4月21日

商品力で選ぶ【80年代アイドル総選挙】クラスで一ばん目立たない私が輝く瞬間!

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70年代アイドルと80年代アイドルとの境界線


地球の地層には、6500万年前のところに「K-Pg境界」なる幅1cmほどの線がある。小惑星が地球に衝突して、恐竜が絶滅したことを表す境界線である。

同様に―― アイドルの世界にも境界線がある。それが、松田聖子がデビューして、山口百恵が引退する “1980年の境界線” だ。70年代アイドルから80年代アイドルへ、世界は大きく変貌した。

最大の変化は、80年代アイドルのビッグマーケット化だろう。思えば70年代、アイドルは少女たちのカルチャーだった。天地真理も麻丘めぐみもアグネス・チャンも中三トリオも、キッズとローティーンの少女がメインのお客さん。ゆえに、マーケットも彼女たちのお小遣いの域を出なかった。70年代アイドルがオリコン1位とあまり縁がなかったのは、そういう懐事情による。唯一の例外がピンク・レディーだが、ブームはわずか2年半で終息した。

そんなアイドル市場が80年代、一変する。中高大学生の男子が新たにファン層に加わり、女性ファンはハイティーンから20代全般にも拡大。大人もアイドルに夢中になった結果、80年代アイドルはビッグヒットを連発する。芸能界の序列も上がった。かつて70年代、テレビでアイドルはスタジオの端っこに立ち、歌う順番も早かったが、80年代――『ザ・ベストテン』でアイドルは最後に歌い、ソファーの真ん中に座った。

アイドルとしての “商品力” とは?


80年代のアイドル市場を一変させたのは何か? ――“商品力” だ。前に僕は当リマインダーの中森明菜サンのコラムで、アイドルとアーティストを比較した際、“前者に求められるのは「商品」としての完成度(=キャラクター性)であり、後者は「作品」としての完成度(=作家性)”と書いた(『特別な意味を持つ【1984年の中森明菜】一体この時期の彼女に何があったのか?』を参照)。つまり、アイドルとは、ある種のキャラクター商品。そこにスペック(ストーリー)や楽曲を重ねたパッケージングの魅力が、アイドルの商品力になる。

そう、1つのアイドルのシングルを出すために、芸能事務所やレコード会社をはじめ、作詞家、作曲家、スタイリスト、美容師、振付師、写真家等々のプロフェッショナルたちが才能を結集する。80年代、そのクオリティが格段に上がった結果、大人もアイドルにハマったのだ。つまり―― かつての少女たちのアイドルから、国民的アイドルへ。

さて、そこで本コラムのテーマ「80年代アイドル総選挙」である。ここまで書いてきた通り、僕がランキングの指標とするのは、アイドルとしての “商品力”。問われるのは、キャラクターとスペック(ストーリー)、そして楽曲が一体となったパッケージングの魅力と、そのクオリティである。

第10位:斉藤由貴


アイドルの世界は、いつの時代も「王道」と「異端」がカウンターのごとく並び立つ。70年代の桜田淳子に対する山口百恵、80年代前半の松田聖子に対する中森明菜―― 等々。そして80年代半ば、ドラマでツッパリ少女を演じた中山美穂は意味深なタイトル「C」でデビューし、放課後の女子高生を体現したおニャン子クラブは堂々と「セーラー服を脱がさないで」と歌うなど、異端系アイドルたちが目立った時代、そのカウンターとして王道路線で勝負したのが、斉藤由貴である。

「もう清純派のアイドルは古い」と言われる中、ポニーテール(後れ毛が流行りましたナ)にセーラー服をまとい、デビュー曲「卒業」でいきなりのスマッシュヒット。その後も「初戀」「情熱」と、古式ゆかしい文学少女的アイドル像を貫き、やがてフランソワーズ・サガンの処女作と同名タイトルの「悲しみよこんにちは」で大ヒット。その商品力は盤石だった。

