1992年 7月21日

伊藤銀次「LOVE PARADE」クラプトン顔負け!日本を代表する天才ギタリスト大村憲司が参加

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連載【90年代の伊藤銀次】vol.5

日本を代表する天才的ギタリスト大村憲司


1977年のソロデビュー以来、すべてのアルバムをセルフアレンジでやってきた銀次が、唯一、他のアレンジャーにアレンジをまかせた、1993年の稀有なアルバム「LOVE PARADE」についてお話ししてきたが、いよいよその最終章。CHOKKAKU、ダニー・ショガー、佐野元春とご紹介してきて、いよいよ最後にご紹介するのは、プロデューサーであり、日本を代表する天才的なギタリストだった今は亡き大村憲司さんだ。

「LOVE PARADE」のアレンジャーを選んでいる時、発売元であるキューンのディレクターの楚良(そら)君から大村さんの名前が上がった時、僕は “尊敬” と “ライバル心” が同時に混在しているという、なんとも複雑な気持ちになっていた。

関西では初めて出会った凄腕のギタリスト


あまり知られていないが、それまでライブやレコーディングなどをご一緒する機会には恵まれなかったものの、実はすでに大村さんと僕は1970年に出会っていたのだ。

ちょうど大阪が万博で盛り上がっていた1970年、僕は英米で沸騰していたニューロックの影響をもろに受けて、クラプトンのクリームや、フリートウッド・マックやキャンド・ヒートなどをめざしたブルースロック系のアマチュアバンドを大阪でやっていた。それほど上手なバンドではなかったけれど、アドリブでの長い演奏と派手なパフォーマンスと望みの高さだけはどこにも負けないと思っていたね。

ただ残念ながら、人前で発表する機会に恵まれずにいたある日、新聞の募集欄で、「Be-In Love Rock」と題された、東京ではその頃すでにブームになっていた、入場無料のフリーコンサートが大阪でもはじめて開かれることを発見。演奏できる機会を待ってうずうずしていた僕らは、5月に天王寺野外音楽堂で開かれたそのコンサートに出演した。

その主催者が、その後伝説となる『春一番』コンサートを主催していく福岡風太。このイベントに出たことで彼と知り合い意気投合、やがて彼は僕がのちに結成する “ごまのはえ” のマネージャーにもなる。今思えばこのコンサートに出ていなければその後の僕の音楽人生は全くなかったかもしれない。僕のその後のすべてのキャリアはここから始まったといっていいだろう。

その頃の僕はとにかくもう自信満々な生意気野郎で、当日出演してたバンドを見てはどれもそれほどでもないなといい気になっていたのだが、ただひとつ、僕を釘付けにした驚きのバンドがいた。

その名は “カウンツ・ジャズ・ロック・バンド” 。クリームやジミ・ヘンドリック・エクスペリエンスと同じギター、ベース、ドラムスの3人編成で、アドリブで曲を展開していくのだが、アドリブとはおもえないストーリー展開のドラマチックで華麗な演奏! えっ?こんなバンドが関西にもいたの?! と思わず凍りつきそうになった凄腕のバンド。特にそのギタリストがすごかった。そのギタリストこそが、大村憲司さんだったのだ。



大村さんのプレイは当時の日本の他のギタリストとは比べ物にならない、飛び抜けて日本人離れした、まるでクラプトンも顔負けのすごいプレイで、音色、フレージングなど、すべてが全く別格な感じがした。そのプレイを目の当たりにするまで、すっかり天狗になっていた、おバカな僕の生意気な鼻がそのときポキンと折れてしまったよ。これまでの僕の人生で出会った衝撃の中で、大村さんのギタープレイを目の当たりにした時以上のものには、それから出会うことはなかったね。

“尊敬” と “ライバル心” 、大村憲司との不思議な縁


その後、大村さんと会うことはなかったが、僕が大滝さんと出会ったことで上京して活動を始めるのと同じように上京して、赤い鳥のバックバンド “エントランス” 、伝説のスーパーバンド “バンブー” 、そして、YMOのサポートなどで大活躍。やがて80年代には、僕と同じように、ロックサウンド系のアレンジャーとして頭角を表すようになった。

だが、なんとも不思議な縁で、たとえば山下久美子さんの「雨の日は家にいて」のアレンジを僕が担当したあと、今度は大村さんが「赤道小町」のアレンジを手がけたり、湯江健幸君の作品でも僕と大村さんがアレンジャーとして登用されたりとかで、いつのまにか、僕は同じロック系アレンジャーとして大村さんに小さなライバル心を燃やすようになっていた。そんな “尊敬” と “ライバル心” という2つのアンビバレントな気持ちを抱いていた大村さんが僕のアレンジをやってくださることに。なんとも複雑な気持ちでいたという所で続きは次回に‼


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2024.07.04
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カタリベ
1950年生まれ
伊藤銀次
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