ついさっきまで、某居酒屋でニシンを食していた。瓶ビールを1本と麦焼酎の「克」を2杯。心地良い気分だ。
すっかり当サイトスポーツ担当となってしまったので、先の原稿では、1980年までのプロ野球選手の出したレコードと、巨人から阪神のエースとなった小林繁(故人)を語らせてもらった。そして次のネタを探しているとき、ニシンと克についてマスターの奥様と話をしていて思いついた。
今回は、先日亡くなられたドラゴンズのエース・星野仙一を取り上げさせていただく(現役時代を知っている世代としては、敢えて監督とは呼びたくない)。
居酒屋の奥様は名門・倉敷商業高校の出身。そう、星野さんの後輩にあたる。星野さんの1年後輩には、あの松岡弘。弱小ヤクルトスワローズのエースとして、初優勝と日本一に貢献。私の中でのスーパーヒーローである。
松岡の同期は、岡山東商業の平松政次。カミソリシュートの使い手として、巨人戦51勝というエゲツナイ結果を残している。
松岡と平松はお互いにリスペクトをしている。二人の対談を見たが、高校時代から大スターでセンバツ優勝を手にした平松に対して、松岡は憧れの気持ちが強かったという。平松は平松で、日本一となった松岡をうらやましくて仕方なかったそうだ。その二人が一致していたのは、星野さんが怖かったことらしい。
松岡曰く、「俺は当時ピッチャーじゃなかったけれど怖かった」。
平松曰く、「倉敷商と岡山東は姉妹校。だからしょっちゅう星野さんを見ていたが、後輩にならなくて、つくづく良かった」。
松岡191勝。平松201勝。互いに弱小球団にいながら圧倒的な実力者である二人が「怖かった」と称す。やはり、マウンドを蹴り、ベンチも蹴り、ともすれば監督として選手を殴る(見たことはないが…)星野仙一の存在感はズバ抜けたものがあったのだ。
さて、この星野仙一。現役時代にたった一枚だけレコードを出している。1981年にリリースした「街の灯がゆれる」だ。
実は、ジャケ写がすごい。どうみても野球選手には見えない。斜めから撮った写真はイケメン俳優のようだ。しかもこの曲の作詞は「よこはま・たそがれ」の山口洋子。かなりクール。
冷えた両手を そっとコートに包んで
旅の果てまで 連れてゆきたい
愛にはぐれて 寒くはないかい
ひとりぼっちで 生きていけるのか
そう、恋人との別れを未練たっぷりに歌っている。しかも、ムードたっぷりな歌声は、あの拳骨やキックからはまったく想像できない。まさに昭和のムード歌謡っていう感じ。
私は星野仙一が好きだ。
今でも好きだ。
これからも好きだ。
皆さんも追悼の意を表して、この曲を聴いてほしい。
歌詞引用:
街の灯がゆれる / 星野仙一
2018.02.10
YouTube / kagayaki
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