前回爆風スランプ(昔の表記)のことを書いていて思い出したのは、当時のソニーには他に米米CLUBと聖飢魔Ⅱも在籍しており、イロモノトリオのような扱いを受けていたことだ。
米米CLUBはバンドというよりエンターテイナー集団で、初代ギターの博多めぐみちゃんは今でいう女装男子だがあくまでも “女子” の設定。聖飢魔Ⅱは言わずと知れた “悪魔”。ものすごく頭のいい悪魔。
3バンドに共通するのはボーカリストがステージパフォーマーとして天才的だったことと、衣装や演出の奇抜さだけで人々の記憶に残るのではなく、それぞれきちんと今も歌いつがれるヒット曲を出していることだ。
80年代のアーティストは皆、いい曲を書き、そしてそれを売ることが目標だと隠さなかった。インタビューは自分たちのやりたいことを主張する場か、徹底的にふざけ倒して相手を煙に巻く場で、音楽業界の現状など語っている人は誰もいなかった。
インタビューといえば、『夜のヒットスタジオ』は水曜夜に生放送で、入り時間から本番まで長く待つため、その時間を利用してフジテレビの食堂などでやることもあった。
水曜日は『オレたちひょうきん族』の収録日でもあり、廊下を歩くときは気をつけないと粉まみれの人やびしょ濡れの人にぶつかった。
人ごみの中で光り輝くジュリーのことは真顔で見つめた。心から見つめた。とんねるずを間近で見たときはやはり天才パフォーマーここにあり、と思った。
曙橋にあったフジテレビからいったいどれだけの夢と笑いが羽ばたいていったのだろう。テレビで見たことのある人、ない人、仮装の人、スーツの人でごった返していたあの廊下の活気は今もあるだろうか。
不謹慎という言葉を最近またよく聞く。私が思うに、あのころ “不謹慎” は一種の褒め言葉でもあった。雑誌『宝島』がそれを体現していたし、爆風スランプも米米CLUBも聖飢魔Ⅱもいい具合に不謹慎だった。
でもそれによって誰かが傷ついたなどという話は聞いたことがない。エンターテイメントは世間の常識や良識を乗り越えていくものであり、何かを恐れて縮こまってしまったら大きな損失だ。爆風スランプも米米CLUBも聖飢魔Ⅱもそれまで見たことがないものだった(聖飢魔ⅡにはKISSという先達もいたが)。
鬱屈した時代の空気が若い人たちが持つアイデアやチャンスを奪ってしまわないよう切に願っている。
2017.07.27
YouTube / Julio Iglesias Fan
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