2023年 6月21日

【林哲司 50周年】ももクロしおりんソロ曲「涙目のアリス」にみる 80's オマージュ

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洋楽に影響を受けたシンガーソングライターとしてデビューした林哲司


最初に林哲司さんのメロディを聴いたのは、中学2年だった1979年。竹内まりやさんの「SEPTEMBER」だった。ラジオで流れている曲を聴いて、月刊『明星』付録の “歌本”『YOUNG SONG』でチェックしたら「作曲:林哲司」という名前があった。

その前年の1978年。中学1年生のわたしのお気に入りのひとつは、布施明さんの「今夜は気取って」だった。当時は編曲クレジットまで明星の “歌本” には載っておらず、知らないまま聴いていた。母が好きな「積木の部屋」や「シクラメンのかほり」の布施明さんって、こんなかっこいい曲歌ってるんだ… と思っていた中1の頃。編曲が林哲司さんだと知ったのはごく最近、林哲司さんの音楽活動50周年記念書籍『Saudade』(Hayashi Tetsuji Saudade 50years with melody:KADOKAWA刊)に掲載されていた資料を見てからだ。

1949年静岡県三島市生まれの林哲司さんは、洋楽を聴いて育ち、高校生のころから作曲を始め、バート・バカラックやフランシス・レイ、そしてジョン・レノン、ポール・マッカートニーといった洋楽に影響を受けた。チリ音楽祭での入賞を経て1973年にシンガーソングライターとしてデビューした後、作曲家として数々の作品を送り出してきた。

テレビ・ラジオで流れる日本の音楽がまだまだ歌謡曲やフォーク全盛だった1970年代半ばから、少しずつ洋楽っぽいメロディが受け入れられる土壌が日本において耕されてきた1970年代後半以降、洋楽に影響を受けたシンガーソングライターとしてデビューした林哲司さんの作品は、ドラマの劇伴や当時ニューミュージック系と言われたアーティストへの楽曲提供で、少しずつ大衆に知られていく。

松原みきの魅力たっぷり「Jazzy Night」


冒頭でも述べた竹内まりやさんの「September」や、松原みきさんの「真夜中のドア~Stay with me~」のメロディは当時日本で流れていたマイケル・ジャクソンの洋楽の影響を感じたが、少なくとも1979年に中学2年生だった13歳のわたしには「あ、これいいな」と素直に受け止められるものであった。



林哲司さんが松原みきさんに書いた作品では1982年に「Jazzy Night」もあり、これがまたスリリングでスタイリッシュな、松原みきさんの魅力たっぷり。当時高2のわたしがウォークマンでよく聴いていた作品のひとつだった。

この時期の作品としては、1981年に伊東ゆかりさんに提供した「強がり」(作詞:なかにし礼、編曲:前田憲男)が出色。1960年代から活躍するベテラン女性歌手がこんな素敵なポップスを歌っているのは当時まったく話題に上らず、わたしもこの作品集で初めて知ったが、大人の女性が歌うシティポップスがもっと世の中に流れていたら、アイドル歌手だらけだった80年代の日本のポップス界が少し変わっていたのでは、そう思ってやまない。

メロディメイカーとしては歌ものだけにとどまらず、林さんはキャリアの初期からテレビドラマや映画の劇伴作品も手掛けている。今回の作品集ではDISC4「SOUNDTRACKS」のカテゴリに30曲が収められた。音源を聴いていると、どれもこれも実に歌心たっぷりで、明るさの中にかげりのある、どこかに哀愁あるメロディがふんだんに取り入れられている。ここに林さんの神髄があるのでは、と思ったものだ。アップテンポでもチャカチャカしない。落ちついていながらも、どこかで耳にひっかかるコードやメロディによるサウンドが心を潤してくれる。

日本のデヴィッド・フォスター、林哲司


さて、1949年生まれ、多感な時期にビートルズの洗礼を受けた林哲司さんの同世代には作詞家の松本隆さん、同じ学年で1950年1月生まれの南佳孝さん… といった人々が挙げられるが、太平洋を挟んだ北米カナダ生まれのデヴィッド・フォスターも1949年11月生まれの同世代である。

両者ともポップスの作曲家として活躍し、まろやかで洗練されたメロディを作り、歌ものに限らず劇伴や映画音楽などでも多数の作品を残している。方向性は違えども、現在でもライブ活動を行っているという意味では、林哲司さんはデヴィッド・フォスターと共通するものがある。日本のデヴィッド・フォスターといってもいいかもしれない。ちなみにデヴィッド・フォスターは2023年3月、5月に来日して横浜・東京・西宮にてASKAと共演している。



おしゃれでかっこいいサウンドを作る作曲家として、80年代からは実に多数の作品を世に送り出した。1982年の上田正樹さん「悲しい色やね」以降、幅広いジャンルで大ヒットを生み出す作曲家として活躍している。

80年代半ばには多くのアイドル歌手たちの楽曲を手掛けており、アイドル歌手の作品をカーステレオでかけても許容されるレベルに引き上げる貢献をしたひとりでもある。林哲司さんにオーダーしたディレクターさんたちが当時求めたのは大ヒット曲の陰影ではなかろうか。石川秀美さんの「熱風」を聴いて感じた、中森明菜さんの「北ウイング」感。シブがき隊「KILL」は杉山清貴&オメガトライブをアイドルボーイズポップへ反映した印象がある。

玉井詩織「涙目のアリス」で感じる1980年代のオマージュ


近年の林哲司さんは、80年代の香りをまとったメロディを2000年代以降にもキャッチーに書ける作曲家として、年代を問わず日本のポップス界隈で重宝されている印象がある。

そのあたりが非常にわかりやすいのは、ヒャダインさんもお気に入りだという2012年の玉井詩織さん作品「涙目のアリス」。このイントロは途中までは1980年のオフコース「Yes-No」ほぼそのまんま。「Yes-No」はいきなりイントロから歌メロで半音転調したが、「涙目のアリス」はイントロ途中からはオフコースからオメガトライブになり、途中の間奏でまたオフコースが顔を出す。1980年代のオマージュとして面白い作品だ。実はこのコラムを書くにあたって聴いた音源の中で、わたしがいちばん気に入ったのはこの曲だった。



林哲司さんの編み出す曲は、おしゃれでいながら、聴く人のこころに寄りそう穏やかなメロディだとわたしは思っているが、杏里さんは林哲司さんのメロディの魅力を「ちょっとトリッキーなところ」と語っている。そんな多面性があるから多くの人々に受け入れられてきた。

1960年代から洋楽に影響を受けて、編み出してきたメロディはずっとずっと残っていく。

Middle of the roadは人類永遠。音楽活動50周年を迎えてもなお貪欲にメロディを生み出す林哲司さんの若々しさは、日本の音楽に希望を与えてくれる、そんなことを感じさせる作品集だ。

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2023.06.17
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カタリベ
1965年生まれ
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