1977年 10月1日

寺山修司の美学が詰まった映画「ボクサー」意識したのはロッキーでなく “あしたのジョー”

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連載【ディスカバー日本映画・昭和の隠れた名作を再発見】vol.12 -「ボクサー」

​​ジョン・レノン級のレジェンド寺山修司監督「ボクサー」


ボクシング映画の名作というと多くの人がアカデミー賞受賞作『ロッキー』(1976年)を思い浮かべるだろう。筆者もどれかひとつをオススメするとしたら、そのタイトルを挙げる。一方で、この映画のタイトルを聞くと思い出される作品がある。それが本稿の主役、1977年に『ロッキー』の影響を受けて製作された日本映画『ボクサー』だ。

『ロッキー』が日本公開された年、筆者は田舎の小学生だった。シルベスター・スタローンという舌を噛みそうな俳優の名前は知る由もない。しかし、『ボクサー』には知っている名前があった。田舎の小学生でも菅原文太は知っている。名優だ。同じく主演の清水健太郎も知っている。当時彼が歌う「失恋レストラン」が大ヒットしていたから。ともかく、見なくてはいけない映画だと思った。

ーー 結局、『ボクサー』を観たのは1980年代後半、大学生となって上京してからのこと。この頃になると、映画にもうひとつ価値が付加されていた。それは、寺山修司が監督を務めていること。すでに故人となっていたが(1983年没)、当時の文系学生の間ではジョン・レノン級のレジェンドだった。

​​泥臭くて、残酷で、ただただ生々しいボクシングという競技


それはさておき、この映画について少し解説しておこう。清水健太郎扮する青年、天馬は脚が不自由でありながらボクサーを志し、スクラップ工場で働いている若者。一方の菅原文太が演じたのは、かつて勝てる試合でパンチを打つのを止めて敗北し、引退した元チャンピオンボクサー、隼。彼らの運命は、天馬が仕事中の事故により、隼の弟を死なせてしまったことで交錯する。

脚が悪い天馬は対戦相手に嫌がられたことから、ジムを追い出される。それでもボクシングへの情熱は捨てられない。汚い6畳一間のアパートで隠遁している隼を訪ねてコーチを頼む。弟を殺したも同然の天馬を、隼は最初こそ追い返すが、それでも熱意に負け、徹底的にしごくことにする。

“ボクサーになるには生易しいことじゃダメだ。お前に人が憎めるか? 誰を憎む?”

ーー と、問う隼。脚が悪いためにバカにされ続けてきた天馬は答える。

“世の中全部だ!”

かくして、はきだめの師弟コンビは勝利を目指して前に歩み出す。『ロッキー』の主人公ロッキー・バルボアも、はきだめで暮らすしがない三流ボクサーだった。そういう点では、確かに天馬の姿はそれと被らないでもない。しかし、この映画には『ロッキー』とは明らかに異なる点がある。それはボクシングという競技が、まったく輝かしく見えないことだ。泥臭くて、残酷で、ただただ生々しい。



​​寺山修司が意識したのは「あしたのジョー」


ボクシングファンだった文太の企画で本作は始まり、寺山がそれに乗って映画が作られた。寺山が意識したのは『ロッキー』ではなく、むしろ寺山自身が大好きだった、漫画やアニメで有名な『あしたのジョー』。物語の中で、あらゆるボクサーが、敗れ去っていく。主人公ジョーの住む場所は薄汚れたドヤ街で、いわば負け犬の住む場所だ。

『ボクサー』で天馬が住むところも同様。天馬が通い詰め、やはり負け犬のたまり場となっている食堂の名は “涙橋食堂” 。これは『あしたのジョー』で主人公が生きる街の一角にある “泪橋” へのオマージュのようでもある。また、天馬はサンドバッグに憎い野郎の写真を貼り付けて、ひたすら殴り続けるが、これはアニメ版『あしたのジョー』に寺山が提供した主題歌の歌詞と相通じている。

憎いあんちくしょうの 顔めがけ
たたけ!たたけ!たたけ!

負け犬が集う涙橋食堂の描写は、寺山美学の真骨頂。『あしたのジョー』の世界観と同様に薄汚さはあるが、そこに赤色が混じることで映像の印象が鮮烈になる。『田園に死す』(1974年)や『草迷宮』(1978年)などの寺山映画でみられた、あの世界観。そこにケバい化粧と服を着た夜の女たちや、ドロップアウトした男たちが集まってくる。パ●スケ、ビ●コといった当時は当たり前のように使われていた差別用語に、昭和の負け犬感がにじむ。天馬や隼も、彼らと同類の負け犬だ。

人の人生を勝ち負けで語るのは好きではないが、あえていえば、人は必ず負ける。甲子園で勝ちあがるのは1チームだけだが、その選手にしても後の人生のどこかの段階で必ず負ける。寺山が愛した競馬に例えれば、18頭立てのレースでは、基本的には17頭の馬と共に17人の騎手が負ける。一生勝ち続ける者がいないのが世の摂理だ。それでも人は生き続けなければならないし、勝負と思ったときには全力を尽くさねばならない。寺山が提示した美学とは、そういうことではないか。

​​ファイトシーンの迫力は具志堅用高による振り付けの賜物


全力がほとばしるファイトシーンが迫力のあるものとなったのは、当時WBCライトフライ級のチャンピオンだった具志堅用高による振り付けの賜物。具志堅は出演もしており、清水健太郎と言葉を交わす場面もある。他にも、ファイティング原田や輪島功一、ガッツ石松らそうそうたる名選手が顔を見せているが、これもボクシングを愛する寺山の熱意の表われだ。

最後にちょっとだけ音楽の話を。スコアを担当したJ・A・シーザーは、演劇の頃から寺山作品の音楽を手がけてきた盟友。映画『ボクサー』のために彼が生み出した音楽は、キャバレー音楽のようにシンプルで、もの悲しい。それは『ロッキー』でビル・コンティが生み出したシンフォニックで勇壮な音楽とは天と地ほどかけ離れている。

昭和から遠く離れた令和に、この映画がどう映るかはわからない。しかし決してノスタルジーだけでは終わらない凄みがあると、観直して改めて感じた。機会があれば、ぜひ一度ふれていただきたい。

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2025.09.20
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カタリベ
1966年生まれ
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