レコ大、紅白は子どもの頃から毎年の恒例行事
『NHK紅白歌合戦』と並び、年末の日本歌謡界の総決算『輝く!日本レコード大賞』、1959年の第1回から今年で64回目、長い歴史を刻んできた。
私にとってもレコード大賞は子供の頃から特別な存在。大みそかは早く風呂に入って、7時からレコ大を観て、9時からは紅白、この日だけは子どもでも遅くまで起きてても怒られなかった。その後は『ゆく年くる年』を観てそばを食べて寝るという毎年の恒例行事であり、特別な日だった。
私は、1977年TBSに入社して制作部に配属になってから、コロナ禍前の2019年までほぼ40年以上 “レコ大” と関わっていくわけだが、憧れのレコード大賞に最初に関わったのが入社した1977年の第19回だった。この年の “レコ大” は帝国劇場で開かれた。私も入社半年、一番下っ端のADとして、右も左も分からないまま参加した。表彰担当のADとして、受賞者への表彰のお手伝いだったが、担当の上司に「表彰スタッフは皆タキシードだ」と言われ、衣装部でタキシードを借りて本番に臨んだが、そんな人は誰も居なかった。すっかり騙されたのである。
なにしろ初めて行った会場は、帝劇のきらびやかな大ステージでまぶしいまでの別世界。TBSにとっても通常の番組と違い、最高の技術、美術、制作スタッフによるまさにオールTBSで挑む1年で最大の大イベントである。
この年は「勝手にしやがれ」で大賞を受賞する沢田研二をはじめ、八代亜紀、山口百恵、岩崎宏美、西城秀樹、石川さゆり、ピンク・レディー、どこを見ても大スターばかり、そんな中、ど新人の私は、緊張と恥ずかしさもあってどこで何していいかも分からず、タキシード姿でステージの上手の袖で2時間ただ立っていただけ。当時レギュラー番組で一緒だったピンク・レディーや榊原郁恵が私を見て「何やってんの?」という顔で笑っていたのが思い出される。これが私とレコード大賞の最初の出会いであり、忘れられない苦い思い出である。
(C)TBS
テレビとは異なるレコ大のラジオ放送とは?
この年以降、AD、舞台監督、客席担当などほぼ毎年関わっていくが、1983年ラジオ制作に配属されてからも、レコード大賞を外れることはなかった。82年の第25回から85年の第27回まではラジオ版のディレクターを担当した。レコード大賞は、テレビとラジオの同時生放送(業界ではこれをサイマルと呼ぶ)。ラジオは基本的にはテレビの音声に加え、司会者と歌手がトークしている間は情報などを話す別の放送を行っている。歌はテレビの音声である。
進行役のアナウンサーは、会場一番奥のブースでしゃべっている。特にラジオが大変なのは、テレビより放送時間が5分ほど長いこと。テレビでは大賞受賞者の歌の間にエンドロールが流れて終了するが、ラジオはそこから約5分、大賞受賞者のインタビューを行う。
そのためテレビ終了後、受賞者をつかまえておかなくてはならない。まさにラジオ放送はここが最大の勝負。ところがテレビに協力は期待できない。放送終了直後のバタバタで、「緞帳(どんちょう)おりまーす」とか雑然とした状況。歌手の皆さんも終わったと思ってざわざわしている。しかも、この時代はNHKの紅白が直後スタートとあって、たいていの場合は、大賞受賞歌手はすぐにNHKに向かわなくてはならない。NHKの担当者も迎えに来て、今にも連れ出そうとしている。その大混乱の中、3回とも無事大賞歌手をインタビューすることができた。今思えばまさに戦場だった。
小野正利とNHKの廊下を全力疾走
戦場と言えば、1992年の第34回。この時代は紅白が2部制になって7時20分スタートとなり、レコード大賞とは、ほぼ2時間表裏のどちらも生放送。すなわち、同じ歌手が “レコ大” の武道館と紅白のNHKホール(渋谷)を行ったり来たり。渋谷が終わったら武道館へ、武道館から渋谷へ行ってまた武道館に戻るとか、まさに綱渡りの複雑なパズルだった。
そこでNHK担当という役割ができ、この年私はその担当になった。NHKの出番が終わった歌手を迅速にすみやかに車に乗せ、武道館へ送るのが使命だった。この後レコ大の出番がある歌手を、紅白で歌い終わってひっこんできた舞台袖でつかまえ、通路を走って車に乗せる…。そんな歌手が数人いるので、同じ時刻に何度も車を試走して時間をはかり、その日を迎えた。
そして当日、まずはマネージャーに説明するため、早くから紅白の楽屋で待機するが、ここは完全アウェイ。我々も居場所はなく、肩身の狭い思いで廊下で待機。知ってるマネージャーや歌手からは「TBSが何やってんの?」と怪訝そうな顔で通り過ぎていく。これがまたつらい。いよいよその時間が近づいたらTBSの黒塗りの車をNHKの通用口の前で待機させる。車の先頭を道路に向け、荷物用のトランクを開け、エンジンをかけドアも開けて待っている。乗ったらすぐにスタート。これもまたしびれる戦場だった。
特にしびれたのがレコ大新人賞の小野正利。NHKの出番が終わって12分後にレコ大の出番。すなわち渋谷のNHKからレコ大の武道館まで10分以内で運ばなくてはならない。小野正利をすぐキャッチしてNHKホールの廊下を本人と一緒に全力疾走。車のルートは事前に試走しているので大丈夫、信号も少なく高速の入口、出口共に近いので法定速度も守りながら、渋谷から武道館まで8分で到着。無事彼を送り届けることができ、レコ大のステージにも十分間に合うことができた。これもまた忘れられない思い出である。
次回は、64年の歴史を持つレコード大賞で起きた2つの大事件をご紹介したい。
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2023.11.10