1966年 6月29日

ザ・ビートルズ来日60周年!あの日、僕たちは “何かわからないけど新しい音楽” に出会った

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ザ・ビートルズデビュー後のメディア事情


1970〜80年代に活躍したアーティストのほとんどが、ザ・ビートルズ(以下:ビートルズ)に大きな影響を受けているということは日本に限った話ではないだろう。そう思うと、改めてビートルズの魅力とは何だったのか、ビートルズのデビューをリアルタイムで体験した世代の1人として、振り返ってみたい。

僕がビートルズを知ったのは1964年になってからだ。ビートルズがイギリスでレコードデビューしたのは1962年だが、当時はもちろんSNSもインターネットも無く、放送衛星も実現していなかった。テレビは地上波だけで、1964年の東京オリンピックをきっかけにようやくカラーテレビが普及し始めた状況だった。だから、よほどのことでなければ海外のエンタテインメント情報など知りようがなかった。

当時、僕が聴いていたポップスは、ほとんどラジオの『L盤アワー』(ラジオ東京 / 現:TBSラジオ)や『P盤アワー』(ニッポン放送)といったレコード会社が提供していた洋楽番組や、『ユア・ヒット・パレード』とか『9500万人のポピュラーリクエスト』(共に文化放送)などのチャート番組を通じてだった。音楽情報も『ミュージック・ライフ』(シンコー・ミュージック)などの数少ない月刊音楽誌が頼りで、そこに載っていたアメリカの業界誌『Billboard』や『Cashbox』の月遅れヒットチャートの新曲がラジオで流れるのをひたすら待つという感じだった。

1962〜63年頃は、コニー・フランシスやジョニー・ティロットソンなどのスウィートでキャッチーな “ティーンエイジ・ポップス” の全盛期。これらの曲は漣健児らの日本語訳で、カバーバージョンも盛んにリリースされていたから、日本のオリジナル曲だと思って聴いている人も少なくなかった。

ビートルズがアメリカに初上陸した1964年


そんなある日、“あるイギリスのグループが、アメリカで大センセーションを巻き起こしている” というテレビニュースが流れた。だから、ほとんどの日本人は音楽を聴く前に、社会現象としてビートルズを知ったのだ。それだけに、アメリカを熱狂させているのはどんな音楽なんだろう、と妄想は掻き立てられた。ビートルズがアメリカに初上陸して大ブレイクが始まったのは1964年2月だから、このニュースもその直後だったと思う。

ビートルズは、1963年にアメリカで4枚のシングルをリリースしていたがヒットはしていなかった。しかし、彼らのアメリカ上陸をきっかけに、すべてのシングル曲がチャートを急上昇し、同年4月には「抱きしめたい」(I Want to Hold Your Hand)、「プリース・プリーズ・ミー」「シー・ラヴズ・ユー」「キャント・バイ・ミー・ラヴ」「ツイスト・アンド・シャウト」がヒットチャートの1~5位を独占するという、前代未聞の記録を打ち立てた。


日本でも、1964年2月に「抱きしめたい」と「プリーズ・プリーズ・ミー」のシングルが発売され、ラジオでオンエアされるようになって、僕は実際にビートルズの曲を耳にした。ラジオで初めて聴いた「抱きしめたい」には、当時のティーンエイジ・ポップスとはまったく違うインパクトがあった。ストリングスなどの飾りを一切取り去ったラフなギターサウンドとワイルドにシャウトするボーカル。聴きなれないけれどそのエネルギッシュな演奏にとまどうと同時に、何かわからないけど新しいという強烈な魅力を感じたことを覚えている。

また、演奏曲のほとんどをジョン・レノンとポール・マッカートニーが書き、歌も演奏もすべて自分たちでやっているということにも驚かされた。当時、歌手とは作曲家がつくった曲をプロの楽団の演奏をバックに歌うものだったから、その意味でもビートルズは規格外に映った。同時に、彼らの音楽のつくり方は、それまでのポップスより自分たちに近いものとして感じられた。



港町リバプールで育ったビートルズ


ビートルズはもともと、1950年代のアメリカのロックンロールやR&Bの強い影響を受けたバンドだった。ビートルズのメンバーは、イギリスの港町リバプールで育ったので、他所では手に入りにくいアメリカのレコードが聴きやすい環境にあった。そんな彼らはアメリカのロックンロールやR&Bに魅了され、自分たちもカバーして演奏するようになり、次第にオリジナル曲も作るようになっていく。そうやってロックンロールのスピリットを受け継ぎながら、彼らならではの感性をプラスした新しいスタイルのロックンロールが生まれていった。

彼らは、1960年代になってアメリカが忘れていたロックンロールやR&Bの魅力を新しい形で再確認させる存在だった。だから、アメリカ人にとって彼らの曲は、新鮮さと同時に懐かしさも感じられるものだったんじゃないだろうか。事実、ビートルズの初期のアルバムには「ツイスト&シャウト」を始め、アメリカンのロックンロールやR&Bのカバー曲が数多く収められていて、初期ビートルズがカバーバンドでもあったことを示している。

しかし、リアルタイムのヒット曲しか知らない当時の日本の子供たちにとって、ビートルズの曲は “まったく新しい音楽” と受け止められた。そして、楽曲のかっこよさに惹かれるとともに、それまではただ聴くものだと思っていた音楽が、自分の思いを表現するために自分で作ることもできる、ということに気付かされたのだ。

個人的な体験でいえば、僕はビートルズの曲を、1964年4月に発表された日本編集のアルバム『ビートルズ!』をきっかけに、アルバム中心で追いかけていった。だから、僕がその後もシングルよりもアルバム主体で聴くようになったのは、ビートルズが大きなきっかけだった。さらにいえば、ロックンロール、R&Bなどのアメリカのルーツミュージックをフォローするようになったのもビートルズのおかげだった。

ビートルズとフォークソングの親和性


ビートルズがもたらした大きな影響を考える時に、もうひとついえば、世界的なムーブメントとしてフォークソングが台頭していたことも大きかったと思う。1960年代初頭のアメリカでは、公民権運動やベトナム反戦運動と連動して、若者が自分たちの思いを表現するフォークソングが大きなムーブメントになっていた。フォークソングは、自作自演で自分たちのリアルを表現するという点でビートルズとの親和性が高かった。事実、ビートルズとボブ・ディランはお互いに影響を与え合っているし、その反映としてフォークロックと呼ばれる新たな表現スタイルも生まれている。

日本でも、ビートルズとフォークソングに共通点を感じた若者はけっして少なくなかった。ビートルズやフォークソングは、僕たちに “自分たちで音楽を作って歌っていいんだ” ということを教えてくれた。そして、ビートルズやフォークソングのコピーからスタートした日本の若いミュージシャンが、やがて自分たちのオリジナル曲を生み出してゆき、その後の日本の音楽ムーブメントを育てていくことになったのだ。

ビートルズに関しては、すでに膨大な数の研究書や評伝があり、改めて付け加えることもないとは思う。けれど、断ち切られていたアメリカ大衆音楽の歴史を繋ぎ直し、音楽が自分たちの思いを表現するアートになることを実践してみせたグループだったことは再確認する意味があるのではないだろうか。そして、こうした彼らのメッセージが、1960年代の世界の若者たちの潜在意識とシンクロしたことが、ビートルズが世界的に支持され、いまだにリスペクトされている大きな理由なのではないかとも思うのだ。

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2026.06.29
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カタリベ
1948年生まれ
前田祥丈
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