2月21日

アイドル歌手としてデビュー? 石川さゆりは「津軽海峡・冬景色」「天城越え」だけじゃない!

16
0
 
 この日何の日? 
SAYIRIのシングル「ウイスキーが、お好きでしょ」発売日
この時あなたは
0歳
無料登録/ログインすると、この時あなたが何歳だったかを表示させる機能がお使いいただけます
▶ アーティスト一覧

 
 1991年のコラム 
新しい10年の始まり、ZARDは90年代に一番売上をあげた女性アーティスト

漂う閉塞感に共鳴したダイナソーJr. 1991年のオルタナティブロック革命

R.E.M.「ルージング・マイ・レリジョン」の神話学

BUCK-TICKを語る上で外せない!魔王・櫻井敦司の歌詞世界に見え隠れする死生観

解放されたモリッシー、僕の中での特別なアルバム「キル・アンクル」

ASKA「はじまりはいつも雨」優しさと愛の詰まった珠玉の雨ソング

もっとみる≫




紅白出場48回、石川さゆり圧巻の歌唱力


2025年12月31日午後10時48分―― NHKの101スタジオには、『第76回NHK紅白歌合戦』の紅組20番目(トリ前)の歌唱者として、出場48回を誇る石川さゆりサンの姿があった。

その日、さゆりサンは『紅白』初出演となる結成99年目のNHK交響楽団とスペシャルコラボを披露した。楽曲は「天城越え」(作詞:吉岡治 / 作曲:弦哲也)。この日のために、かの服部隆之先生が編曲し、タクトを振るのはN響正指揮者・下野竜也という豪華布陣。静かに前奏が始まり、次第にグラデーションのように音が重なり、やがて壮大なオーケストラが響き渡った。ソレを背に、さゆりサンの圧巻の歌唱力――。

 何があっても もういいの
 くらくら燃える 火をくぐり
 あなたと越えたい 天城越え

石川さゆりサンで『紅白』というと、どうしても「津軽海峡・冬景色」(作詞:阿久悠 / 作曲:三木たかし)と「天城越え」を連想する人が少なくないと思う。しかし、彼女の48回の出場のうち、この2曲のいずれかを披露したのは27回。あとの21回はそれ以外の曲を歌っている。そう、“津軽” と “天城” だけの人じゃないのだ。何より、一昨年の2024年には、年始に起きた能登半島地震の被災地を思い、持ち歌の「能登半島」(作詞:阿久悠 / 作曲:三木たかし)を歌い上げたのはまだ記憶に新しい。

思えば、石川さゆりサンが『紅白』で “津軽” と “天城” を交互に歌うのがルーティン化したのは2007年から。その方針(楽曲の決定権はNHK側にある)について、ぶっちゃけ御本人はどう思っているのか―― 雑誌『婦人公論』の2024年1月号で次のように答えている。

「私も “新曲を出してるのに、どうして?” と思った時期もありました。でも、この2曲を聴いて “ああ、大晦日だね。新しい年がくるね” と皆さんが感じてくださるなら、それはそれで嬉しいことだと思うようになりました。そういう歌があるのは、歌手として幸せなことです」


――うん、よかった(笑)。ルーティン化の是非はともかく、御本人の心の整理がついているなら、外野がとやかく言う話じゃない。飛び抜けたヒット曲を持つ歌手は、周囲からいつもその曲をリクエストされるので、そのうち嫌いになって、“封印” するケースも珍しくない。でも、さゆりサンの場合、少なくともその時期は脱して、ある種 “悟り” の境地に達したと思えば、これほど喜ばしいコトはない。何のかんの言っても、やはりあの2曲は紛うことなき名曲である。





デビュー当時はアイドル歌手だった?


とはいえ―― このコラムでは、それ以外の話を少しばかりしたいと思う。なぜなら今日、1月30日は石川さゆりサンのバースデー。おめでとうございます。誕生日くらい、その2曲から解放させてあげましょうよ。

石川さゆりサンは1958年、熊本県に生まれた。本名・石川絹代。いつも着物を着てるので、本名でもしっくりきそうだが、意外と知られていないが、デビュー当時はアイドル歌手だった。当時(1973年)は大女優・田中絹代もご存命だったし、それに遠慮したのか、事務所に乙女チックな芸名をつけられたのだろう―― なんて思っていたら、名付け親は、当時フジテレビのドラマディレクターだった岡田太郎サン。アップの画を多用するところから、通称 “アップの太郎”。言うまでもなく、後の吉永小百合サンのご主人である。

