イメージは鮮烈、格段に分かりやすい歌詞!
尾崎豊の音楽を初めて聴いたのは、1985年の2月ごろのことだったと思います。神戸のUHF局・サンテレビでネットされていた、TVK(テレビ神奈川)『ミュージックトマトJAPAN』で観た、尾崎豊『卒業』のビデオクリップ。
私自身が、大阪の府立高校を「卒業」する寸前だったこともあり、イメージは非常に鮮烈でした。そして感じたことは――「これは、分かりやすい!」。
1つは、「夜の校舎 窓ガラス壊してまわった」という、既に沈静化しつつあった「校内暴力」を描いた歌詞。
このサイトのカタリベの指南役さんも「尾崎の歌う青臭い歌詞は、既に時代とズレていたのだ」と指摘されていましたが、その分、尾崎豊の師匠筋と言える佐野元春の、時代の最先端を走るような、都市文学的な歌詞世界に比べて、格段に分かりやすかったのです。
そして、やたらとしつこい最後のメロディ!
そして2つ目として、やたらとしつこい最後のメロディ。ここで言う「最後のメロディ」とは、「♪卒業して 一体何解るというのか」からのパートを指します。
特に、「♪あと何度自分自身 卒業すれば」のところの哀愁と言おうか、絶望感と言おうか。ここがめっぽうストレートで、ベタで、同じく「卒業生」だった私のハートに刺さってきたのです。
で、今回は、そんな「♪あと何度自分自身 卒業すれば」の哀愁の構造を解体してみたいと思います。
卒業の構造を解体、哀愁の秘密は「ソ#」にあり
その哀愁の秘密は、「ソ#」にありました。
例によって簡易楽譜。「あと何度自分自身 卒業すれば」を階名で並べるとこうなります。この、「卒業」の「そつ」が「ソ#ソ#」になっていて(キーはA)、この音が、強烈な哀愁を感じさせるのです。この音、胸がキューっと締め付けられるような感じがしませんか?

この「ソ#」の使い方について、もっと分かりやすい有名な例は、イルカの『なごり雪』です。「♪ふざけすぎた季節のあとで」の「ふざけ」の「け」が「ソ#」(キーはF)。この音にも、胸がキューっと締め付けられる哀愁があります。

尾崎豊をスターダムに押し上げた「哀愁のソ#」
種を明かせば、この「ソ#」は、暗さを感じさせる短調のコード「ラドミ」につながる音なのです。図で表すと、この「ソ#」は、暗黒の池にズボっとハマる寸前の、哀愁の音――「哀愁のソ#」なのです。

つまり、先の「哀愁」については、単なる感覚ではなく、音楽理論的に説明はできるのですが、ここでお話ししたいのは、そういう理屈ではなく、このストレートでベタな「哀愁のソ#」が、尾崎豊を一気にスターダムに押し上げたのではないかという、私の仮説です。
そして話は冒頭に戻ります。高校の「卒業」の寸前とは、大学受験のシーズン。そんな大事なときに、こんなことを考えていた私は、当然のように浪人生活に入りました。「哀愁のソ#」が聴こえてきたのは、暗黒の予備校生活にズボっとハマる寸前の、哀愁の季節でした。
2017.05.13