第9位:おニャン子クラブ


先にも書いた通り、80年代半ば、王道系アイドルが苦戦を強いられる一方、いわゆるアイドル臭を払拭した異端系アイドルが勢力を伸ばす。1984年、秋元康作詞の「青春のいじわる」でデビューした菊池桃子は、同期の岡田有希子がフリルのドレスで歌うのに対し、普段着でステージに立ち、アイドルが出る歌番組にも一切出なかった。そして翌年、その最終形態として登場したのが、同じく秋元康作詞のおニャン子クラブである。

フジテレビの『夕やけニャンニャン』に出演する彼女たちのコンセプトは “放課後の女子高生”。メンバーが番組を休む際も、「○○ちゃんは、中間テストでお休みです」と、あえて普通の女子高生感を強調した。実はデビュー曲「セーラー服を脱がさないで」のジャケットに映るメンバー13人のうち、現役の女子高生は半数にも満たない6人。おニャン子≒女子高生を上手にパッケージングした “商品力” の勝利だった。そんな彼女たちは翌86年、オリコンランキングでソロも含めて51週中、実に35週も1位に輝く。



第8位:森高千里


一般に森高と言うと、作詞もして、ミニスカートが似合い、ステージパフォーマンスも派手な90年代の印象が強いけど、個人的には、ファーストアルバム『NEW SEASON』をリリースした頃の “前に出すぎない” 80年代の森高が好きだ。

ちなみに、同アルバムは中森明菜の初代ディレクターを務めた島田雄三サンがプロデュースした隠れた名盤。同名タイトルのデビューシングルは、作曲が、後に「渡良瀬橋」など数多くの森高楽曲をプロデュースする斉藤英夫サン、作詞は、後にSPEEDをプロデュースする伊秩弘将サンと、今思えば豪華布陣である。

当時の森高は、糸井重里サンと共演した「ポカリスエット」のCMでも分かる通り、凛とした美少女。そんな彼女は、熊本の高校時代、県下一の美少女と謳われながら(本当)、ガールズバンドを組んで、ボーカルではなくドラムを担当。そんな “前に出すぎない” ところが、持って生まれた森高の魅力(この辺のニュアンス、分かるひといるかなぁ?)である。



第7位:原田知世


僕らは2度、スクリーンの彼女に恋をした。1度目は1983年7月公開の映画『時をかける少女』(監督:大林宣彦)、2度目は87年12月公開の映画『私をスキーに連れてって』(監督:馬場康夫)である。彼女の名は原田知世。

誤解されがちだが、世に出たのは「角川映画大型新人募集」に応募して「特別賞」を受賞したからで、グランプリは渡辺典子サンだった。驚くべきことに、2つの映画の時差は4年ほどあり、この間、原田知世は髪形こそショートからロングに変わったが、透明感と可愛さ、そしてピュアな魅力は変わらない。まさに、王道アイドル。

ちなみに、2つの映画とも、劇中の原田知世は運命の人と雪山で出会っている。彼女の最大のヒット曲と言えば、映画と同名主題歌の「時をかける少女」(作詞・作曲:松任谷由実)だが、同映画のエンドロール明けで見せる、素のアップにやられたのは僕だけじゃないはず。更に驚くべきことに、同映画の公開から来年で40年になるが、原田知世は今も変わらない。リアル・時をかける少女である。

第6位:菊池桃子


料理で最も大事なのは、素材である。一流の料理人とは、素材の魅力を引き出す能力であり、料理法やテクニックを主張することじゃない。同様に、アイドルも大事なのは素材である。あとは、その魅力を生かし、いかに売れる商品に仕立てるか。松田聖子も中森明菜も、そもそも素材の段階で飛びぬけていた。

さて―― そこで、菊池桃子である。間違いなく、彼女は80年代アイドル史において、ナンバー1美少女と言っても過言じゃないだろう。それを痛感するのが、彼女がデビュー前(当時、中学3年)に出演した映画『パンツの穴』である。劇中、ほぼスッピンの彼女のなんと可愛いかったこと! もう、この時点で完成している。ある意味、下手に料理したら、逆に素材の魅力を壊しかねない。その意味で、フリフリの王道アイドル路線でなく、普段着で歌うナチュラルな味付け(非アイドル路線)でデビューさせた戦略は正解だった。



