だけど、やはりもう過去の人というのが大方の認識じゃないでしょうか。私も「マギー・メイ」(Maggie May / 1971)や6枚目のアルバム『アトランティック・クロッシング』(Atlantic Crossing / 1975)は大好きで聴きまくっていましたが、メガヒット・ディスコチューンの「アイム・セクシー」(Da Ya Think I'm Sexy? / 1978)以降は、“売れ線” に走った気がして興味が薄れ、2000年代になって、昔のポピュラーソングをいろいろカバーした『グレイト・アメリカン・ソングブック』(The Great American Songbook)シリーズが、やたらと売れているらしいことを耳にしながらも、やり尽くしたシンガーのありがちな展開などと思うだけで、聴こうともしませんでした。
実は彼、ロッドの2013年、28枚目のアルバム『タイム』(Time)から『アナザー・カントリー』(Another Country / 2015)、『ブラッド・レッド・ローゼズ』(Blood Red Roses / 2018)、そしてこの『ヘラクレスの涙』まで、すべて同様に、プロデュース、キーボード、プログラミング、エンジニアリングを全面的に担っています。
『パンドラの匣』の前作が『スーパースターはブロンドがお好き』(Blondes Have More Fun / 1978)という例の「アイム・セクシー」を含むアルバムで、『アトランティック・クロッシング』からここまでの4アルバムはすべてトム・ダウド(Tom Dowd)がプロデュースしています。『スーパースターはブロンドがお好き』も全体的には、“いつもの” ロッドらしいR&Bロックの世界が展開されていて、「アイム・セクシー」は遊びでちょっとやってみただけなのかなという気もするのですが、折からのディスコ旋風を真っ向から受けて、あまりにも目立ってしまいましたね。売れに売れたけどその分、批判・酷評も山盛り。日本でも、“スーパースターはブロンドがお好き” という邦題も手伝って、急に下世話なイメージがついてしまいました。
そのことにトム・ダウドの責任があるのかどうかは分かりませんが、これでロッドは一旦トムと袂を分かち、『パンドラの匣』は “Rod Stewart Group” とともに自らプロデュースを担いました。78年にグループに加入したケヴィンの才能への信頼も、その決断の背中を押したのではないかと推測します。
その後もケヴィン・サヴィガーは、90年代末までのロッドのすべてのアルバムに参加し、98年の18枚目のアルバム『ザ・ニュー・ボーイズ』(When We Were the New Boys)では、初めてロッドとともにプロデューサーとしてクレジットされます。
ロッド・スチュワートは今も現在進行系
2000年代は、クライヴ・デイヴィス(Clive Davis)の「J Records」に移籍して、クライヴ自らのプロデュースによる『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』(The Great American Songbook)シリーズの世界に入ってしまいますので、ケヴィンの出る幕はありませんでしたが、2010年代に入ると、前述のように、再びロッドの下に馳せ参じ、しかもさらにエンジニアとしての能力まで身につけて、ロッドにとってはもう欠かせない片腕として、彼の音楽を現在進行系で進化させているのです。