2000年 8月9日

鬼束ちひろ「月光」異端の表現者とドラマ「TRICK」が共鳴した孤独と救済の世界

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リレー連載:2000年代ドラマ主題歌特集
▶ 月光 / 鬼束ちひろ
▶ TRICK
▶ 主演:仲間由紀恵、阿部寛
▶ 放送期間:2000年7月7日〜9月15日
▶ 放送局:テレビ朝日系

「TRICK」と「月光」の幸福な共鳴


2000年8月にリリースされた鬼束ちひろのセカンドシングル「月光」は、もともとシングル化される予定はなかったものの、テレビ朝日系ドラマ『TRICK』の主題歌に起用されたことで注目を集め、急遽シングルとしてリリースされた。『TRICK』は仲間由紀恵演じる自称天才マジシャン・山田奈緒子と、阿部寛演じる物理学者・上田次郎が、超常現象の裏に隠されたトリックを暴いていく人気ミステリードラマだ。

コミカルでシュールな空気を持ちながら、どこか不穏で哀しい後味を残す物語。そのエンディングで「月光」が流れることで、ドラマの持つミステリアスな余韻はさらに増幅されていくようだった。特に「♪I am GOD’S CHILD」というフレーズは、物語が進むにつれて浮かび上がる山田奈緒子の出自とも重なって見えてくる。鬼束の持つ神秘性と、『TRICK』のミステリアスな世界観。その融合はあまりにも見事であり、美しくも見えた。

「月光」のあまりにセンセーショナルな一節


「月光」というタイトルから真っ先に思い浮かんだのは、ドビュッシーの「月の光」だった。穏やかで美しいクラシックの名曲。だからこそ、2000年にリリースされた鬼束ちひろのセカンドシングル「月光」を初めて聴いたとき、その激しさに衝撃を受けた。ドラマチックなピアノのイントロ。そして間髪入れずに放たれる、「♪I am GOD'S CHILD この腐敗した世界に堕とされた」ーー 。

あまりにセンセーショナルな一節だった。当時まだ20歳そこそこの少女が、“腐敗した世界” に生きる痛みを、自らを “神の子” と呼び歌い上げる。裸足で地を這うように歌い、曲が進むにつれ感情は高まり、まるで何かが憑依したような空気を醸し出していく。誰もがその圧巻の歌声とパフォーマンスに息を呑んだ。

人間の根源的な孤独や痛みに触れようとしていた鬼束ちひろ


2000年代初頭は、宇多田ヒカル、浜崎あゆみ、安室奈美恵といった歌姫たちが音楽シーンを席巻していた時代だった。その中で鬼束ちひろは、極めて異質な存在だった。浜崎あゆみもまた。生きづらさを歌ったアーティストだったが、鬼束はさらに深い場所―― 人間の根源的な孤独や痛みに触れようとしていた。

以前、鬼束は歌詞について、“書こうと思って書くのではなく、降りてくる感覚” と語っている。さらに独特な言葉選びについても、“悲しいにもいろいろな種類があって、ぴったりの言葉を頭の中で手繰り寄せながら見つけていく。歌詞が完成すると、今の自分はこんなことを考えていたんだと気づかされる” とも話していた。
彼女にとって、歌詞は自己探求であり、自己救済でもあった。だからこそ彼女の歌には、単なる共感では片づけられない深さがある。抽象的でありながら、心の陰の部分を鋭く照らしていく世界観。だからこそ、そこに救いを求めるように惹かれていった若者も多かった。



あまりにも圧倒的な歌声で歌い上げる歌手


鬼束ちひろの歌声の魅力は、単なる歌のうまさではない。圧倒的な声量、ヒリヒリとした質感、そして剥き出しの感情。その声には “生” の痛みが宿っているように感じられる。1990年代は華原朋美やglobeのKEIKOをはじめ、小室哲哉プロデュース時代でもあり、高音ボイスの女性アーティストが支持された。2000年代に入ってもその流れは続いていたものの、その中で低音の存在感を響かせたのが宇多田ヒカルであり、鬼束ちひろだったように思う。

ただ、宇多田がR&Bを軸としていたのに対し、鬼束は中学時代に母に勧められるまま聴いたカーペンターズやカントリーロックがルーツだった。特にアメリカのシンガー、ジュエルの影響を受けており、美しいメロディーを基調にした正統派ポップスの文脈にいた。いわば、王道の音楽を、あまりにも圧倒的な歌声で歌い上げる歌手が登場した―― そんな感覚を覚えた人も多かったはずだ。

テレビやライブへ足を運んだ人にとってはよく分かると思うが、彼女の歌は曲が進むにつれてパワーが増していく。普通なら消耗していくはずの歌声が、後半へ向かうほど感情も声量も研ぎ澄まされていく。落ちるどころか、むしろ後半へ向かうほど凄みを増していく。そうした衝撃は、多くの歌手を目指す少女たちにも影響を与えた。当時のオーディションでは鬼束ちひろをコピーする参加者が急増したという。しかし審査員たちは口々にこう諭していた。 “鬼束ちひろから離れなさい。鬼束ちひろは鬼束ちひろにしか歌えない” 。それも当然だろう。あの歌唱は、単なるテクニックでは再現できない。感情、孤独、高い集中力、そして彼女の生き様そのものが歌に宿っているからだ。

命を削るようなライブパフォーマンス


鬼束ちひろのライブは、歌唱という言葉だけでは説明できない。ライブ会場は水を打ったような静寂に包まれ、観客はただ彼女を見つめ続ける。咳払いや衣擦れの音すら響くほどの緊張感。歌い終えたあと、彼女は倒れ込みそうなほどに消耗しているのが分かる。それほどまでに全身全霊で歌っている。これは命を削って歌っているのではないか、最後まで持つのだろうか…… そんな不安を抱きながらライブを観ていた人も少なくなかったはずだ。彼女はかつて “歌うことは生きることと同じ” と語っていた。喜びと孤独が共存する“生”。その中でも特に鬼束は、孤独や絶望といった影の部分にスポットライトを当てることに長けていた。

「月光」で「♪どこにも居場所なんて無い」と叫ぶように歌う姿に惹かれた多くの観客が、固唾を呑み見守る瞬間は、どこか皮肉にも感じられた。同時にステージ上で何かと闘っているようでもあり、孤独を抱えたままのような彼女を見て、彼女自身は果たして本当に救われているのだろうかと思わずにはいられなかった。

現在は活動休止中の鬼束ちひろだが、ファンは彼女を急かすことなく待ち続けている。自分のペースで歌ってくれればいいと、大らかに見守る人が多いのは、彼女の歌声が唯一無二だと知っているからだ。私自身、ライフワークのようにこれまで彼女のライブを見続けてきた。鬼束ちひろの歌には、“うまい” や“感動する” だけでは済まされない何かがある。魂をむき出しにしたような危うさと、それでもなお人を救う力だ。彼女が、また自分のペースで歌ってくれることを心から願っている。そしていつの日か、再びあの圧倒的な「月光」をライブで聴かせてくれる日を、静かに待ちたい。

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