第5位:小泉今日子


さて、いよいよベスト5である。ここに入るのは―― まずは、キョンキョン。それも、あえて “1984年の小泉今日子” を推したい。同年、彼女がリリースした通常版シングルは4曲。「渚のはいから人魚」「迷宮のアンドローラ」「ヤマトナデシコ七変化」「The Stardust Memory」――

―― どうだろう、この盤石のラインナップ。当初、82年組の中でも、今ひとつキャラが立ってなかった彼女が一躍注目を浴びたのが、デビュー2年目に髪を切ってリリースした「まっ赤な女の子」だった。ただ、当時のショートはまだパーマが残る野暮ったい印象。それが「渚のはいから人魚」の頃には洗練されたショートになり、顔つきもシャープに。何より同曲は王道アイドル全開のクオリティ(作詞:康珍化、作曲:馬飼野康二。本当に名曲中の名曲だと思います)で、彼女にとって初のオリコン1位曲に。これを最高の笑顔で歌いこなすキョンキョンは完璧な王道アイドルだった。



第4位:薬師丸ひろ子


彼女はその登場から鮮烈だった。「お父さん、怖いよ…… 何か来るよ…… 大勢でお父さんを殺しに来るよ」―― 黒バックに少女のモノローグと、顔のアップ。角川映画『野性の証明』(監督:佐藤純彌)のCMはお茶の間に大量投下され、少女は一躍時の人になった。彼女の名は薬師丸ひろ子。映画のヒロインを選ぶオーディションで、原作の設定年齢8歳に対し、中学1年の13歳と規定をオーバーしながら、時の角川春樹社長の強力な推薦で優勝する。

思えば、彼女はその極端に少ない露出により、常に出演自体が事件になった。1979年には、正月に一回だけ流れた実相寺昭雄監督による資生堂のCM「色」に登場し、カンヌ国際広告祭で金賞を受賞。同年暮れには、映画『戦国自衛隊』の1シーンに若武者の役でカメオ出演。劇場には同シーン見たさに中高生のファンが殺到した。

そして1981年12月に公開された映画『セーラー服と機関銃』(監督:相米慎二)―― 主演を務めた彼女はクライマックスで機関銃を乱射。更に同名主題歌を歌って80万枚を超える大ヒット。時代は薬師丸ひろ子に沸いた。しかし、同年暮れ、彼女は大学受験を理由に1年半の休業に入るのである。

第3位:中森明菜


さて、トップ3。第3位は中森明菜である。日本テレビの『スター誕生!』でプラカードが11社も挙がったほど、当初から素材としても一級品だった。顔は可愛い、歌は上手い、根性もある(彼女は同番組に3回も挑戦した)。

あとは、どうやって魅力的な商品に仕上げるか。幸い、デビューにあたって来生えつこ・たかお姉弟から良曲「スローモーション」を提供してもらい、更に「少女A」というインパクトのある楽曲とも巡り合う。極めつけは、稀代の名曲「セカンド・ラブ」との出会い―― 中森明菜はトップアイドルになった。

初代ディレクター島田雄三サンの純愛スローバラードとツッパリ・アップテンポを交互にリリースする戦略もハマり、前者で女性ファンを、後者で男性ファンも含めた社会現象へとアプローチ。王道アイドル・松田聖子へのカウンターとして、山口百恵の再来とも言える異端系アイドルの頂点に立った。

第2位:松田聖子


そして第2位は、キング・オブ・アイドル、松田聖子である。中森明菜と並ぶ、80年代アイドルの東西横綱。2人の何が画期的だったかというと、シングルが毎作品、大ヒットしたこと。そんなケースは日本の音楽史上、かつてなかった。美空ひばりも、沢田研二も、山口百恵も成し得なかった大偉業。数字上なら、今もシングルが毎作品1位になるアイドルグループやアーティストはいるけど、聖子と明菜の場合、どれも国民的なヒット曲。その境地に達したのは、後にも先にも80年代の2人だけである。

