1994年 1月21日

ドラマ主題歌になった尾崎豊のラブソング「OH MY LITTLE GIRL」【ミリオンヒッツ1994】

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リレー連載【ミリオンヒッツ1994】vol.2
OH MY LITTLE GIRL / 尾崎豊
作詞:尾崎豊
作曲:尾崎豊
編曲:西本明
発売:1994年1月21日
売上枚数:107.8万枚

尾崎豊、初のドラマタイアップ曲はファーストアルバムからのシングルカット


今からちょうど30年前の今日、尾崎豊の「OH MY LITTLE GIRL」がシングル曲としてリリースされた。この楽曲は、1月10日に放送が始まったフジテレビの “月9” ドラマ『この世の果て』の主題歌に採用され、ドラマのスタートに合わせたシングルカットであった。

ドラマの脚本は野島伸司。“90年代のヒットドラマ” という括りで外すことのできない脚本家だ。彼はこの頃、精力的に執筆活動に打ち込み、前年4月クールのドラマ『ひとつ屋根の下』を大ヒットに導いた直後から、プロデューサー大多亮との間で次の作品の構想を練り始めていた。次作では「ものすごく鮮烈な男と女のギリギリの恋愛を描いたドラマをやりたい」という自らの意思を伝え、大多の中でイメージが膨らんでくるのを待った。

その後、大多から洋楽のスタンダードナンバー、スキータ・デイヴィス「この世の果てまで」(The End of the World)のイメージでドラマをまとめることができないかという相談があった。野島の中には過去に書き溜めていた腹案もあり、まずはドラマのタイトルをその楽曲にならい『この世の果て』とすることですぐに話はまとまった。

次に主題歌の選定に入るが、視聴者にあまり馴染みがなさそうな60年代ポップスを主題歌とすることは、大多も躊躇せざるを得なかった。そこで目を付けたのが、以前より一度起用したいと考えていた尾崎豊の作品群である。相談を受けた野島は尾崎作品を聴きこんだ上で、ファーストアルバム『十七歳の地図』の収録曲の中から、まだシングルになっていない隠れた名曲を見出した。それが「OH MY LITTLE GIRL」である。

尾崎は生前、リスナーとの絆を大切に思う気持ちがあまりに強く、タイアップには消極的だと伝えられていた。だが大多にはそれまで同じ立場をとっていた浜田省吾とのタイアップを、ドラマ『愛という名のもとに』で成功させた実績がある。交渉先が浜田と同じプロデューサーの須藤晃であったことも幸いだった。既に彼の信頼を得ていたことで「大多の言うことなら…」と快諾を得て、この楽曲提供は実現することとなった。

ⓒフジテレビ


尾崎豊、初のミリオンヒットは「OH MY LITTLE GIRL」


享年26。尾崎の逝去は1992年4月のこと。あまりに唐突過ぎた彼の死による “尾崎豊ロス” は依然大きく、それがセールスに拍車をかけたと言えなくもない。楽曲は発売と同時にヒットチャートを駆け上り、登場2週目にしてトップに躍り出る。そうなればドラマ主題歌の強みを発揮して、放送終了までの約3か月間は上位に張り付いて、最終的に売り上げ枚数107.8万枚に達する大ヒットとなり、尾崎豊として初のミリオンを達成した。

楽曲提供を打診された須藤は、尾崎の初期作品に見られる私小説的な視点をそれほど重視していなかったこともあって、野島がこの曲を指名してきたことを聞いて大変驚いたという。またこれほどまで売れるとは予想もつかなかっただろう。野島はこの楽曲の何をもって世界観に通じるものがあると考えたのだろうか。

表層的には彼らが拠り所とした洋楽の「この世の果てまで」は失恋の心の痛手を描いたものであるし、尾崎の「OH MY LITTLE GIRL」は小さな恋の物語のようでもある。ましてドラマ自体は都会の極限下ともいえる欲望渦巻く世界で繰り広げられる愛憎劇で、一見交わることがないようにも思える。

だが交渉に臨んだ大多は、楽曲に込められたティーンエイジャーの感情が持つ危うさとか脆さのようなものが、ドラマで描こうとしていた都会の片隅で暮らす孤独な男女間の愛情を描く上で大きな助けになるだろうと考えていた。改めて考えると、そもそも尾崎作品はただ10代の心の叫びばかりをテーマとしているわけではない。大人たちと闘い傷つきながら孤高を極め、拠り所を失っていく心の痛みを内省的に描いた作品も少なくない。

尾崎が書くラブソングの多くが本来ハッピーであるはずのシチュエーションを描いたものなのに、なぜかもの悲しい感じがするのは、それが本質だからであって表層的なものに囚われてはなかなか理解できない。そこに共鳴し合った野島と尾崎がもし共作する機会があったなら、心に残る作品がもっと生まれていたことだろう。



今も伝承されている尾崎豊の功績


このドラマの主題歌として流れていた「OH MY LITTLE GIRL」を聴きながら、もう再び尾崎の新たな彼の作品に触れることができない現実を我々は徐々に実感していった。そして決して多くはない彼の作品群を何度も掘り起こしては、新たな解釈を付け加えようと試みることもあった。

尾崎豊ロスは、悲劇性を伴うドラマの主題歌になったことで、尾崎豊というコンテンツの価値を増幅し、新たな価値を生むきっかけにもなったかも知れない。もちろん彼が亡くなったことは偶発的な出来事ではあるが、そもそも曲自体が人々を魅了する価値を持っているからこそ、大きな成果に結びつくのである。ミリオンヒットは尾崎ロスだけでなく、価値を見出した野島のような発掘者との共謀によって引き起こされた出来事となった。

だが逆に尾崎が存命だったら、どうだろう。彼が自分の預かり知らないところで成立するビジネスを嫌っていたとすると、そもそもこのようなタイアップは実現しないのではないか。まして晩年、猜疑心の塊のようになっていたといわれる彼には冷静な判断ができなかったに違いない。

 僕が僕であるために
 勝ち続けなきゃならない

ーー と歌った彼は命を削るほどのプレッシャーを自らに課していったのだろう。

尾崎豊に関する著作は数多く、彼の亡き後もその功績は伝承されている。きっと今後も生誕周年や没後祈念のメモリアルやトリビュート、現役アーティストによるカバー集など、ことあるごとに新たな取り組みが繰り返されていくだろう。日本の音楽産業が続く限り、尾崎豊が人々の記憶から消えることはないはずだ。

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2024.01.21
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カタリベ
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