ライオネル・リッチーは、80年代にヒットしたバラードの定形を作ったアーティストのひとりだ。
それはダイアナ・ロスとのデュエット曲「エンドレス・ラブ」であり、ソロとしての最初のヒット曲「トゥルーリー」などのことである。彼はそれ以前からそういうタイプの曲を歌っていた。例えばコモドアーズ時代の「イージー」や「スティル」などがそれに当たるだろう。
ロックを好きになり、そのルーツを知ろうとすると、黒人音楽を聴くようになる。今にして思えば偏った認識だが、僕が洋楽を聴き始めた80年代では、ロックのルーツ=黒人音楽ということになっていた。もちろん、それは正しいのだけれど、それだけではないと言った方がもっと正しい。でも、当時は広くそう信じられていた。
そのせいか、少しでも黒人音楽をかじった人に、ライオネル・リッチーは人気が無かった。きっと彼の音楽は、黒人にしては流暢過ぎたのだろう。いや、白人的過ぎたと言うべきだろうか。「あいつが黒いのは腹だけだ」と、どこかの雑誌に書かれていたのを読んだことがある。
誰がどんな音楽をやろうと自由だし、どんな音楽を好み嫌うかも自由だ。でも、ライオネル・リッチーへのそうした評価というのは、「黒人のくせに白人みたいな曲をやってるよ」といった差別がどこかにあったのかなと、今になってみると思うのだ。
僕にとってライオネル・リッチーは、くどいバラードを歌う人という印象だった。「エンドレス・ラブ」も「ハロー」も「セイ・ユー、セイ・ミー」も、僕にはトゥーマッチだった。それらは僕の好きな、例えばポール・マッカートニーやビリー・ジョエルが作るバラードとは、似て非なるものに思えた。友人にそう言うと、「多分、ブラックコンテンポラリーとロックは違うんだよ」と言われ、そういうことなのかと納得した。
僕が彼のナンバーで特に好きなのは「スタック・オン・ユー」だ。素朴な作風に惹かれた。派手さはないが、今聴いても胸に沁みる。他にもお気に入りの曲はいくつかある。
元々、ライオネル・リッチーは、コモドアーズのオリジナルメンバーだった人だ。1967年、まだ大学生だった頃にグループを結成し、ファンキーなサウンドで人気を集め、1974年にメジャーデビューを果たしている。彼らのデビューシングル「マシン・ガン」は、今でも愛される強烈なファンクインストだ。しかし、次第にポップ路線へと移行し、彼の書くバラードが人気を集めるようになると、グループを脱退してソロアーティストになった。
僕がヒットチャートを熱心に聴いていた80年代の初頭から半ばにかけて、ライオネル・リッチーは押しも押されぬ大スターだった。アメリカ音楽のメインストリームの中心には、いつも彼がいたと言っても過言ではない。そして、巷にはライオネル・リッチー的なバラードが溢れていた。それも僕が彼の音楽をくどいと感じた理由のひとつかもしれない。
ところが、1986年のアルバム『セイ・ユー、セイ・ミー(Dancing on the Ceiling)』とそのツアーを最後に、ライオネル・リッチーは何を言うでもなく表立った音楽活動を休止してしまう。そして、ファンは次のアルバムまで10年待つことになる。
数年前、ラジオから「トゥルーリー」が流れてきたとき、僕はハッとし、なんていい曲なのだろうと思った。久しぶりに聴くライオネル・リッチーの歌声は、時代が変わってもその新鮮さを失っていなかった。それが僕はなぜか嬉しかった。しばらくして、彼の新作『タスキーギ』が全米1位になったことを知った。
今ではライオネル・リッチーの音楽を、黒か白かで判断する人は少ないだろう。それは彼の残した曲が、人種の壁を超えて愛され続けているからだと思う。誰がどんな音楽を好み嫌うかは自由だ。でも、ライオネル・リッチーは美しいバラードをいくつも書いた。その事実に変わりはない。
2018.12.03
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