反対意見が横行したビートルズ来日公演 いまでこそ誰にでも愛されるザ・ビートルズ(以下:ビートルズ)も、当時の日本の大人たちのほとんどは、多くのエレキギター・バンドと同様にただのうるさい騒音で不良の音楽とみなしていた。いわゆる《ロック=不良》という偏見。だから、ビートルズの武道館での来日公演が決まったとき、“そんな者たちに神聖なる武道館を貸すなどけしからん” という強硬な反対意見があたりまえのように横行していた。
僕のクラスメイトでもビートルズファンはほんのわずかだった。僕はといえばまだ中学生だった1964年、友達に借りた「プリーズ・ミスター・ポストマン」のシングル盤を聴いたことがきっかけで、そこからは勉強もそっちのけでビートルズに夢中になっていた。だけど情報源はレコードやラジオだけで、インターネットもMTVもなかった時代。演奏する彼らの姿を見ることはむずかしく、唯一、映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』(原題:A Hard Day's Night)だけが頼りだった。
封切り館での上映が終わったあとも、再上映されるたびには駆けつけて1日中映画館にいて何度も何度も食い入るように観たものだった。昨今のインバウンドからは想像もできないほど、英米ポップロックからまだまだファーイーストだった日本、一生彼らの演奏は見れないとなかばあきらめていた。そんなビートルズがやっと1966年に来日すると聴いた時はうれしかったが、残念ながら東京公演のみ。当時僕がいた大阪と東京は遠かった。
悔しいけれどあきらめるしかなかった東京公演 彼らとおなじく人気のあったアニマルズはすでに来日を果たし大阪フェスティバルホールでもやってくれたので、そちらは、友達の家に遊びにいくと親に嘘をついて小遣いをはたいて観にいくことができたが、東京公演とあっては、高校1年生の小遣いではチケット代も新幹線代もホテル代も捻出できず悔しいけれどあきらめるしかない。このときほど東京に生まれたかったと痛切に思ったことはなかったよ。
VIDEO 記念すべきビートルズの最初にして最後の日本公演は、東京の日本武道館のみ。6月30日、7月1日、7月2日の3日間、計5回行われたのだが、その初日に僕は、夏風邪をひいたんだったか、体調を崩して学校を休むことになった。そして翌日登校すると、クラスメイトだけじゃなく先生にまで “伊藤は昨日ビートルズを観に行ったんだろう” と言われて困ったことを覚えている。
彼らにすっかりかぶれていた僕の髪型はいわゆるマッシュルームカット。よく先生から髪を切るように注意されてたがなんとか無視。現代の男性のさまざまな髪型から考えたらとても長髪と言えるようなものではなかったけど、当時はそんな髪型をしている学生はほとんどいなかった。なので同級生たちの間でも僕がビートルズファンだということはよく知られていた。
衝撃を受けた「アイ・フィール・ファイン」 生で見れないくやしい思いはあったが、日本テレビ系のよみうりテレビで放映されるというので、それならば、1秒たりとも見逃さず、もう正座して見るくらいの思いで彼らのライブをテレビで楽しんだよ。来日が近づいてきた頃、わくわくしながらビートルズ好きの友達とやってたのが1曲目予想。「ヘルプ!」だろとか 「抱きしめたい」だろとかみんなまちまち。そんな中、僕の予想は、リンゴのドドンドドンというドラミングで始まる「シー・ラヴズ・ユー」。もう絶対これしかないとも思ってたのだが、ライブが始まると見事に大外れ。まったく想定外の「ロックン・ロール・ミュージック」だったのにはちょっと拍子抜けだったね。
僕としては「抱きしめたい」や「恋する二人」とかの初期の曲も聴きたかったのだが、セットリストはアルバムだと『ビートルズ・フォー・セール』『ヘルプ!』『ラバー・ソウル』あたりからが多かった。来日したタイミングを考えるとこれは仕方がない話で、この選曲からもやっと日本に来たんだ感がよく表れていた。「ペイパーバック・ライター」がレコードとそんなに変わらない演奏だったのにうれしい驚き。彼らの歌の力&演奏力に驚かされたが、それよりももっと僕が衝撃を受けたのは、「アイ・フィール・ファイン」だった。
VIDEO あのけっこう難しいリフを、まさかのジョンがなんと歌いながら軽々と弾いていたのだ。レコードで聴いてた時はてっきりジョージが弾いてると思いこんでいたからびっくり。なさけないことに僕は意外と指が短いので、歌わないで弾いてもあのリフはかなり難しいのに、あらためてジョンの演奏家としてのすごさに脱帽した瞬間だった。
40分にも満たなかった演奏時間 彼らの演奏の模様はいろいろな意味で日本の音楽シーンに爪痕を残したようだ。後年、この公演にドリフターズとして出演したいかりや長介さんが、ビートルズがステージの上でチューニングする姿を見て “プロのくせになにごとだ、楽屋でやってこい!” と思ったことをどこかで語っておられた。バリバリのプロのミュージシャンだったいかりやさんの気持ちはわからないでもないが、まだティーンエイジャーで若気の僕にはそれがかえってかっこよくみえたものだった。これはビートルズの登場が、それまでの型にはまったエンタメのやりかたをロック的なものに変えていったことの1つのあらわれ。今から考えると嘘みたいな話だが、まだチューニングメーターなどがなかった時代の話である。
もうひとつの驚きは1回のステージの演奏時間がなんと40分にも満たなかったこと。噂には聞いていたが、これはちょっと物足りないくらいの長さにすることで、飽きられないようにするためのマネージャーだったブライアン・エプスタインの戦略。いやはやあっという間だった。それでもあれほどの興奮はあれ以来、未だに体験することはなかったね。
親父が読んでいた夕刊紙に、加山雄三さんが彼らの宿泊先のヒルトンホテルを表敬訪問したことが書かれていた。そこで聴かされた最新作が、これまでに聴いたことのないサウンドで驚かされたという内容に好奇心が刺激されたことをよく覚えている。そのアルバムとはこの数ヶ月後にリリースされることになる『リボルバー』。そして、この日本公演も含むワールドツアーを最後に彼らはライブ活動をやめ、スタジオワークに専念していくのだった。
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2026.06.30