この芸名をつけたエピソードがちょっと面白い。子どもの頃から歌好きだったさゆりサン―― 石川絹代サンは、密かに歌手への道を志した。そして小学6年の時に一家で横浜市に転居したのを機に、音楽教室に通い始める。運命の転機は1972年――。中学3年生になった彼女は、夏休みにフジテレビの『ちびっ子歌謡大会』に、音楽教室の友人の代役で出場して見事優勝。ソレが縁で同年秋に放映されたフジテレビ系の連続ドラマ『光る海』に俳優として起用される。与えられた役は、沖雅也演じる主人公・野坂孝雄の妹。その際、彼女の芸名(下の名前)を “さゆり” と命名したのが、同ドラマのプロデューサー兼演出家の岡田太郎サンだった。曰く “いつまでも美しく清潔であってほしい” ――。

ちなみに、岡田太郎サンが吉永小百合サンと電撃結婚して、世間をあっと言わせるのが、翌1973年8月である。もっと言えば、『光る海』は石坂洋次郎の小説が原作で、1963年に吉永小百合の主演で一度映画化されている。ソレを9年ぶりにテレビドラマにリメイクしたのが岡田太郎サンだった。これは僕の想像だけど、太郎サンは当時14歳の石川さゆりサンに、第二の吉永小百合を重ねたのではないか。



森昌子、山口百恵、石川さゆりの「ホリプロ三人娘」


そして、当のさゆりサンはというと、ドラマでの好演が光り、ホリプロからスカウトされる。そして翌1973年3月25日、「かくれんぼ」で日本コロムビアより念願の歌手デビュー。キャッチフレーズは “コロムビア・プリンセス” ―― そう、アイドル歌手だった。今聴くと、このデビュー曲は演歌調で、アイドルの楽曲らしからぬ気もするが、当時は野口五郎サンや森昌子サンなど、演歌調の曲でデビューする例は珍しくなかった。そもそも演歌もアイドル歌謡も境界線が曖昧な時代で、歌謡曲とひとくくりで呼ばれていた。

さゆりサンがデビュー当初、アイドル歌手だった証拠に、同じホリプロに所属する森昌子(1972年7月デビュー)と山口百恵(1973年5月デビュー)の3人で『ホリプロ三人娘』が企画されたことがあった。時期的には1973年の初夏から夏休みにかけてだろう。しかし、同年8月26日の『スター誕生!』の100回記念特番で、同番組からデビューした森昌子、桜田淳子、山口百恵の3人をチーフプロデューサーの “イケブンさん” こと池田文雄サンが、『花の中三トリオ』と命名。先の『ホリプロ三人娘』は自然消滅した。

まぁ、エンタメ的なセンスで言えば、ホリプロという1つのプロダクションの商魂が透けて見える『ホリプロ三人娘』より、事務所の垣根を越えて(桜田淳子はサンミュージックである)、同学年を強調した『花の中三トリオ』の方が圧倒的に新しい。ちなみに同時期にブレイクした『新・御三家』も郷ひろみ・西城秀樹・野口五郎の事務所はバラバラだった。図らずも、さゆりサンは学年では1つ上の高校1年だったこともあり、その流れに乗れず、不遇のアイドル時代を過ごすことになる。

一方、『花の中三トリオ』はアイドルとしてブレイクを果たし、その後、学年が上がるごとに高一トリオ、高二トリオ、高三トリオと名前を変え、年を経るごとに人気も加速。高校を卒業した1977年3月、晴れてトリオを円満解消する。そして―― そのタイミングで、ようやく幸運の女神が石川さゆりサンにも微笑む。同年1月に出した14枚目のシングル「津軽海峡・冬景色」があれよあれよとミリオンセラー。昌子・淳子・百恵の誰もなしえなかった偉業を達成したのである。



大ヒット曲「津軽海峡・冬景色」に続く「能登半島」で紅白の常連に


この次に出すのが、先にも記した「能登半島」である。この曲が出るまでのエピソードもなかなか面白い。作詞は「津軽海峡・冬景色」と同じく阿久悠先生だが、先生は前作の大ヒットを受けて、“次はさゆりが故郷に錦を飾れる歌を書いてあげよう” と、能登半島を舞台とした歌詞を書いてきたという。石川さゆりサンを名字から石川県出身と勘違いしたというのだ(ウソだろ!)。しかし後年、その曲が被災地にエールを送るのだから、世の中わからない。それにしても石川さゆりサン―― つくづく名前に関するエピソードに事欠かない方である。

で、後日談。翌1978年、自分の勘違いに気付いた阿久悠先生、今度こそちゃんと、さゆりサンの出身地である熊本を舞台にした「火の国へ」を書いてきたという。そして、さゆりサンは前年の「津軽海峡・冬景色」に続いて、同曲で2年連続『NHK紅白歌合戦』への出場を果たす。故郷に錦を飾ったのである。

