2009年 5月5日

今も生き続ける川村カオリ。屈せず、媚びず、自らの居場所を模索しながら…

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 2009年のコラム 
ミュージカルTVドラマ「glee/グリー」で蘇った80年代の名曲たち

川村カオリ ― 全身で音楽を呼吸し続けたロックンローラー

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川村カオリで思い浮かぶナンバーは「ZOO」だけか?


1月23日は川村カオリの誕生日。1971年の生まれだから、生きていたら今どのように深化し、どのようなスタンスでその生き様を伝えていたか…。そんなことをボンヤリ考えた。

常に自分の立ち位置に満足せず、決して媚びず、流されず葛藤し、圧力、権力に動じず、自分の居場所を自分たちで作ろうとしていった。彼女の生涯から僕が感じることはこんなことだ。

川村カオリというワードでインターネットの検索にかけると「ZOO」というワードが付随してくる。「ZOO」とはもちろん、彼女のデビュー曲、辻仁成が作詞作曲を手掛けた不確かな愛の賛歌だ。彼女がこの曲のメインストリームに浮上したのは周知の通りだが、ずいぶんと長い間、彼女はこの曲を封印していたという事実がある。

デビュー間もない新人ながら臆せず歌った野音イベント


僕が、川村カオリの歌う「ZOO」をリアルに観たことがあるのは、一度だけ。1989年に彼女が所属するポニーキャニオン主催、日比谷野外音楽堂でおこなわれた『AGE OF THUNDER ROAD SPECIAL 「野音の地響き」』というイベントだった。

出演は、ロッカーズ、ゴーバンズ、ローグ、元CCBの関口誠人、今や女優、バラエティタレントして動かぬ地位を築いたYOUが在籍したフェアチャイルド、「翼の折れたエンジェル」のソングライター高橋研など。当時ロックアーティストの色合いが薄かったポニーキャニオンがバンドブームの最中だった時期に新たなスタンスで始動したことを象徴する意義あるイベントだったことを思い出す。

この場所で個性豊かな出演者に混じりながらも、臆せず登場した川村は、前年11月2日のデビューからわずか8か月という新人女性シンガーだった。真夏の陽の陽射しが舞台に照り返す中、真っ白いダブルの革ジャンで登場した川村。白い肌に溶け込んだその姿は、真夏の世界の中で一番涼し気で、クール。一種の清涼剤のようだった。

ここで彼女はデビュー曲である「ZOO」を披露するわけだが、お世辞にも、評価できる歌唱力ではなかった。それに加え、フォーキーで、穿った見方をすれば愛の押し売りのようなナンバーが似合っていたわけではない。

しかし彼女が歌う「ZOO」には、どこか心の奥に引っかかるような、ある種独特な説得力があった。それは今考えると、歌詞のサビとなる「愛をください」の「愛」がどのような愛なのか、それは何処にあるのか、果たしてその愛は自分を受け入れてくれるのか? そんな葛藤が垣間見れたからかもしれない。

つまり彼女は自分なりに、真正面から歌の世界観を受け止め、その答えを模索し、足搔いていたのかもしれない。そんな自分に正直な姿の残像が今も心に残っているのは、僕だけではないはずだ。

高橋研と組んで生み出された「僕たちの国境」


その後、川村は、この野音の地で共演したソングライターの高橋研とパートナーシップを組み数々の名曲を生み出す。

 言葉だけじゃ心はまっすぐに伝わらないし
 涙だけじゃよけいに悲しみがつのるから

 国境線を越えて 今すぐ会いに行くよ
 どんな人が住んでる どんな花が咲いてる
 君の胸の大地には

ロシア生まれのハーフという出自から考えてみても、当時のキャラクターの輪郭をクッキリと浮かび上がらせた「僕たちの国境」も、その当時に生まれた曲だ。

川村のデビューは88年。翌89年には天安門事件、ベルリンの壁が崩壊。90年には湾岸戦争勃発、91年には、彼女の出自に深く関わるソ連が崩壊。そんな世界情勢が揺れ動く時代の真っ只中、90年にこの曲がリリースされたというのは、必然だったのかもしれない。

しかし、高橋研とは、プロデューサーとシンガーという関係で数枚のアルバムを作り、彼女が20歳の時に袂を分かったという。

その頃の彼女といえば、アンダーグラウンドなクラブシーンでも抜きん出た存在になっていた。つまり、自分の出自がどうのとか、言葉や肌の色の違いなど関係のない、ロックンロールという国境のない世界で生きることの決断だったのかもしれない。

川村カオリのスタンスを普遍化させたロックンロール


1991年には「翼をください」のリメイクでスマッシュヒットを飛ばすが、その地位に甘んじることなく、自分らしく、自らの居場所を模索するかのように、多岐に渡るジャンルで軌跡を残す。バラエティ番組への出演や、モデルとしてショーに出演、またエッセイ集を出版し、土曜深夜のDJパーソナリティーとして人気を博すなど、あらゆる自己表現の手段にトライし、自らのアイデンティティを確立していった。映画『東京の休日』で初主演を務めたのも同年だった。

そのような模索は、亡くなる直前まで続いていったのだと思う。2003年には、幾度かのメンバーチェンジの後、SOBUTのMOTOAKI、ウッドベースにHELLBENTのYUICHI、ドラムにASSFORTのMASATOという名うてのアンダーグラウンドキングたちが集結した彼女のソロプロジェクト、SORROWによるミニアルバムを発売し、メジャーデビュー。

“ロックンロール” という人種も国境もすんなりと飛び越える手段を具体化した川村カオリのスタンスは普遍的なものになったと思えた。

その後は周知のように、病と闘いながらも決してあきらめることなく、自らのすべてをさらけ出し、飽くなき表現者として、多くの人々の心に、その生き様を刻んだ。

令和も生き続ける川村カオリの精神性


2009年7月28日、訃報が発表されると、彼女のブログには翌日までに8,000件の書き込みがあり、9月に有志によって行われたお別れ会では、会場として選ばれたC.C.レモンホール(現:渋谷公会堂 / 生前最後にライブを行った場所)には訪れたファンの献花が絶えなかったという。

当時のメディアは確かに彼女の死を大きく報じた。それは「ZOO」などのヒットによる名を馳せた歌手だから… や、闘病生活を公にし、バラエティ番組などでも、愛娘の存在が大きくピックアップされたから… という要因だったと思う。

それらは間違いなく彼女の一部分だが、僕がなにより伝えたいのは、川村カオリという表現者が、屈せず、媚びず、自らの居場所を模索しながら生き続けようとしたことであり、ロックンロールというすべての価値観を超越した世界に生きることの決意だ。

人は二度死ぬ。ひとつは肉体が滅びたとき、もうひとつは、みんなに忘れさられた時だ―― というシェイクスピアの有名な言葉がある。ならば川村カオリは死んだのだろうか? 答えはNOだ。川村カオリは、令和の今も生き続けている。その精神性は、閉塞感に苛まれた今の時代でも、目の前の壁を打ち破り、自分らしく生きるための指針になっている。


※編集部より:「僕たちの国境」の歌詞において誤りがありましたので、お詫び申し上げるとともに、訂正いたしました(2022.1.23)。

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2022.01.23
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