語りかけられているようなリアルさを感じる大江千里の歌い方
大江千里の声は不思議だ。心の年を感じないというか、なんとも理想的な「ちびっこ声」の持ち主である。
子どもが友達を「〇〇ちゃん、あーそーぼ!」と誘う、あのウキウキ伸び伸びとした呼び声を思い出させる、明るくまっすぐな響きだ。
私が印象深いのは、彼が出演していたドラマ『十年愛』の主題歌の「ありがとう」。温かなラブソングだが、彼の声を聴いていると、不思議と、もみじのような「てのひら」が見える。ひらがなを覚えたての小さな子どもが、大好きな人に、不器用ながら必死に鉛筆を握り、感謝や好きな気持ちを書いているような――。
多分、明るく高い声と滑舌の良さがそれを想像させるのだろう。パキパキと明るくてビビッドな母音。横棒線が見えるような、まっすぐなロングトーン。日本語がカッチリと耳に入ってくるのだ。
特に、彼の「カキクケコ」はカクカクと聴こえて本当にかわいい。「恰好悪いふられ方」があれだけ聞き心地がいいのは、出だしの「恰好(かっこ)」の響きが素晴らしいからであり、「Rain」のサビ「行かないで 行かないで」も、彼独特の「か」が本当に良い仕事をし、語りかけられているようなリアルさを感じるのだ。
「ぐりとぐら」「おおきなかぶ」… 大江千里が福音館書店の名作7作を朗読
前置きが長くなってしまった。だから、大江千里が2007年に絵本の読み聞かせCD『うんとこしょ どっこいしょ』をリリースしたとき、聴く前から確信していたのだ。
「ああ、世界観が絶対合う!」
―― と!
『うんとこしょ どっこいしょ』に収録されているのは、「ぐりとぐら」、「おおきなかぶ」といった、福音館書店の珠玉の名作7つだ。語りを彩る演奏は、彼自身のピアノのみ。
いやもう想像通り! 絵本というシンプルで輪郭のはっきりした世界観と、彼の声とピアノは素晴らしく合っていた。男の子も女の子も、動物も、おばけも、一人ですべてこなす。おかげで、絵本に顔を埋めて必死で読んでいたあの頃に、一気に引き戻された。
「ぐりとぐら」もいいが、やはり圧巻なのは、タイトルの「うんとこしょ どっこいしょ」のフレーズが登場する「おおきなかぶ」である。
ロシア民話ということもあり、なにやらミステリアスなピアノ。昔「パルナス」のCMを聴いた時と同じようなゾワゾワ感があり、クセになる! 弾き語りライブでは、子どもたちも一緒に「うーんとこしょ! どっこいしょ!」と大合唱になったという。
1983年のデビューから、季節感、もどかしく流れる時間、太陽のまぶしさ、雨のせつなさ……。たくさんの美しい風景を恋と絡めて歌ってきた彼。
歌だけでなく、俳優としても、名作に出演し、存在感を示してきた。その表現力が水たまりのように集まって、彼の持つ「ちびっこ声」とピアノに乗り、跳ねて飛んではしゃいでいた。
リリースの年の年末に、ジャズ留学で長期活動休止
このアルバムリリースは、彼がちょうど人生の岐路に立たされている頃である。ジャズピアニストへの路線変更という一大決心をし、ニューヨークのジャズ専門の音楽大学を受験、合格通知を手にしたのは2007年10月。このアルバムがリリースされたのが2007年5月。レコーディングはもう少し前だとしても、方向転換が心にあったことは間違いない。
その時期に、読み聞かせCDを出す、というのが、本当にいいなあ、と思う。彼がジャズピアニスト転向を決めた背景にもある「ラブソングを書けなくなってきた」ことへの苦悩が、関係しているのかもしれない。しかし、企画自体はラジオのタイアップなので、深読みするほどの理由はないかもしれない。
どちらにしても、このアルバムを聴くと、いつだって彼の声と音からは、「日常はすべて愛しい音でできている。愛され続ける物語は、すべて優しい言葉でできている」。ジャンルを超えて、それを伝える笑顔が見えると確信できるのだ。
そして、なにもかも純粋に「好き」だった頃に感覚を戻す」というか、小さいころ大好きだった原っぱに戻った、そんな原点回帰のような1枚にも思えるのである。
今年デビュー40周年。夢をかなえジャズピアニストになった今、ターニングポイントのときにリリースしたこのアルバム、第2弾が出ないかなあ、とひそかに楽しみにしている。
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2023.05.22