ポップスとしては少々行き過ぎて、宣伝チーフの渡部先輩からも罵倒された山下久美子のアルバム『アニマ・アニムス』ですが、自分としてはけっこう “やった!感” があったのです。レコーディングというものの面白さを改めて解ったような感覚がありました。 ところが発売後のある日、ユーリズミックス (Eurythmics)のアルバム『タッチ(Touch)』を何気なく聴いていて、耳を疑いました。『アニマ・アニムス』収録の「NEW YEAR’S EVE」という曲とアレンジがそっくりな曲が流れてきたのです。タイトルは「ライト・バイ・ユア・サイド(Right by Your Side)」。 リズムの感じも、スティールドラムやハイトーンギターやトランペットなどの楽器も同じ、どう考えても偶然ではありえません。一瞬、「マネをされたか?」とも思いましたが、いやいやそれもありえないでしょう。果たして『タッチ』の発売は1年半も前の1983年11月です。つまりこちらがマネをしたということです。 ユーリズミックスはひとつ前のアルバム『スイート・ドリームス(Sweet Dreams -Are Made of This-) 』なら愛聴盤だったのですが、『タッチ』はそれまで聴いたことがありませんでした。レコーディングの時点で知っていたなら、多少なりとも変えてもらったと思いますが、時すでに遅し。ほとんどそのまんまですから、アレンジャーとしてどうかとも思いますが、まぁ知らずにそれを許してしまった私がダメでしょう。 そして私は、録音業界の経済条件がおかしかったと思っています。アレンジに対するギャラが低かった。当時1曲3万円から、高くて5万円だったと記憶しています。 ミュージシャンならば、何も考えずにスタジオに来て、1時間あるいは1トラック演奏すれば、7千円〜1万2千円が相場でした。たとえばギタリストが、パターン違いのフレーズを2トラック、ダビング(追加録音)すれば、それが20分で終わっても2万円ということです。 それに対し、アレンジャーはアレンジを考えて、譜面に起こして、スタジオでミュージシャンに指示をして、判断をして、場合によってはミックスにも立ち会って3万円。とてもアンバランスに思えますが、当時はそれが業界ルールなので、むやみに勝手もできません。 アレンジなんて伴奏にすぎず、唄い易けりゃそれでいい、だった時代に決められたことがそのままになっていたのです。アレンジも曲のよさに、ひいては売上に大きく影響するようになった時代にはナンセンスでした。さすがにやがて売れっ子のアレンジャーからギャラの引き上げが始まり、プロデュース印税の要求も出てきます。 売れたらその分報酬が増えるという印税形式は、よい音を作るためのモチベーションにもなりますし、理に適っていると思いますが、そこはまた日本のレコード会社が渋る部分でもありました。私の現役時代は1%の印税を発生させるのもたいへんなことでした。1%というとアルバムの小売価格が3,000円の場合で約20円くらいのものです。つまり1万枚売れても20万円。たいしたことないんですがね。 ともかく。後藤次利さんには5万円は渡したと思いますが、それでもアルバム全部やって50万円ですから、割に合わない感はあったでしょう。まぁ彼の場合、ベーシストとして演奏ギャラももちろん取っていますが。それに割に合わなくても、だからマネをしていいってことにはなりませんが。 全体としては次利さん、とてもいい仕事をしてくれたと思っていますし、冒頭に述べたように自分にとってとても刺激的なレコーディングでした。だからこそ、このことが悔しいし、今になっても、忘れようとして忘れられない古傷なのです。 音楽はたぶん永遠に残るものですからね。
2018.03.14
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