆者の目当てはたまたまゼルダだったが、別の要素を楽しみに足を運んだ観客もいただろう。そういう意味では、この映画におけるカオスは多種サブカルの魅力的なプリズムでもあった。
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2026.01.19