発明から6年を経て日本に上陸したルービックキューブ
昭和の子供たちにとって、それは突然現れた今までに見たこともない新しいオモチャだった。『ルービックキューブ』が発明されたのは1974年のこと。ハンガリーの建築学者で、ブダペスト工科大学教授であったエルノー・ルービック氏が考案した立体パズルだ。
今年は、ルービックキューブの発明50周年にあたる。そしてこれが日本に上陸したのは、1980年7月25日のこと。ツクダオリジナル(現:メガハウス)の代表取締役だった和久井威氏が販売権を1億円で獲得し、日本に持ち込んだのだ。当時の販売価格は1,980円。週刊少年ジャンプで『Dr.スランプ』の連載が始まり、原宿では竹の子族が踊っていた時代、1980年から1981年にかけてルービックキューブは日本中で大ブームとなった。
後のたまごっちのように極度な品不足に陥ることはなく、百貨店に朝から並べば買うことはできたが、やがて粗悪な偽造品も大量に出回るようになった。本物とおおむね同じサイズのものから小さなものまで、作りは安っぽいが本物と同じように遊ぶことはできた。定価で買うには手が出ない子供たちにとっては、ありがたいことであったが。
“パチ物”も大量発生、6面を揃える裏技も…?
1面のみを揃えるのは容易だが、そこから先が難しい。なんとか2面は並べることができたものの、6面全てを揃えるのは至難の業であった。当時、ツクダオリジナルのルービックキューブに “揃え方” などを記した説明書は入っていなかった。もちろんネットもなく、子ども同士のコミュニケーションといえば口コミと少年マンガ誌の投稿ページくらいしかない時代である。多くの子供たちは自力で6面を揃えることはできなかったが、いわゆる “パチ物” の構造は作りが甘く、キューブ自体をバラバラにすることができた。これを分解して、色を合わせて組み立てることで、どうにか6面を揃えていたのだ(笑)。
しかし、やがて意外なところから揃え方が出てきた。今でいうカプセルトイ、通称 “ガチャガチャ” だ。その当たりとして、揃える手順が載った “虎の巻” などと題された紙切れが入っていたのである。その紙切れを当てた子供はヒーローとなり、虎の巻は友人たちの間に流布されていったのだった。
ちなみに、ルービックキューブ発売の翌年には、兄貴分に当たる『リベンジキューブ』が発売される。4×4×4の立方体だ。さらにその数年後、5×5×5の『プロフェッサーキューブ』も発売となるが、元祖である3×3×3の『ルービックキューブ』ほど流行ることはなく、同じくパチ物が広く出回ることもなかった。
国内外で大会が開かれるほど盛り上がるも、やがて…
日本でルービックキューブは、正規品だけでも発売から8か月の間に400万個以上という売り上げを記録した。そして1981年1月31日、帝国ホテルにおいて『第1回全日本キュービスト大会』が開催され、6歳から68歳まで約400人が参加した。
優勝は当時16歳の高校生で、記録は1回揃えるのに46秒台、3回の合計2分37秒だったという。発明者であるエルノー・ルービック氏も来日し、優勝者には賞品として自動車が進呈されたという豪勢な大会であった。また1982年6月5日、ハンガリーのブダペストで『第1回世界ルービックキューブ選手権大会』が行われ、19名が参加。優勝はアメリカ合衆国で、記録は22秒95だった。日本からも一人の選手が参加し、24秒91で5位を記録している。
しかし、そのブームはすぐに過ぎ去ってしまった。なぜか。その原因は、人気アニメ『機動戦士ガンダム』のプラモデル、通称 “ガンプラ” の出現である。これによってルービックキューブの売れ行きは急激に失速。売れ残った大量の在庫は、翌年のツクダの福袋に入れるなどして約10年をかけて処理されたという。
再ブームではモザイクアートなど、新たな遊び方も
2000年代になると、インターネットの普及と共に愛好家同士の繋がりや揃え方の研究が進み、再びルービックキューブは流行し始める。各大陸や各国で大会が開催されるようになり、2004年には世界キューブ協会(WCA)が組織され、より統一された競技規則などが規定された。日本でも2005年から『日本ルービックキューブ選手権大会』が開催されるようになり、コロナの時期を除き毎年開催されている。ここでは揃える速さのみを競う種目の他に、片手や目隠しで揃えるという、離れ業のような特殊な種目も行われている。
ちなみに人力による現在の記録は、2023年6月の世界大会における3.13秒。そしてロボットの世界はさらに驚異的だ。2024年5月、三菱電機は「パズルキューブを最速で解くロボット」でギネス世界記録に認定されたことを発表した。その速さはなんと0.305秒。Youtubeで動画も公開されているが、速すぎて肉眼では見えない。
一方で、複数のキューブを使用して1つの絵画的作品を作り上げる “モザイクアート” という遊び方もされるように。トロントのアーティスト5人が4,050個で作った「最後の晩餐」はギネス世界記録に認定されるが、これを塗り替えたのは日本の小学生だ。2010年の東京おもちゃショーで、東京都町田市立山崎小学校の生徒約800人によってルービックキューブ9,071個で作り上げた全長11mのモザイクアートがギネス世界記録に認定されている。
また、マジックの世界では空中に投げると一瞬で揃うなど、ルービックキューブはさまざまな遊び方やエンターテインメントを生み出している。半世紀前に1人の建築家が生み出した魔法の立方体は、これからも、世界中で愛され続けていくに違いない。