この1970年代後半から1980年代にかけて、石川さゆりサンはコンスタントに爪あとを残し、『NHK紅白歌合戦』の常連になっていく。大ヒット曲「津軽海峡・冬景色」に続く「能登半島」、そして南国土佐を舞台にした「暖流」はいずれも作詞:阿久悠、作曲:三木たかしの座組で、今もファンの間で “旅情三部作” と親しまれている。

また、「沈丁花」(作詞:東海林良 / 作曲:大野克夫)を始め、「波止場しぐれ」(作詞:吉岡治 / 作曲:岡千秋)、「夫婦善哉」(作詞:吉岡治 / 作曲:弦哲也)、「滝の白糸」(作詞:吉岡治 / 作曲:市川昭介)、「風の盆恋歌」(作詞:なかにし礼 / 作曲:三木たかし)等々もスマッシュヒット。中でも1986年に出した「天城越え」は第28回『日本レコード大賞』で金賞受賞。この時期、さゆりサンは毎年、「紅白」に新曲で出演した。誤解を恐れずに言えば、心から彼女が『紅白歌合戦』の出場を楽しめた時代だったと推察する。





“SAYURI” 名義で発表した「ウイスキーが、お好きでしょ」


話はこれで終わらない。最後にもう1曲、石川さゆりサンを語る上で、絶対に外せない楽曲を。1991年2月、さゆりサンが “SAYURI” 名義で発表した「ウイスキーが、お好きでしょ」(作詞:田口俊 / 作曲:杉真理)である。

 ウイスキーが お好きでしょ
 もう少し しゃべりましょ
 ありふれた 話でしょ
 それで いいの 今は

同曲は、サントリーのウイスキー「サントリークレスト12年」のCMソングとして企画制作されたもの。プロデュースは、伝説的CM音楽プロデューサーの大森昭男サン。1970年代後半から1980年代前半にかけて展開された資生堂 vs カネボウのCMソング戦争の仕掛け人でもある。彼が世に放ったCMソングの数々は、それだけで1つの音楽カルチャーとして語られる質と量を誇る。

そんな偉人が晩年に手掛けたのが同曲だった。ジャジーな大人のナンバーで、さゆりサンの新たな一面を見せてくれた功績は余りある。CMはオーセンティックバーにいる男性が、蒸気機関車で旅立つ女性に思いを馳せながら、「サントリークレスト12年」のグラスを一人傾けるというもの。大人の色気が感じられる上質なCMだった。

だが、同曲が注目されるのは、実はそれから16年後の2007年、“角瓶”(角ハイボール)のCM曲としてリバイバルされてからだった。女優の小雪を起用したCMが当たり、かつての昭和のハイボール文化が時を経て現代に復活。今日まで続くロングセラーCMソングとなる。2009年からは様々なカバーバージョンが登場し、ゴスペラーズや竹内まりや、ハナレグミなど幾人ものアーティストたちに歌い継がれた。



NHKさん、『紅白歌合戦』で石川さゆりサンに「ウイスキーが、お好きでしょ」を歌わせてもらえません? もとい、SAYURIさんに――。えっ、CMソング? そんなカタいコト言わないで。

▶ 石川さゆりに関連するコラム一覧はこちら!



2026.01.30
16
  Songlink
 

Information
あなた
Re:mindボタンをクリックするとあなたのボイス(コメント)がサイト内でシェアされマイ年表に保存されます。
カタリベ
1967年生まれ
指南役
コラムリスト≫
54
2
0
2
3
Mr. Melody【杉真理 最新インタビュー③】君は “音楽の魔法” を信じるかい?
カタリベ / 本田 隆
182
1
9
8
6
日本のソウル「天城越え」すべての歌手は石川さゆりに嫉妬する
カタリベ / 藤澤 一雅
32
2
0
2
3
紅組最多出場 石川さゆりの軌跡【第74回NHK紅白歌合戦】今年は「津軽海峡・冬景色」
カタリベ / ミゾロギ・ ダイスケ
37
1
9
8
0
花登筺といえばド根性! 昼ドラ「ぬかるみの女」純白ドレスの謎
カタリベ / 平マリアンヌ
35
1
9
8
0
ヒットの鍵は浸透圧、80年代の扉を開けた松田聖子の「あー」ソングってなに?
カタリベ / 古木 秀典
17
1
9
9
0
スティールハート、渾身のバラードで名を馳せたハードロック・バンド
カタリベ / KazーK