その背景に、類稀なる素材の魅力に加え、最高のスタッフが結集した “商品力” があった。聖子の場合、作詞と作品の世界観を松本隆サンが構築し、作曲家陣に財津和夫を始め、大滝詠一、ユーミン、細野晴臣、尾崎亜美ら一流のミュージシャンが結集。アレンジは天才・大村雅朗サンが腕を振るった。

そして―― 松田聖子の商品力を語る際、外せないエピソードが、かの有名な “聖子ちゃんカット” である。四ツ谷のサン・ミュージックのそばにある「ヘアーディメンション」で聖子と美容師の飯塚保佑サンによって編み出されたヘアスタイルは、若い女性たちの間で大流行。それを成し得たのは、彼女がデビューから2年間、アイコンである髪形を変えなかったからである。2年目に「夏の扉」で「♪髪を切った私に~」と歌いながらも、頑なに髪を切らなかった。そう、アイドル・松田聖子という商品を最も大切にしたのは、他ならぬ聖子自身だった。

第1位:岡田有希子


さぁ、やってきました。80年代アイドル総選挙、栄えある僕の第1位は―― 岡田有希子である。え? さすがに、聖子・明菜を差し置いて1位はないだろうって?―― いえいえ、最初に申し上げたように、僕が同ランキングで重要視するのは、アイドルとしての “商品力”。それは素材の良さを生かしつつ、いかに最高のスタッフで、最高の商品に仕上げるか――。

まぁ正直、岡田有希子―― ユッコは、アイドルとしての素材の魅力は、そこまで際立ってはいない。1984年デビューの同期で言えば、知名度と実績はわらべの倉沢淳美が抜けていたし、美少女度では菊池桃子が他を圧倒していた。キャリアでは子役経験と声優経験のある荻野目洋子が一歩リード。ユッコはいいところ、4、5番手という印象だった。彼女は名古屋の厳格な家庭で育ち、高校は地元の名門校に進学した優等生。だが―― その一見、平凡なキャリアを見て、キャニオンレコード(現・ポニーキャニオン)の渡辺有三プロデューサーはひらめいた。

「六大学野球を観に行く、山の手のお嬢さんで行こう!」

―― 実際、渡辺サン自身が幼稚舎からの慶応ボーイだった。そこで慶応繋がりで、後輩の竹内まりやサンに楽曲を託す。それが、後のティーンエイジ・ラブ三部作である。

デビュー曲「ファースト・デイト」で「♪クラスで一ばん目立たない私を選んだ理由はなぜ?」と歌ったユッコは、その通りに、最初は同期の中でも目立たない存在だった。だが、夏休み明けの9月にリリースしたファーストアルバム『シンデレラ』のあたりから、業界関係者の間で注目され始め、続いてリリースした3作目のシングル「-Dreaming Girl- 恋、はじめまして」が、自身も出演するグリコ・セシルチョコレートのCM(演出は大林宣彦監督!)に起用され、にわかに脚光を浴びる。そして同曲で『ザ・ベストテン』にもランクインして―― そう、やっとお茶の間に見つかったのである。

文字通り、それは“クラスで一ばん目立たない私”がスポットライトを浴びた瞬間だった。そこから、彼女の快進撃が始まる。年末の賞レースで新人賞を次々と獲得し、そのフィナーレが大晦日のTBS「レコード大賞」で同期のトップに立つ最優秀新人賞――。まさに、その軌跡は彼女のファーストアルバムのタイトル同様、“シンデレラ” のようだった。

そう、素材の持つ魅力を、最高のスタッフで売れる商品に仕上げる―― これがアイドルの商品力。その意味で、1984年の岡田有希子ほど、彼女の素の魅力を1年間というスパンで、上手にストーリー化した例はないのではないか。




新年、明けましておめでとうございます。「80年代アイドル総選挙」の投票締め切りは、1月8日。あなたの思いをぜひ、ランキングに託してみてはどうでしょう。その投票が、推しのアイドルの順位を上げるかもしれません。

本年も、「Re:minder - リマインダー」ともども、よろしくお願いします。

80年代アイドル総選挙 ザ・ベスト100

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2023.01.01
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1967年生まれ
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